平凡な眼で見抜け
小さい頃から、兄貴はいつも優等生。自分はいつでもお調子者で落ちこぼれ。もっと昔は兄を越えようとしてみたこともあったが、三日で無駄な努力だと悟ったのでやめてしまった。
(俺はほんまに頭が悪いわ。バカの考え、休むに似たりか。ほんまにうまいこと言うもんやで)
大和が内心苦笑いしたとき、ばりっと音をたててシャツの生地が破けた。足の関節も思うように曲がらなくなり、しゃがみ込むこともできなくなる。自分を取り巻く人たちが見えて、大和は思わず顔をそむけた。
「こら弟! しっかりせんかい」
東雲の声と共に、いきなり首筋に何かが突き刺さった。あいにくちくりとつつかれたくらいの痛みしか感じなかったが、大和はのろりのろりと頭を東雲の方へ回す。
「東雲さんー、全部打っちゃってねー」
「過去の症例によると、強いストレスが症状を進行させるみたい。鎮静剤でなんとか眠ってくれれば」
東雲に加えて、三千院の医者科学者コンビが、自分の周りで奮闘しているのが見えた。どくどくと全力疾走の後のように鳴っていた大和の心臓が、少しだけその動きをゆるめた。しかし、鬼になる速度がゆっくりになりはしたが、完全には止まらない。
「大和! こっちに戻っておいでなさい! 御神楽のご両親や和泉さんに会いたくないんですの!」
「せや、かわいい女の子もまだ触ったり嘗めたりしてへんやろ! 戻ってこい!」
ひどい言われようだが、東雲まで本気で心配してくれているのが伝わってきて、大和はかすかに笑った。
「……そんな資格、ないねん」
鎮静剤がきいたのか、久しぶりに大和の口から人間の言葉が漏れでた。東雲と蘭子が、顔を見合わせる。修と俊が、「鎮静剤追加ー」「おうよ!」と息のあったかけ声を放ちながら、新たな注射器へ薬剤の充填を始めた。
「資格?」
「俺、悔しいわ」
「ああ……お兄さまといつも比べられていましたものねえ。内心悔しく思っていたのでしょう」
よく分かった、という顔をして絹子がうなずいた。違うのだ、と大和が反論をしようとしたが、その前に東雲が口を開く。
「せやなあ。昔から、兄はようできた子やとほめられ通しで、あんたは正反対やったもんなあ。でも、それでも、みんなあんたのこと好きやったんやで。そこは間違えたらあかんの」
「そうですわよ。バカでも、あなたみたいに明るいのが一人いないとつまらないではないの。妙に気にしなくてもいいんですのよ」
絹子と東雲の言いたいことはわかる。心配してくれるのも感じている。なのに、同時に「おまえらはちっとも分かっていない」と叫びたい気持ちもわいてきて、大和の頭の中がまたぐちゃぐちゃになった。さっきまで落ち着いていた角の伸び方が、またぐんと早くなる。
「鎮静剤二本目いくよー」
「今度は完全に眠らせよう!」
修と俊の声とほぼ同時に、また薬を打たれる。だが今度は、胸のいらつきが治まるどころか、増すばかりだった。ますます大きくなった大和の体が廊下を埋め尽くし、天井にぶち当たって鈍い音をたてる。今度はみんなの頭を見下ろす形になった。
悲鳴をあげ、顔を覆う仲間たちを見て大和はうなり声をあげた。結局、自分の真の思いは誰にも伝わることはなかった。仕方ないのか、それが報いか……。
「兄に負けて悔しいのはわかる、でも鬼になったらあかん!」
「こら! おやめなさいったら!」
「それはきっと違うよね」
大和の下から、澄んだ声がした。目をつり上げて大和をにらんでいる東雲と絹子の後ろから、遥がてくてくと歩いてくる。大和を恐れても嫌がってもいない、奇妙に落ち着いた目をしていた。
「遥兄さん!」
弟たちが呼び止めても、遥はにこにこしながら大和の顔を見つめている。今までの気弱そうな陰はどこへやら、そこにいるのはまるで別人のようだった。少し機嫌を悪くした東雲にじろりとにらまれても、遙はまるで動じていない。
「……違うて、なんや」
「東雲ラボ長、生意気言ってごめんなさい。でも、少しだけ僕の話を聞いてください。ラボ長は百メートル走で全日本代表の選手に負けたら、悔しいと思う?」
「そんなもん負けて当然や。悔しいもクソもあるかい」
東雲が即答する。遙はこくりとうなずいた。
「そうですよね。実力差があまりにもはっきりしていると、嫉妬なんかできないんだ。あくまで嫉妬は『自分にもできそう』とか『こいつたいしたことないのに』と思ったときにだけ生まれる。大和くんは『お兄さんを超えられない』なんてことはもうとっくにわかってるんだと思います。同じ土俵にはあがれなんかしないって確信してる。だからそのことでは悔しいも何もないです」
大和の体が、ぎくりと震えた。遥とは会ってほんのわずかしかたっていないのに、腹の底まで見透かされたような気がして体が震える。




