兄弟コンプレックス
「とりあえずその人を連れて出てください!」
看護婦の指示に従い、怜香と大和で協力して遥を廊下に引っ張り出す。怜香が遥の顔色を見ている間に、和泉が慣れた手つきで簡易ベッドを出して組み立て始めた。あっという間にキャスター付きの寝台が完成し、遥はそこに寝かされる。室内の様子を見ると、修と俊があらかた部屋の片付けを終えていた。
怜香の視線に気づいて、二人とも手で大きなマルを作る。どうやら重大なことにはなっていないようだ。二人がさらに行け行け、というように手を振るので、怜香は廊下へ戻っていった。
「遥さん、大丈夫?」
「ごめんね……もうちょっと横になってれば立てると思う」
誰か通りかかったら、遥を託そうと思ったが、だだっ広い廊下には患者の姿しかない。仕方なく遥と一緒に、次の検査室へ向かった。がらがらだったさっきの部屋とは違い、ここでは数人の男たちが検査の番を待っていた。呼ばれるまでしばらくかかりそうなので、怜香たちは雑誌片手に暇をつぶす。寝台にいる遥を見たほかの患者たちが、一体どうしたのだという目線を向けてきた。
「やっと見つけたで」
ぱったんぺったんと子供のような足音がした。それと共に、恨めしそうな女の声が聞こえてくる。危険を察知した大和が、素早くベッドの陰に潜り込んだ。
「東雲さん」
廊下を歩いてきたのは、昨日会ったラボ長の東雲だった。相変わらず赤や青のしみがついた白衣をまとい、前が見えているのか心配になるくらいの瓶底眼鏡をかけている。
「珍しいな、ラボ長がこっちにおるのは」
「弟が体調を崩したと聞いてな。今までデバイス使ってひどい副作用が出たことはないが、キミが第一例かもしれん。検査の経過、とっくり見せてもらうで」
東雲はポケットからピンセットを取り出してカチカチと鳴らす。本当に見守るだけですむのだろうか、と怜香は一抹の不安を抱いた。
「ほら、出てこい弟」
「いやー! 殺されるー!」
東雲がベッドに近づくと、大和が本気で金切り声をあげた。ベンチに座っていた患者たちが、ぎょっとして腰を浮かせる。
「ラボ長、ちょっと」
大和があまりにもおびえるので、和泉がさりげなく彼女を連れ出す。二人の姿が長い廊下の向こうに消えると、ようやく廊下に静寂が戻ってきた。
「もう出てきたら?」
遥が上半身を起こして、大和に話しかけた。
「完璧に隠れられとるやろ? 安全が確認されるまでもう少しここにおる」
「お尻が出てるよ」
「…………」
大和は気まずそうにもじもじと身じろぎしたあと、物陰から這い出してきた。不満げにふくらませた頬に、糸くずがくっついている。
「元気だねえ、僕の方がよっぽど検査してもらわなきゃならないくらいだ」
「そうっすね。ここ病院にしちゃ食事がウマいらしいですよ」
「じゃあお願いしようかな。入院した経験はないから」
バカ正直に返事をされたのがおかしかったのか、遥がくすくす笑う。
「昔はほんとにすぐ倒れてたから、家の中に診療所ができてね。病院まで移動もできなかった。おかしいね、ほかの兄弟はすこぶる健康なのに」
「まあ、兄弟はデキが違うもんやろ。良いのもいれば」
「悪いのもいる、ね」
大和と遥の目線がかちあう。二人ともものも言わずに、にやっと笑った。
「君も『悪い』方?」
「兄貴に比べりゃ」
大和が両手をあげた。遥が短く笑う。
「不運だね、身内の出来がいいと肩身が狭く感じる」
「俺も俺もー。俺がええのは体育の成績だけやもん」
「君は軍へ入隊したのかな? 向き不向きがはっきりわかってるのはいいことだよ」
遥が首をすくめた。彼の今にも折れそうな細い首筋を見ながら、大和が聞く。
「兄さん、仕事は?」
「まだ学生だから、勉強かな。もっとも、僕の成績は葵はもちろん、修や俊にも遠く及ばない。かといって、笑ってしまうほどどうしようもないわけじゃない。中途半端な、いわゆる『フツー』の人間だ」
そう言って寂しげに笑う遥の姿を見て、怜香は気の毒になった。三千院の家でなかったら、彼もさほど劣等感も持たずに生きられただろう。『普通』に生きられれば御の字、と思っている人間など掃いて捨てるほどいる。
「あんまり気にしない方がいいですよ」
自分でもいい慰めではないことはわかっていたが、怜香は口を開いて言った。十人兄弟がいて自分以外全員優秀、などという考えるだけでもイヤな状況で、やけにならないだけでも彼の精神力は強い方なのだ。
「そうだね、ほかの兄弟は、みんななりに大変なんだろうな。一方的にうらやましがるのはおかしいよね。要姉さんや葵なんか幼児の頃から戦場に出ずっぱりだし」
遥はさほど慰められてはいないようだったが、それでも怜香に礼を述べた。かえって彼に気を遣わせてしまったようで怜香は恐縮する。もっとなにかないか、と記憶をたぐっていたところ、肝心なことを忘れていたことに気づいた。




