次期当主の憂鬱
甲烈はふん、と鼻で笑った。もともと富永は三千院と違って、清濁合わせ飲む豪傑のイメージがついている。世間が少し揺れたくらいでどうだというのか。浮気の一回や二回、男の甲斐性だ。
「さよう。結局は誰が自分たちの利益を守ってくれるかが大事なのですよ。特に政治家や官僚という連中にはね。浮気くらいで富永様への忠誠が揺らぐような奴がいるとしたら、そいつはよほどの大馬鹿ですな」
「続きを見せろ」
武藤がボタンを押すと、映像が再び流れ出した。密偵が巌に向かって再び話し始める。
「して、流すのはいつに」
「そうじゃな、こちらの準備もあるのでひと月後にしてくれんか。やるときはせいぜい派手にやるんじゃぞ」
「承知しております」
「君はなかなか優秀じゃな」
巌は笑いながら、ばしばし密偵の肩をたたきまくる。馬鹿力に翻弄された密偵が、思わずごほごほとせき込む声がマイクに流れ込んできた。
「このスキャンダルだけではない、平行して八田大臣の周りにも切り込むつもりでな。君も知っておるだろうが、八田は最近富永と疎遠になっているからな」
「根回しは大事ですね。微力ですが、お力添えさせていただきます」
「うむ。では、下がってよいぞ」
ふたたびカメラが揺れ、三千院たちの姿が小さくなっていく。そこで武藤が、ぶつりと映像を打ち切った。
「いかがでしたか。葛城のような無様な書類など使わずとも、こうやって敵の次に打つ手を呼んでさえしまえば負けることなどあり得ませぬ」
「全くだ。葛城も少しは武藤を見習えばよいのに」
「あまり古くなると男も女もよくありませんな。早く叩き出してしまっても実害はないと思いますがねえ。祈愛でも、同じくらいの働きはできましょう」
武藤が分かりやすく揉み手をする。その背後でむっくりと祈愛が上半身を起こした。どうやら勝手に椅子に座って寝ていたらしい。甲烈の視線に気づくと、あわてた様子で笑顔を作った。
「まあ、古すぎて家の至る所に根を張っておってな。抜くとなると俺でもちと骨が折れるのだ。貴之もなぜかあれを気に入っておるしな」
「さようですか。貴之様はお優しい方ですな」
「優しいばかりでは役に立たん。変なところばかり母親に似おってからに……」
甲烈は怒りにまかせ、ばんと机をたたいた。葛城が置いていった大量の資料のうち、数枚が舞い上がって床にこぼれ落ちる。
「えい、いまいましい。本人がおらんところでも俺に手間をかけさせるわ」
「私が拾いますよ」
「祈愛もお手伝いしますわ、お父様」
武藤親子がさっと床にはいつくばって、落ちた資料を乱暴にかき集めていく。祈愛がはいていたスカートのスリットが大きく開き、白い足があからさまに見えた。わざとらしい、と思ったものの甲烈はそちらに目を奪われる。
「ああ、ちょうどいい。俺にもうその不愉快な書類を見せるな。捨てておけ」
はい、と床から二つの返事がした。ふと、甲烈の頭に嗜虐的な考えがよぎる。行為のもたらす快楽に、脳がしびれた。
笑いながら、甲烈はまだ机に残っていた書類の山を手でたたき落とした。葛城がちまちま作ったであろう書類が、己の指一つで飛んでいく。子供が虫の足をちぎり落とすように、甲烈はしばしその残酷さを楽しんだ。
葛城は自分と入れ違いに、甲烈の書斎へ入っていった小太りの男の背中をにらみつけていた。忘れもしない、武藤だ。しかも今回は娘まで連れている。世辞と追従しか能のない男だが、最近ますますここに入り浸っている。思わず長いため息が漏れた。
「葛城」
背後から声をかけられて、背筋を伸ばす。眉間にしわの寄った長身の青年がこちらを見ていた。後ろでひとつに束ねた長い黒髪が、かすかに揺れる。
「貴之さま。これは、みっともないところを見られてしまいましたな」
「かまうな。少し顔を貸せ」
葛城がうなずくと、貴之はさっさと先に立って歩き出す。しなやかな体にはダンサーのような筋肉がついているため、ただ歩いているだけでも様になっている。
「きちんと修練されていますな」
「ああ。馬鹿親父はわかっていないようだが。ボディビルダーのような体格など重いだけで任務には向かんのにな」
実の父との不愉快なやりとりを思い出したのか、貴之の声にとげが混じる。ここで下手な慰めを言うほど葛城は愚かではなかった。ゆったりとうなずくだけにとどめる。
「入れ」
いつの間にか、貴之の私室の前まで来ていた。しっかりした木材でできた重いドアを押しあけ、中に入る。何でもごてごて飾りたがる父とは正反対に、貴之の部屋の中はものがなさすぎる。白い壁に黒い絨毯、机と椅子、それにベッド。そのほかの私物はまったく見えない。
「床に適当に座ってくれ」
貴之はそういいながら、自分も腰を下ろす。葛城も貴之が座ったのを確認してから正座した。
「で、ご用件は」
「大体見当はついているんだろう。三千院のことだ」
やはり気づいておられたか、と葛城は心の中で拍手した。二代続けてバカ当主ではなかったことを神に感謝する。貴之はため息をつきながら、さらに聞いてきた。
「親父はどう見ている」
「未だにナメておられますな。武藤が割り込んできましたので、最後まで見ていたわけではありませんが」
「やっぱりか。昔から親父の目玉には視神経が通っていないと思っていた」
「私がまとめた報告もろくに見てはおられませんでしょう。紙飛行機にでもされていれば上出来ですな」
「そんな知能があるもんか」
鼻で実父を笑いながら、貴之は机の上から資料を葛城に向かって差し出す。ページには折り癖がつき、ボールペンで何度もなぞった跡がついていた。
「確かに三千院が本気で動き出したな。今までとは規模が違う」
「積年の恨みを晴らそうとしているようですな。武藤が送った下手な密偵など、とっくに見抜かれていると思ったほうがいいでしょう」
「親父にだけやり返してくれるのならば、むしろ歓迎してやってもいいぞ。だが、そう甘いことはしてくれまい」
「ええ。そこまでバカではない。戦うと決めた以上、三千院が行うのは殲滅戦のみですからな」
葛城は昔、三千院昴と交渉してみたことがある。ゴリゴリの武闘派の父よりはくみしやすいかと思ったのだが、その試みはあっさり粉砕された。苦い思いが臓府からあがってきて、葛城は歯を食いしばる。
「昔のことを思っても仕方あるまい。今喉元に突きつけられている刃を防がねば。……各部所から引き抜きがちょくちょく出ているな」
「ええ。やめたのは表向きには親の介護やら旦那の転勤やら、それらしい理由がついていますが。調べさせてみれば皆三千院家にとりこまれています」
「特に情報や後方支援に関わる部署でいいようにやられている。親父がこういう裏方仕事に興味がないのを分かってやっている」
葛城はうなずいた。富永はとにかく実際に戦闘する部隊以外への投資を極端に嫌う。大砲に金は使っても、レーダーに金を使うのは嫌なのだ。冷遇された部署から離反者が出るのは当然だろう。




