銀髪の執事
「巻き込まれるぞ、離れろ!」
葵は急いでヘリを下がらせた。足下では、ばりばりと海坊主がさざなみにかじりついている音がする。まるで怪獣映画のような光景に、小兎の顔が青くなった。
「あの船、沈んじゃいませんか?」
「……護衛鑑の心臓部は奥深くにあるから、上をやられたくらいではまだ大丈夫なはず。でも、このまま排気口やタービンをやられたらまずいわ」
怜香が小兎をなぐさめているが、事態は良くならなかった。海中から今度は巨大な牛の頭が浮き出てきて、海坊主と同じ側からさざなみに攻撃しだしたのだ。
「牛鬼まで戻ってきたわ!」
葵はまじまじと牛鬼を見た。顔のつくりに少し牛の面影があるが、耳まで裂けた大きな口から長い牙が伸びたその顔からは、抑えようもない凶暴さがにじみ出ている。
赤く輝く角が二本、三日月のように湾曲しながら頭の上にそびえている。それを誇示するように大きく振り、牛鬼はがっきと牙を護衛艦に突き立てた。
「奴ら、一隻に集中しだしたぞ。さざなみを沈める気だな」
「助けに行ってくるわ」
怜香が降下しようとすると、いきなり横から黒い影がつっこんできた。とっさに葵が糸を張り、相手を受け止める。が、それでも完全に止めるまでには至らず、怜香の足にがっちりとモー・ショボーが食らいついいた。
痛みに顔をゆがめつつも、怜香はヴァルキリーを呼んだ。戦乙女が上から主を襲うモー・ショボーを串刺しにした。妖怪はすぐ絶命したが、死んでもなかなか怜香の足からくらいついて離れない。ようやく怜香が振り切ったときには、ぽたぽたと彼女の足から血がしたたり落ちていた。
「衛生兵を呼ぶか?」
葵が聞いたが、怜香は首を横に振る。
「いなづまやさざなみの手配で精いっぱいでしょう。幸い傷は小さいみたい。小兎さん、止血帯持ってて」
「は、はいい」
小兎はおっかなびっくりだったが、なんとか怜香の足に止血帯を巻き付けて固定することに成功した。その間にもモー・ショボーたちは増え続け、黒い影で空が埋まり始めた。雨が降り出す前のような、鬱々とした空気があたりに漂い始める。
「海難法師がいなくなったら、飛行部隊が戻ってきたな」
「これじゃうかつに鑑に近づけない」
葵が舌打ちする。ますます増えるモー・ショボーたちを追い払うのに忙しく、さっきから三人で固まって宙に浮いているだけで、まったく艦隊への援護行動がとれていない。
ふらつく体をだましながら葵が考えていると、こちらもじっと何やら考え込んでいた小兎が、突然ぱちんと両手を打ち合わせた。
「一尉の糸をもっとぐるぐるにしたら、艦に行くまでもつんじゃないでしょうか? 繭みたいなやつにして、私たちが真ん中に入るんです」
「残念だがそれは無理だ」
頬を赤く染めて力説する小兎を、葵は一刀両断した。オブラートにくるむのよオブラートに、と背後で怜香がいうのが聞こえる。
「一尉、やる前からあきらめるとは参謀らしくありませんな」
「無理なものは無理だ。なぜなら、もうちょっとで俺の体力はつきる。今HPが半分以下の状態」
「な、なに冷静な顔して破滅的なことを言ってくれてやがんですか」
事実は事実だ、と葵はうそぶいた。小兎はぶうと頬を膨らませるが、それ以上何も出てこない。怜香があきらめたようにつぶやいた。
「……仕方ないわね、陸まで一度撤退。なんとかいなづま、さざなみの乗組員を避難させる方法を考えましょう」
「いえ、その必要はないかと」
「!」
背後から急に人間の声がして、小兎が体をこわばらせる。しかし、葵と怜香は聞き覚えのある声に安堵した。
「来たか、氷上」
「お久しぶりです」
三人の目の前に、いかにも有能な執事といった、ぴしりと背の伸びたタキシード姿の初老の男が現れた。彫りの深い顔立ちで、つけているモノクルがこれ以上ないほど似合っている。
「一尉の知り合い?」
「三千院から来た応援だ」
「氷上と申します。私とは初めてでしょうが、愚息にはお会いになったことがありましょうか?」
老人はゆっくりと小兎に語りかける。小兎はぶんぶんと頭を横に振った。
「一丞二丞はうちの身内でないと知らんだろう」
「そうでございますか。では、改めて。三千院家執事、氷上九丞と申します。息子たちも微力ながら三千院家にお仕えしております」
「うわああすげー執事! 本物! 息子さんも来てるの?」
小兎がえらく感動し、氷上のタキシードの裾をつまもうとする。先手をうって、怜香が後ろから小兎の襟首をつかんだ。
「残念ながら息子たちに実戦に参加できるほどの腕はございませんでした。デバイスで分身を作れるのはいいのですが、それに一時間もかかるようではお話になりませんからね。適応ランクもCだったので、士官ににもなりませんでした」
氷上が苦笑いをする。小兎は怜香につままれたまま、ほへーと気の抜けた声を出した。
「まあ、それは横においておきましょう。今は、お役目をなさねば」
氷上がぱちりと指をならすと、彼の肩にふわりと一羽の鷹が舞い降りた。葵は久しぶりに氷上の鷹を見るが、昔と変わらず威厳に満ちた翼を大きく広げている。
翼を横に広げた長さは、子供の身長ほどもあるだろう。氷上の肩にとまった鷹が、獲物はどいつだと言うように声をあげた。
「さて、今日の命令はなんでしょうかな」
「あいつらの掃除を頼む」
「かしこまりまして」
葵が、モー・ショボーたちを指さすと、氷上が深々と頭を垂れる。彼の肩から、ばさりと鷹が飛び立った。それは一羽だけではない、氷上の体からは何百羽という屈強な鳥部隊が生まれでてくる。
鷹たちはモー・ショボーたちの上空に陣取り、しばらく様子をうかがうように平行に飛ぶ。モー・ショボーが体をくねらせ、上を確認しようとした隙を逃さず、一気に襲いかかった。
屈強な爪が、モー・ショボーの体を容赦なくしめつける。圧倒的な力の差で押さえつけ、動きを封じたところで、鷹たちは次々に獲物の首にくちばしを突き刺した。モー・ショボーたちの絶叫と血煙が、あたりを満たす。
「召還系のデバイスで、ここまで一気に呼べる人間がいるなんて」
怜香が息をのんでいる。同じ召還系のデバイスの使い手として、食い入るように氷上の戦い方を見守っていた。
「お褒めいただきどうも。こんなに鷹たちを呼ぶのは久しぶりですよ。まあ、この掃除が終わればこの年寄りめは使いものになりませんがな。坊っちゃま、それでよろしいのでしょう?」
「ああ。危なくなる前に帰れよ」
葵は頷いた。氷上はうっすらと笑い、指をはじく。鷹たちがまた四方に散り、戦いに身を投じた。みるみるモー・ショボーたちの数が減り、葵たちの前が大きく開けた。
「……私もまだまだね」
怜香が少し肩を落としながらつぶやく。特に返事を求めて言ったのではなさそうだったが、氷上は怜香の背中に向かって話しかけた。




