人よ真に愚かなり
去年の秋、姉の学校の文化祭に遊びに行った都たちは、妖怪たちに人質にされるというめったにない体験をした。あまりひどい扱いをされないうちに解放されたのだが、都本人も戦闘に参加したため、彼女の心身への負担が懸念されていた。
翌日になって、心理セラピストたちが集合したところで巌が気を使いつつ、彼女に問うてみた。しかし、都はまったく人質になっていたことを覚えていなかった。飲んだ薬の影響かもね、と双子の学者たちは分析していた。
結局寝た子を起こすこともあるまい、とその場はお開きになった。少なくとも今後、彼女が戦場に出るような事態になってはならない。四歳児が戦うようでは、三千院の家が滅亡する寸前ということだ。
「む?」
葵は無意識にじっと都を見つめていたらしい。彼女と目が合う。都はにこお、と顔全体を使って笑った。その笑みに影はなく、葵はとりあえず一安心した。
一連の事件を知っているのか、猛も深く追求しなかったので、葵の友達についてはそこで話が切れた。都が山盛りになったイチゴ大福の山にせっせと手を伸ばしている間、葵たちは猛が行っていた外国の話をあれやこれやと聞いていた。
「失礼します、猛様に呼ばれてきたのですが」
どこの国の料理が一番美味いかで盛り上がっていた葵たちは、背後から聞こえてきた硬い声にはっとして会話をやめた。後ろを見ると、かっちりとした黒い背広に身を包んだ氷上兄弟が控えている。
「話? 兄貴が?」
「ああ。親父やジジイはもう知ってるがな、お前らにも聞いてもらわにゃならん。今からいけるか」
葵がうなずく。都の前ではまずかろうと、葵たちは席を立った。遥に「都を頼む」という思いをこめて目配せすると、彼はわかったというように会釈した。
幸い都は大福に夢中で、片手でおざなりなバイバイをしたきりだった。葵たちは食堂の近くの小部屋に入り、どっしりとしたソファーに腰を下ろした。
「で、どうした」
葵が水を向けた。猛は部屋の施錠を確認してから、ひそひそと話し出した。
「人死にが出てな」
「よほど特殊な死に方でもしたのか」
内戦時、軍隊で死人が出るのは当たり前だ。葵のところにも定期的に書類で報告はあがってきている。しかし、猛がわざわざ知らせに来るということは今までなかった。葵は顎をしゃくって、先を話すよう促す。
「デバイス使い……しかも、お前と年が近いやつらが、十人単位で死んだ」
葵は一瞬自分の耳を疑った。葵が入隊したとき、一緒にいたデバイス使いたちは五十人ほどだったはずだ。デバイスへの適応を持つ幹部候補生は極端に少なく、毎年どんなに多くても入隊者が百人を超えたことはない。それを十人単位で失うとはどういうことか。
「富永か」
「ああ。最近どうにも動きがきなくさいんで、親父に欧州から呼び戻されて調べてたんだ。敵の射程上に無理に護衛艦を割り込ませ、爆発炎上させた。乗員九百名が船と運命をともにしたよ」
「飛行装置はどうした。せっかく実戦配備されたところだろうが」
「デバイス使いは艦内待機だった。艦中央部を一撃されれば船はひとたまりもない。人間が逃げる余裕はなかったよ」
葵はめまいがしてきた。人員がいた、相応の装備があったにもかかわらずボロ負けとはいったいなにをやっているのか。
「原因は」
「タテマエは敵情報の伝達が不十分であった、ということになっているがな。親父もジジイもは違うだろうと言っていた」
猛は太い眉をつり上げる。葵ももちろん、富永の言うとおりだなどと毛ほども思っていない。
「わざとか」
「ああ。デバイスを取り入れたのは三千院家だ。そちらの成果がもてはやされてばかりで、くさくさしていたんだろう」
