右から左へ受け流す歌
「敵を目前にして逃げ帰るとはどういうつもりか。最後の一兵まで死力を尽くしもせず、指示を待つなどとよく言えたものだ」
葵ははじめ、藤がなんでもいいから美里を罵倒したくて、的外れなことをわめいているのかと思っていた。だが、藤の剣幕を見ていると、どうやらそうではないらしい。これは大分病が重い、と葵は思った。
おそらく藤は、軍規をきっちり読みこんでいる。が、それを実際に利用しようとなるとからっきしダメだ。自分の都合がいいように解釈し、部下に理不尽なことを言っている。こういうタイプは裏から手を回して、早めに潰しておかなければならない。
「京都は勇猛果敢なのですね」
いずれ追いやる相手に警戒されても面倒だ。葵はとりあえずこの場は何も言わずに流すことに決めた。
「もちろんです。神戸はそうではないのですか?」
「状況が違いますから」
「弱卒を許していてはなりませんよ。今後改めてください」
葵は内心で舌を出した。「お前みたいな脳筋がいないからやらねーんだよ、ばーかばーか死ね」という嫌みをオブラートにくるんで言ったのだが、案の定藤には通じなかったらしい。これ以上藤と話す気も起きなかったので、葵はさっさと今後の行動について指示を求める。
しかし、一時間後。葵は激しく後悔していた。
時間をかけたにもかかわらず、具体的な作戦はなにも知らされず、ただひたすら軍部の実力を喧伝される。
一応おざなりに三千院にも意見を求められたが、葵と巌はのらりくらりとかわし続けることに終始した。正直、作戦のポイントすら聞かされないので、意見の言いようがない。肝心なところはなにも知らせないぞ、という意図を感じる、つまらない会議だった。
結局何も知らされないまま、葵たちは参謀本部を後にした。外に出るなり、空気がうまく感じる。
「お疲れでしょう」
夕子が気遣ってくれる。
「予想はしてましたが、作戦内容の隠し方がひどいですね。やはり軍本部では今回の話、歓迎されていない」
「そうなんです。『鷹司は勝手すぎる』『京都支部だけでなんとかできた』『馬鹿にするな』という意見も根強くて」
さっきの藤三佐もそのクチなのだろう。だから、葵たちには徹底して情報を与えていないのだ。
「それならそれで構いませんがね。どうせ聞いたところで、たいした策はなさそうだ。鷹司との共同作戦に力を尽くしますよ」
葵たちはそう言いながら、車のところまで帰ってきた。
「じいじ!」
車の外でちんまり座り込んでいた都が、巌の姿を見つけて駆け寄ってきた。巌が末孫を抱き上げ、感動の再会が果たされる。離れていたのはわずかな時間なのだが。
「よう、会談どうだった」
都のお守りをしていた猛が、葵に聞いてきた。車の中で話す、と言って葵は扉を開ける。座り心地のよい座席に腰を落ち着けてから、葵と巌はそろって深いため息を漏らした。
「やけに疲れてるな」
「だってな」
「な」
藤から受けた不愉快な思いを分かち合うように、葵と巌は目配せをする。
「よっぽどか」
猛が面白そうに身を乗り出す。巌がわかりやすくむくれながら、うなずいた。
「ワシなんか嫌味言われたもんね」
「じいじに!?」
それを聞いた都が、巌の膝の上でむくりと起き上がった。
「誰じゃその不忠者は」
幼女は誰彼かまわず、車内の大人たちをにらむ。大人の方はなすすべなく、苦笑いしながら肩をすくめた。ぐるる、とうなりながら今にも何かに噛みつきそうな都を制し、猛が口を開く。
「こら、ここにはじいじを悪く言うような人はいないぞ」
「では誰じゃ」
「そうさなあ……慶長銭の奴らとでも揉めたか?」
「何だ、知ってたのか兄貴」
「これでも一応情報部所属なんでな。慶長銭組はどいつもこいつも嫌な奴だが、藤って男が特にかわいくない」
藤の名前を聞いたとたん、巌が身を乗り出した。
「あっ、嫌味言ったのそいつそいつ。儂も嫌い」
「変わらんな、あの男も」
猛が髭の生えた顎をなでている横で、都が小さな声で「ふじ、ふじ」とつぶやき続けている。いつかやり返す気なのだろう。小さくても三千院の直系、「やられたらやりかえす」精神はしっかり受け継いでいる。
将来有望な末っ子を横目で見ながら、葵は猛に聞いた。
「藤は軍部内でうまくやってるのか」
「一直線に進むしか能がない男だが、古いタイプの上官とは馬が合うみたいでな。下が無茶だと反対しても、あいつがやりたいのならやらせてやれ、という御方の一言で通った作戦もあるようだ。馬鹿がますます調子に乗るわけだな」
「そんな素敵な参謀本部と、共同作戦か。泣けてくる」
「顔色一つ変えずによく言うな。で、会議で少しでも具体的なことは決まったのか」
「作戦もなにも。ものすごく優秀な歩兵と、ものすごく優秀な戦車隊の突撃で一気に攻める。うちが聞いたのはそれだけだ」
「具体的な数や進行ルートは?」
「一切無し。うちの縄張りに入ってくんな、という雰囲気丸出しだ」
「鵺が来てるのに尊大な奴らだな」
「葵はなにか助言してあげたの?」
猛がふんと鼻を鳴らす横で、人のいい遥がおずおずと口を開く。葵は首を横に振った。
「助言して感謝してくれるような相手なら、口もきくけどな。かえってヘソを曲げるだけだとわかってる奴にそんなことはしない。ジジイも同じだった」
「儂らひたすら右から左に受け流したもんな。笑いこらえるのに苦労したぞ」
巌が胸を張る。そこで、黙って聞いていた夕子が会話に参加してきた。
「不愉快な方ではありますが、彼らと完全に関係を絶つのは難しいでしょう。わたくしが代理でできることはいたしますので。隼人も少しは役に立つでしょう」
すまなそうな顔をしながら、夕子が言った。渡りに舟、と葵はうなずく。
「そうしていただけると助かります。すみません」
「いえ、うちも優秀なデバイス使いをできるだけ守らなければなりませんから。もう少し慎重に考えてくださる方が参謀なら、こんな苦労はせずに済むのですけれど」
「ああいう外面のいいクズを排除するのは、時間がかかりますよ。うちも富永にさんざん苦労しましたから」
そう言って葵が夕子をなぐさめていると、車がぴたりと止まった。聞けば、子供たちのトイレ休憩のために、公民館に寄ったのだという。たちまち末っ子三人が、ドアに向かって突進した。
やれやれとつぶやきながら、葵が弟妹たちにかわってドアを開けてやる。すると、外からすさまじい声が聞こえてきた。




