ブラック企業は内部から崩壊する
さっき降りたばかりの鉄の階段を、今度は軽い足取りで葵が登っていく。
船上は血の海だった。貴之と、おそらく彼の護衛だったのだろう、ガタイのいい男たちが数人倒れている。彼らの額には穴があき、まだ血が流れ出ていた。
「一尉、私が上がった時にはもう大体終わってしまっておりました。一人逃げようとしたので少し手荒なまねをしております」
氷上が少し不満そうに言う。彼の足元には、腹を抱えてうずくまる葛城の背中があった。不満は言いつつも、仕事はきっちりしたのだ。
「は、背後から貴之様が撃たれるなど……こんなこと、あるわけが……」
葛城が毒づく。顔まで血まみれになった姿で睨まれても、葵は一切表情を崩さない。
「ま、そういうことだ。君たちの配下は大部分こっちに寝返っていたわけで。それを知らずに背中向けて喋ったら撃たれるな」
「ぐ……」
葵が面白そうに言うと、葛城は唇をかみしめた。
「大方昔からの富永の子飼いは、三千院家へ行く方にとられたんだろ? 反論ばっかり言ってくるような子には富永が甘くなるわけがないからな。甘いんだよ、考えが何から何まで」
葵は葛城が起き上がってこないか、ちらちら見ながら喋る。今のところはまだ大丈夫そうだ。
「貴之さまが……説いた理想も解さぬ愚か者が……」
葛城の怒りが、今度は周りの兵士たちに向いた。普段は冷静な葛城が、唾を飛ばしながら罵声を吐く姿に、周りの兵士たちはぎょっとしている。葵だけが片手で銃をもて遊びながらしれっと言い放った。
「理想でメシが食えるかよ」
ようやく起き上った葛城を蹴り倒して、葵は銃口を向ける。氷上も、鋭い目線を葛城に向けた。
「部下の説得にさぞかし走りまわったことだろうな、御苦労さん。こっちは一瞬で終わったぞ」
富永が人員を引き抜こうとしているとわかっても、巌と昴はどっしりしたもので何も動かなかった。しばらくしてから、「忙しいからお前に頼んでいい?」と雑に葵にふってきたのだ。
葵も仕方ないなと軽い調子で引き受け、引き抜きを受けているメンツを集めて一席ぶった。ただし、そこで喋った時間はそう長くはない。
「えー、集まってもらった理由は分かるな。富永との交渉の件だ。そんなことしてませんと言う奴は手を上げて退出しろ」
葵は和室の中を見回す。手を上げるものはなく、皆不安そうに眼を見合わせている。本当に裏切るつもりがあるなら、ここはあくまで否定の一点になるはずだ。なるほど、そこまで富永に振れてる奴もいないか。葵は口を開く。
「ボーナス欲しいか」
「休みが欲しいか」
「食料の割り当てが欲しいか」
ぼそぼそと連続で言って、葵はしばし彼らの反応を待つ。どよどよと和室内がざわめいた。
「言っとくが富永についたら、安い賃金、不眠不休、かつ食料の割り当てなんぞないからな。やりがいと精神論だけは死ぬほどもらえるが。ま、そこんとこよく考えろ」
葵はそう言うと、和室内の反応を伺うこともなく部屋を出た。その後どうなったかは、今日の結果が証明している。
「すまんな、猫田。腕章もぬかりなくつけてくれていて助かった」
葵が後方を見る。巨大な銃を構えた猫田がこっくりと頷いた。かつての上司を銃殺した直後にしては、えらくさっぱりした顔をしている。
「重かったら外していいぞ」
「いえ、まだ大丈夫です」
猫田は首を横に振る。貴之の頭を後ろから打ち抜いてもまだ撃ち足りないのか、きろきろと冷たい眼で室内を見回している。
「ね、猫田、なぜ」
「……ばれてないと思っていたのは私たちだけみたいでね。かなり早い段階から、三千院では私を間者だと見破っていたようです。あれやこれや説得を受けまして、私寝返りました」
さっきまでの忠実な従者はどこへやら、猫田はまとう雰囲気をがらりと変えている。戸惑った様子の葛城が、葵を見すえた。
「ばれた、だと。いったいどうして」
「最初におかしいと気づいたのは、猫田と組ませていた指宿からの報告でな」
指宿はもともと、メイドの姿をした諜報部の職員である。三千院家に敵のスパイが入り込むのを防ぐため、新しい女従業員が入ると必ず彼女と組むことになっていた。
彼女からまず報告としてあがってきたのは、猫田の手の洗い方だった。
『猫田さんって、手の洗い方がやたら入念なんですよね。手首まで洗うの。あれ、病院とかの医療職の洗い方に似てるなあ。念のため調べてもらっていいですか?』
報告を受けた葵はすぐに調査を開始した。なぜなら、その当時三千院家では医療スタッフも同時に募集していたからだ。無論、給料は医療スタッフのほうが高額に設定されている。
医療用のスキルを持ちながら、わざわざ給料を下げてまで不慣れなメイドに応募してきた女。確証はなかったが、葵は怪しいとふんで部下たちに徹底的に調査させた。
その結果、彼女の身元はすぐに割れた。猫田和子、五十一歳。葛城家とは遠いが親戚関係にある。富永家付きの看護師であり、夫である良樹医師は十年前に他界。ここまでつかんでしまえば、後は彼女をうまくこちらに引き入れるだけだった。
「彼女が味方になってくれてだいぶ助かったよ。お前らは疑いすらしてなかったみたいだからな」
葵が勝ち誇って葛城にいう。葛城は感情を爆発させ、猫田に向かって叫んだ。
「猫田、あれだけの御恩をうけておきながら――」
「恩ですって?」
葛城の声を聞いて、猫田の声が絶対零度の冷たさをまとう。引き金にかかっていた指が動き、ばしばしと銃弾が飛ぶ。葛城が頭を押さえてうずくまった。
「むやみに撃つな。跳弾が当たる」
葵がたしなめて、ようやく猫田は引き金を引くのをやめた。しかし怒りはますます大きくなっているようで、葛城に向けている顔はまさに般若のそれだった。
「恩? 人の夫をわざと妖怪の出現地に送って死なせておいて、よくもそんなことが言えたものだわ。女手ひとつで十年間、息子と娘を育てるのにどれだけ睡眠時間を削ったか、あんたは考えたこともないでしょうよ」
「そんな嘘を吹き込まれたのか。妖怪の出現なんて、こちらが知っているわけがないだろう。言いがかりだ」
葛城が蒼い顔で否定する。葵はそのざまを面白そうに見物しながら、口を開く。
「葛城さん、それはないな。こちらで調べた結果だが、猫田さんのご主人が派遣された土地は過去に何度も妖怪との小競り合いがあったところじゃないか。危険性を説明しておくのは当然じゃないか?」
「もちろん説明はした。本人も納得済みだ。だが、過去に出たからと言って次にいつ来るかまでは予想できるはずがない」
説明はした、ねえ。死人に口なし、言いたいことがいくらでも言えるだろう。葵は冷静に言い返した。
「確かに、富永のしょぼいレーダーでは早期発見は難しかったかもしれないがね。それでも、猫田さんがいたのは軍事施設だ。逃げ出すための足さえあれば、何人か脱出することはできたはずだ。そこの面子にいさめられたのか、何か都合の悪いことを知られたか。もしくはその両方か。殺すほどの事態だったとは思えないが」




