止まない葬列
葵の目の前に、ぼんやりと薄い白靄がかかっていた。こめかみがうずき、耳鳴りがする。痛む頭の向こう側で、誰かが涙声でしゃべっている。
一面灰色の壁の部屋の中にいた。天井は高く、簡素な椅子にびっしり人間が座っているが、雑談ひとつ聞こえてこない。全体が重苦しい雰囲気に包まれた中、葵はぽつんとその部屋の一番後ろに立っていた。
部屋の照明は落とされていて、前方の白花で埋まった台のところだけがスポットライトで照らされている。目をこらすと、台の真ん中には黒い額で囲まれた写真が据えられている。ここは葬式の会場か、と葵は息をついた。それなら空気が重いのも当然だ。
遺影を見ると、まだ青年とも呼べない、若い男が八重歯を見せてにっこり笑っていた。その写真の前で、真新しい軍服に身を包んだ少年が弔辞を読み上げていた。遺影の少年と同じくらいの年だ。弔辞を読むくらいだから、きっと仲がよかったのだろう。
「今日、君にお別れを告げることになろうとは夢にも思いませんでした」
少年はつっかえながらも、気丈に別れを告げる。湧き上がる感情を抑えきれないのか、語尾が時々掠れて溶けていった。
「君は中学生になって、ますます大きく強くなっていきましたね。いずれは出世して、お前を部下にしてやると冗談交じりによく言ってくれたのを覚えています」
会場のあちらこちらからすすり泣きが漏れる。その中で、ぴんと背筋を伸ばしたまま、微動だにしない一団がいた。彼ら彼女らは全員同じ制服をまとい、じっと少年と遺影を見つめていた。
軍人か、警察か。いずれにしても一般人ではあるまい。葵は一団に、自分と同じにおいを感じた。よく遺影を見てみると、少年の着ている服は謎の一団と同じデザインだった。
「僕はそんな君にいつもこう言い返しましたね。面白い冗談だと。でも、本当はそうなったらいいだろうなと心の中では思っていたのです。自分の小さいプライドのために認められませんでしたが、僕は本当に君を尊敬していました」
ここで大きく、遺影に相対した少年の肩が上下した。数回、苦しげな息を吐いてようやく彼は続きを語りだした。
「お前の下で働きたかったよ。今でも、これが夢ならいいと思っている。理屈ではわかっていても、割り切れない」
苦悩の声。決して答えなど返ってこないとわかっていても、それでも数多の『残されたもの』たちはこの声を上げ続けてきた。特に鬼籍に入ったものが若い場合は、その声は悲痛な叫びに近い。
葵は隊に入ってから何度もこの声を聞いている。今月に入ってからだけでも、弔辞を聞くのは三回目。訃報だけなら数え切れないほどだった。
ベテランもいれば、入ったばかりのデバイス使いもいた。葵を邪険にしないものもいれば、露骨に嫌うものもいた。しかしどうあれ、彼らはこの世にもういない。背中に背負う死者の無念が、みしりと重くなった。
「ぐ」
急に胸の辺りに、強い圧迫感を感じて葵はうめき声をもらした。すぐに耐え切れなくなって、床にうずくまる。埃ひとつない白い床に、葵の陰が黒く落ちた。
この痛み、まさか心臓か? 葵は冷や汗をかきながら、最悪の事態を想像する。葵の年で狭心症や心筋梗塞のリスクは低いはずだが……。
「おはよう、にいに」
「都、体重を胸にかけるのはやめてやれ。肋骨折れるぞ」
体の上から降ってくる、幼児特有の高い声を聞いて葵はすべてを理解した。夢うつつで昨日出席した葬式を思い出している間に、自分を起こしに来た妹が胸の上に乗っていたのだ。四歳児がどっかり胸の上にのしかかっていればそりゃ痛みも出よう。物理的な痛みを心臓発作と勘違いしたとは情けない。
都を止めようとしているもうひとつの声は確か、あいつのはずだ。巌によく似ているが、声質がずいぶんと若い。
