時代は流れ人は変わる
「霧島。海坊主と海蛇が動いたら矢を放て。あくまで牽制が目的だから、当てようと思わなくていい」
「心配しなくても当ててみせるよ」
「やらなくていい」
もー、と頬を膨らませる霧島だったが、それでも仕事はきちんとこなした。ひゅんひゅんと銀の矢が蛇の群れに向かって放たれると、目の前の蛇たちはぴたりと行軍を止めた。海坊主も蛇たちの後ろから様子をうかがっている。葵はそれを確認し、再び牛鬼たちに目を向けた。
傷の深い赤鬼が、佐門にまつわりついた。眼球から吹きだした血が、佐門の目に入る。ついに佐門の怒りが爆発し、味方であるはずの赤鬼を弾き飛ばした。傷を負っていた彼はあっけなく仰向けになり、どうと海面に黒い腹を見せた。怜香とヴァルキリーがこの隙を見逃すはずはなかった。
「ヴァルキリー、飛べ!」
主の命を受けた戦乙女が、ひらりと空へ駆けあがった。必殺の銀槍をたずさえ、獲物の急所を狙いすましている。
倒れた赤鬼の口が大きく動いた。やめろ、と言いたかったのだろうか。それとも、無駄だと分かっていても相手に最後まで抵抗しようとする心意気だったのだろうか。
答えは永遠に分からない。ヴァルキリーの銀槍が赤鬼の胴体を貫き、とうとう巨大な獣の動きが完全に止まった。怜香が大きくガッツポーズをするのを確認し、葵は無線で航海長に話しかける。
「一体撃破。航海長、まだ堪えられるか」
『もちろん。意外とやるな』
「今の上官に対しての暴言は聞かなかったことにする。引き続き頼むぞ」
『了解しました、一尉どの』
最後の一言は嫌みっぽかったが、葵はふんと鼻を鳴らしただけで通信を切った。今度は怜香との無線に切り替える。
「怜香、一番手柄だぞ」
「ありがとう。落ちるから拾ってくれるかなー」
怜香の声が力ない。葵が見上げると、ちょうど葵の真上からへろへろと死にかけの蜻蛉のように落ちてくる怜香が見えた。もう彼女を支えるべきヴァルキリーは消えている。葵は移動して、怜香をキャッチした。
「……逆……」
ぼんやりしている怜香が、彼女には珍しく葵に向かって恨み事を言った。意識が薄れかけているのだろう、気の毒に。
葵はうつぶせの姿勢になっている怜香を両腕で抱えた。世間でお姫様だっこと言われている抱き方の、女の顔の向きが逆になった形である。確かに逆だな、と葵はうなずきながら甲板に怜香を横たえた。
「次倒れるのはお前やで」
葵が怜香を世話している間に、大和が嬉しそうに佐門に笑いかけているのが聞こえた。大和は特に何か期待して言ったわけではなかったろうが、佐門の口から怒りのこもった男の声が飛び出した。
「貴様、ちょろちょろと生意気な」
「お、また話した。だったらもっとおもろいこと喋れ」
「どこまでもふざけた男だな!」
大和と喋っている間に、どんどん牛鬼の声にはドスがきいていき、ヤクザのような声になっている。
「若造がいい気になるなよ」
「その若造も倒せへんくせに」
大和がそう言うと、佐門はぐっと言葉につまった。お、言い負かした。大和相手に口で負けるとは、あの牛鬼なかなか単細胞だな。
ようやくしゃべるのをやめた大和は、再び佐門の周りをせわしなく飛び回る。巨人と少年、という神話の世界が葵の目の前にあった。ひっきりなしに飛んでくる佐門の爪や牙を、大和は器用にかわしている。時々大和から昆で攻撃を加えるが、致命傷には至らないようだ。
「かったい奴やなー」
大和の息が少し荒くなっている。ここに着いてから、モー・ショボーと戦い、いせの応援に行き、そして今ここで牛鬼と戦っている。消耗は当然だ。そろそろ仕掛けるべきか、と葵は思った。無線で薬丸に向かってささやく。
「薬丸。もうしばらくで決行だぞ」
「承知。お友達が危ないですからな」