「嫉妬と恨みは怖いな。不条理なことでも平気でやらせる。人間側が負けた時、自分が無事でいられるとでも思ってるのか、あの豚どもは」
「そこまで考えているかどうか。きっと何とかなるとでも思っているだろう」
氷上兄弟が顔をひきつらせて固まった。そんな馬鹿なことが、と彼らの口からうめき声がもれる。
「悲しいことだが、馬鹿なことをそれと気づかずやる人間はゴロゴロいるぞ。っと、悪い」
いきなりポケットから電話の呼び出し音が鳴り、葵は肩をすくめた。受信ボタンを押して機械を耳に当てると、野太い老人の声がした。
「はろー。こちらじじい」
「用件はなんだ」
「冷たい孫。しくしく」
電話線を通って殴りに行きたい衝動にかられたが、葵は我慢する。
「兄貴から話は聞いた。何か動くのか」
「まあなー。昴も来とるから、ゆるゆる話しようや」
「今から行く」
葵は迷いなく答え、応接室を後にした。ことの重大さを悟ったのか、出て行く葵を見ても猛たちは何も言わずに見送った。
葵は早足で長い廊下を歩いた。裏口から庭に出て、芝生を突っ切るように敷かれた石畳を歩く。洋館が立ち並ぶ母屋を後にしてしばらく進むと、いきなり目の前に瓦屋根、白壁の和風建築が見えてきた。
そのまま和風の離れへ進んでいく。離れの近くには大きな石がごろごろ置いてある。枯山水、というのだろうが、葵はいまいち良さがわからなかった。庭の奥には大きな池があり、金や赤が鮮やかな錦鯉がゆったりと泳いでいた。
「ジジイ」
池のたもとで、鯉に向かって豪快にざばざばと餌を放り投げている巨人がいた。葵はその巨大な背中に向かって声をかけた。
「んー、来たか」
ジジイ呼ばわりをとがめるわけでもなく、巌がくるりと葵に向き直る。巌が体の向きを変えてはじめて、もう一人いたことに葵は気付いた。
「親父か」
やあ、と手を上げて細身の男性が巌の前に出てきた。これから深刻な話をしようとしているのに妙ににこにことしている。目は決して小さくないのに、垂れているため緊迫感はない。親子だというのに、全くと言っていいほど巌には似ていなかった。
父はスーツ姿のことが多いが、今日は非番のため白いポロシャツにスラックス姿だ。左手に大きな鞄を持っていて、そのせいか少し姿勢が左に傾いている。
「元気そうで何より。軍には慣れたかい?」
「そうでもない」
葵が言うと、おやてっきりもう全てを掌握した気でいるかと思った、と父は皮肉を吐いた。いつもにこにこしているが、決して甘い一辺倒の父ではないのだ。
「猛には会った?」
「ああ。親父が呼んだのか」
「うん。もっと時間がかかるかと思ったけど、スムーズに帰ってきたね。前より料理が上手くなってた。ムサカがまた食べたいな」
「世界各国、料理ができる人間は受け入れられるだろうからな。しかし、料理をさせるために呼んだわけじゃないだろ」
葵が皮肉を返すと、目の前の父がにやりと笑った。巌が後ろから父に向かって声をかける。
「昴。葵にはお前から話すか」
「ああ、そうするよ。さっき猛から、護衛艦沈没の話は聞いたろう」
葵は黙ってうなずく。
「詳しいデータは今渡しておこう」
昴は左手に持っていた鞄を、葵に向かって突き出した。受け取った手に、鞄の取っ手がみっしりと食い込む。全部デジタルのデータにすればいいのに、未だに父と爺さんは紙の資料を好むのだ。まったく、非効率な。
「……これを見ればわかると思うが、富永を、もはや放っておくわけにはいかない。相手が一番苦しくなるタイミングまで泳がせるつもりだったが、もう限界だ」
昴の目に一瞬強い気迫が宿る。葵も同意した。




