孤独と群れと
「それに、滝蔵のこともある」
父の友だというので、疾風も彼のことは無条件に信頼していた。実際、よく戦っていたと思う。
しかし、その彼もまた三千院家に取り込まれていることが明らかになった。子分も一緒で、まるで食客だ。
「クソッ」
疾風は小さく舌打ちをした。
今まで親しかった者が、掌を返すように敵になっていく。負け戦とはどういうものか、初めて肌で思い知った。
「天逆毎に連絡をとる。緋の布を一番高い木の頂上に結べ」
事前に向こうから、何かあったらこうしろと言われていた。何から何まで、念が入っている。
(──とりあえず今は、あいつのところで力を蓄える)
疾風は腹をくくった。裏切り者に罰を与えるのは、それからだ。それが終わってようやく、疾風は本当の意味で頭になれる。そんな気がした。
老天狗が立ち去る。腹をくくってしまうと、全てが解決していなくても気持ちがすっきりした。
疾風は山の中程にある川に赴き、頭から思い切り水をかぶった。久しぶりに、子供に戻った気分だ。その時、ふと懐かしい名前が思い出される。
「飯綱……どうしてっかな」
天狗たちに探させても、彼を見かけたという証言は出てこなかった。里の中でも、彼の生死については意見が分かれている。
「あんなにお強く、賢かった方が死ぬわけがない」
という者もいれば、
「かといって、こんなに姿が見えないのはおかしい。やはりお隠れになったのでは」
と主張する者もいる。
真実が分からない以上、どちらにも肩入れできない。噂を控えるように言ってみても、誰も真面目に守っていない。
「飯綱。今、お前はどこにいる?」
髪からぼたぼたと水の滴を垂らしながら、疾風はつぶやく。聞き飽きたと思っていた彼の小言が、妙に懐かしくてたまらなかった。
☆☆☆
自分の寝起きが悪い、ということはよく分かっていた。
──だがここ数日、それは輪をかけてひどくなっている。葵は重い瞼を無理矢理こじ開けて、ベッドから体を起こす。
不眠の原因ははっきりしている。それは自分が蒔いた種なので、受け入れるしかないのだ。
「ふきゅー」
葵の足元でうなり声がした。軽くつま先で探ってみると、柔らかい毛皮が肌に当たる。
(……この真夏に、毛皮着用で、どうしてこんな所に入りたがるのか)
いくら考えてみても、葵には分からない。ぼんやりしているうちに、毛玉が膝の上まで這い上がってきた。
「蹴るとは失敬である」
「そうだそうだ」
「滝蔵親分に言いつけてやる」
灰色の毛で全身を覆った、細長い生き物。ぱっと見はカワウソに似ているが、縞になった尾が狸族であると主張していた。
なりは小さいが、これでも立派な妖怪だ。葵は噛みつかれないよう注意しつつ、妖怪の首元をつまむ。
「河狸。家の中まで入ってこないという約束を破ったのはどっちかな」
「うっ」
「親分は筋の通らないことは嫌いだぞ。告げ口して、怒られるのはどっちかくらい分かるよな」
「うう……」
すっかり大人しくなった河狸たちを、葵は窓の外へ放り投げる。よく室内を調べてみると、同じようなのが三匹もいた。
「全く」
トヨが起こしに来る前に、終わらせなければならない。葵は寝間着のまま、室内を走り回った。
ようやく全ての河狸を追い出した葵は、荒い息を吐きながらベッドに座る。そこへタイミング良く、カートを押したトヨが入ってきた。
「おやまあ、坊ちゃまが起きておられるとは珍しい」
もう少し早かったら、もっと珍しいモノが見られたぞ。そう言いかけて葵はやめた。
「たまにはこういうこともある」
「汗までかいてらっしゃって」
「成長期だからな」
「そういえば最近は、朝食も召し上がるようになって。シェフも喜んでおります。今日はフィレですよ」
「ああ……着替えてから食おうかな。そこに置いといてくれ」
以前はトヨも、葵が食べるまでは頑として動かなかった。しかし最近葵がきれいに皿を空けるため、ある程度の自由を許可してくれている。
トヨの姿が消えてから、葵は皿を窓の外に出す。すると、さっきの河狸たちが寄ってきた。
「今日は肉だぞ。大丈夫か」
「うす」
「ごちです」
「死んだ獣の肉はよく食べてました」
河狸たちは何の遠慮もなく、葵が出した皿に顔をつっこむ。四体がかりで食われた肉は、ソースまできれいになくなった。
「よし。また明日も頼む」
「あの甘い雪はもうないのか」
「食べたい」
「俺も」
「シャーベットのことか。よし、頼んでやろう。ただし部屋まで入ってきたら、俺がもらうからな」
「入らない入らない」
「よし、散れ」
葵が手を振ると、妖怪たちはさっさといなくなった。葵は皿を片付けながら、ため息をつく。
(まさかこんな共同生活が始まるなんて)
入隊した当初の自分がこれを知ったら、何と言うだろう。夏の抜けるような青空を見て、葵はそう思った。
☆☆☆
着替えた葵が真っ先に目指したのは、祖父母が寝起きしている離れだった。日本庭園の先にある、瓦屋根の建物がそれだ。
朝が遅い葵と違って、こちらにいる面子はもうとっくに起きている。
しかし今日は、いつもいない昴が来ていた。彼の目の前には、何故か巌と紫が並んで座っている。
「……二人とも。なんで怒られてるかは、分かってるよね?」
「はい」
「この上なく」
座っている両人の視線の先を辿ると、てんこ盛りになった服とおもちゃが目に入った。全て小児用の物だから、都にと買い与えたのだろう。よくあることだ。
しかし、その量が半端ではない。積み上げられたタワーは、今にも天井をひっかきそうだ。
(こりゃ、親父も怒るわ)
基本的に何でも買ってやることを良しとしない両親が、これを見て黙っているはずがない。少し面白いので、葵は後方から事の成り行きを見守ることにした。




