じゃれあう兄弟
「強引なオカンですまんなあ。まあ、その分宿泊所よりは豪勢なモンが食えるから勘弁したって」
和泉がやたら恐縮していたが、怜香はむしろうれしかった。物心がついたときには母がもう他界していたので、ああいう風になにくれとなく世話をやいてもらった覚えがないのだ。
「楽しいね、大和くん家」
「せやろ。俺の嫁になって来てもええんやで」
「えっと、それは困るかなあ」
大和に突然言われて怜香は口ごもった。いい友達だとは思うが、大和に対して恋愛感情は全くない。
「ははは、ふられたふられた」
「やかましいわ。冗談やないか。もう一回振られてあきらめついとるわ」
大和が前方座席の和泉に向かって拳を振り上げる。どうやら本気ではなかったようだ。どう断ったものかと悩んでいた怜香は、ほっと胸をなで下ろす。
「悔しかったらはよ彼女連れてこい、ははははは」
「いつまで笑ろとんねん兄貴! 自分かて生まれてこの方彼女おらんくせに」
「俺は『おらん』のやなくて『作らん』のや。何やったら来年のバレンタインチョコの数でも競うか?」
「よーし、やったらあ。バレンタインといわず、できたらすぐにメールしたるわ」
「そうなったら大阪から神戸まで飛んでったる」
和泉は、東雲や父と接している時とは全く違う、くだけた様子で大和と会話している。眉間にしわを寄せているときは年に似合わぬ迫力があるが、公務を離れたときの顔は普通の青年と変わらない。ふだん雑だいい加減だと口では言うが、和泉にとってはかわいくてしかたなのない弟なのだろう。
いったいうちの姉は、私のことをどう思っているのだろうかと怜香は考え始めた。顔を合わせれば普通に会話もするし、軽い冗談くらいは口にしてくれるものの、なんとなく昔と雰囲気が違う。
その上、最近は前にも増して怜香に寄りつかなくなってきた。前は週一回はメールか電話をしてくれていたが、この頃は月一回着信があればいい方だ。
もちろん姉には姉の事情があるだろうから、あまりうるさくは怜香もしたくない。だが、たった二人の姉妹なのだから、もう少し会話らしきものがあってもいいのかもしれない。
「怜香ちゃん?」
ぼうっと考え込んでいたところに、横から声をかけられた。怜香はびくっと体を硬直させ、声の方を向く。和泉と大和が、そろってこちらを見つめている。
「あ、ごめんごめん。考え事してて」
急いで立ち上がり、大和たちの後に続いた。昼に訪れたばかりの御神楽家の居間には、また香ばしいにおいが立ちこめている。
今度は大和の母だけでなく、エプロン姿の若い女性たちもそこここで働いていた。三千院家のメイドさんたちは、黒のロングドレスにカチューシャ、白エプロンの完璧な英国スタイルだが、こちらは普段着にエプロン一枚だけのカジュアルな装いだった。エプロンすら柄も模様もばらばらで、おそらく制服もないのだろう。
「ただいまー!」
「お帰りい」
息子たちの姿を見つけた大和の母が、どすどすと足音をたてながらこちらに近づいてきた。彼女だけ赤いワンピースの上から白い割烹着を身につけているが、またそれが異常なまでに似合う。
「今日なにがあるん?」
「これ、ご飯の前に手洗い・うがいや! ちゃんと服も着替えておいで、ずるいことしよったらきりないで」
すぐさま食卓に突進しようとした大和を、母がぴしりとたしなめる。大和も母にはかなわないようで、へえいと返事をして、そそくさと去って行った。
「ああそうそう、客間の用意もできとるさかい。あんたも荷物置いておいで。こうちゃん、案内したって」
「はい、よろしくお願いします」
食堂内はすでにメイドたちがてきぱきと準備を進めている。自分がいても邪魔になるだけだろうと判断し、怜香は素直にうなずいた。
居間を出ると、すぐ正面に二階への階段がある。メイドについて上っていくと、白い壁に濃い茶のフローリングの廊下に出た。右側に三つ、左側に五つ黒いドアがある。さっきのドレスはずいぶん派手だったが、家に関してはシックな装いにしているようだ。
「右側のドアはご家族の個人的なお部屋ですから、みだりに立ち入らないようお願いいたします。九世さまのお部屋はこちらです。あまりお使いになる方はいらっしゃいませんが、鍵をお渡ししておきますね」
メイドは左側の一番奥にあるドアを指さす。怜香がそれを開けると、目の前に広い客間が見える。一室十畳は軽くあるだろう。ピンクの壁紙に白い床がなんともかわいらしい。テーブルの上には生花がいけられ、室内にはふんわりと甘い香りが漂っていた。
「お食事はまもなくですので、荷物を置いたら一階の居間までいらしてください。では、失礼します」
メイドはぺこりと頭を下げ、あっという間にいなくなった。怜香はつくりつけのクローゼットに荷物を放り込み、携帯の電源を入れる。