「おはようじゃあああ」
言っても聞かないお年頃の四歳児は、みっちりと全体重をかけて葵の上半身に張り付いている。そろそろ季節が初夏へ変わろうとしているこの季節、幼児の体温はひたすら暑く感じた。
「にゅー」
「はいこっちな。ったく、言っても聞かないのは悪い子だぞ」
急に都の体温がなくなり、胸の圧迫感が消えた。葵は大きく息をつき、新鮮な空気を大きく吸い込む。そして、ようやく寝床から上半身を引き剥がした。
ベッドの下のほうから、まだ都の不満声が響いている。見ると、屈強な男が都の襟首をつまんでいた。
男の身長は高く、葵が踏み台を使わないと届かない本棚の上まで頭が届いている。彼は体もがっちりしていて、巌の体格を少し縮小した感じだ。もちろんこれは巌と比べたからで、一般人とは比べるまでもなく大きい。
「……猛兄貴か。また変な虫持ち込まないでくれよ」
「兄貴にもっと別の反応は?」
葵のそっけない物言いが気に食わないようで、猛はぐいと前のめりになって葵に迫ってくる。朝からあまりさわやかではない。
「顔を近づけるな長男。むさいのが感染る」
「うるせえ、感染せるもんならとっくにやってるよ。ったく、ほかの兄弟は全員親父かお袋似のしゅっとした顔なのに、なんで俺だけ爺さん似なんだか」
むっとした顔で猛が葵をにらみつける。彼の顔は、ベース型に近いがっちりした顎に、意思の強そうな太い眉毛と大きな目が配置されていた。武士の世界に生まれれば、さぞかし睨みがきいたことだろう。数日剃っていないような無精髭がよけいに浪人っぽい。
「ここ五年――正確には四年と十ヶ月、家に帰ってなかったな。なんでまた急に帰ってきた。長男としての自覚でも出てきたか」
「仕事がひと段落ついたんだよ。末の妹の顔も見たかったしな。しかし、この年になってまた兄妹が増えるとは思ってなかったぞ」
「親父殿とお袋が夜中にせっせとがんばったからだろ。お袋の趣味は出産と子育てらしいからな。仲のいいことだ」
「だっこ」
葵たちの話の脈絡を無視して、都がいきなり割り込んできた。やれやれ、と長兄はため息をつきながら末っ子を抱き上げる。筋肉のついた腕は都を軽々と抱き上げた。幼児を抱き上げるには十分な力があるようだ。遊んでばかりの五年間でもないらしい。
「都はだっこ好きだなあ」
「すきじゃ」
都は巌にするように、猛の首筋にしがみついている。随分なついたなと葵は感心した。都が生まれてから、猛は一度も家に帰っていない。元が人懐こい子だとはいえ、ひどく短期間で手懐けたものだ。
葵が感心してそう言うと、猛はにわかに顔をしかめた。
「最初は大変だったんだぞ。見知らぬ人には近づいてはいかぬ、とか言ってずーっと障子の奥から出てこなくてよ」
「ほう。いったいどうしたんだ」
「そこはまあ、俺の腕をふるったわけさ。トヨが都はパンケーキを好きだと言うから、死ぬほど焼いてやったら匂いにつられて出てきたぞ」
なるほど、言い方は悪いが餌で釣ったわけか。葵はうなずいた。
「それで懐柔されたのか」
「ばっちりよ」
末妹は小さい体に似合わず、とにかく食べることが大好きだった。旨いものを作る人に悪いやつはいないと本気で信じているらしい。
いずれどこかで認識を改めてもらわねばならないが、まあ今でなくてもよかろう。長男がすんなり受け入れられたのであれば、それでいい。
「しょくどうへゆくぞ」
「ん、腹減ったのか?」
「うむ」
大人が話しているのに焦れたようで、都が猛にせがんだ。都の言葉を裏付けるように、彼女の腹からぐうと派手な音が鳴った。小さな体のどこから出てくるのだろうと思えるくらい、豪快な鳴りっぷりである。
「お前はどうするよ。一緒に行くか? 部屋で食うか?」