「と・も・だ・ちではない」
葵が低い声でうなると、薬丸からくくく、と意地の悪い笑いが返ってきた。それでも侍か、と葵が悪態をつく。
「侍ですよ?」
薬丸はさらりと言い返し、剣をふるった。また青鬼の腕がひとつ、海面に落ちて大きな波をたてる。怒りの声をあげた青鬼に、薬丸はまた昂然と向かって行った。
「きえええい!」
空間を切り裂くほど大きな、薬丸の音声が響き渡った。剣を一瞬で振り下ろす動きがあまりに早すぎて、葵には見えない。青鬼の皮が勝手に内部から裂けたように見えるのは、達人の剣術のなせる技だろう。
青鬼が後ろに退いた。口を大きく開け、さあ来いと言わんばかりに待ち構えている。やけに余裕たっぷりな様子を見て、葵は顔をしかめた。
「うぬ、勝負を申し入れるか」
「んな訳あるか。離れろ」
葵は薬丸に注意した。何故ですかーと薬丸が無念そうな声を出す。じりじりと海を挟んで、両者の睨みあいが続いた。
「うぬぬぬぬ」
薬丸のうなり声が葵の耳を刺激する。一年前まで彼は軍に属さない爺さんの子飼いで、好きな切り合いばかりやっていた。そんな彼には待機は酷な指示だろうが、そろそろ軍隊式のやり方に慣れてもらわなければならない。
「待て」
「ぐるる」
「待っている間にいいこと教えてやるよ」
「……うー」
おあずけをくらうのがよほど性に合わないのか、薬丸からだんだんヒトとしての知性が消えて行く。本物の犬になってしまう前に、言い聞かせておかなければ。葵はためいきをつきながら話し始めた。
「お前が都の指南役を外されたわけ、わかるか」
「わかりませぬ。流派の違いではありませぬか」
薬丸の右足が一派前に出た。青鬼が馬鹿にしたように大きく口を開ける。今にも飛びだしそうな薬丸を見て、葵は待てを何度か繰り返す。やはり、彼にとっては聞きたくない話だったらしい。
「馬鹿のふりをするな。本当は分かっているのだろう」
「……某の実力が足りぬゆえ」
「違う。完全なる実力不足のおっさんを雇うほどうちは暇ではない。お前が待ちも退きも苦手だからだ。これからは、違う戦い方になる」
葵は切りこんだ。息子ほどの年齢の男から正論を言われることが、薬丸にとって屈辱でないはずがない。だが、彼はそれを飲み下せないほど器の小さい男ではないはずだ。
「薬丸。もう隠す必要もないから言うがな。第三師団の指揮は今まで、富永がやっていた。だがこれからは、三千院が取って代わる。老いた獅子の紋章が、全て蛟にとってかわるまでもう少しだ」
薬丸のうなり声が止まった。しばらくして、無線から彼のため息のような声が漏れてくる。
「……某は、地位をもたぬゆえの、自由な雰囲気が好きでしたがな」
巌は軍にいた時から、自分が気に入ったものは私兵として雇い入れていた。軍に入れるのは富永の目がうるさかったこともあるし、三千院家には十分に彼らを雇うだけの金があった。
彼らは私兵として、三千院のために情報収集をしたりデバイスの腕をみがいたりと、のらくらと気ままな生活をしていた。だが、これからはそうもいかない。
富永がいなくなれば、三千院は軍で大きな力を持つ。デバイス使いにはあり得ないほどぶらぶらしていた彼らにも、軍で相応の地位が与えられるようになるだろう。
「変わらなければ、生き残れない。天逆毎が出てきた以上、全力をもって叩かねばならない。そしてその指揮をとるのは、俺だ。悪いが、俺はジジイほど甘くない。待つことも、退くこともこれからの戦いには不可欠だ。覚えろ」
「……いつまでも気楽に坊ちゃまと呼んでいては、いかぬのですか」
「ああ」
葵は空を見上げた。幼い頃から親しんできた私兵たちと、上司部下の関係になるのは少しさみしい。それでもすでに、改変を進める覚悟は決めている。




