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あやかし殺しの三千院家  作者: 刀綱一實
籠中の獅子たち
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遅れてきた王子(?)

「きみ、大丈夫?」


 澄んでいて、年を経た濁りがない男の声がした。若い男が、びっしょりと濡れた水色の馬にまたがってみやこを見下ろしている。


「私は大事ない。そなたは誰じゃ」


 都が一礼しながら答える。馬上の男はにっこりと笑いながら敬礼をした。


「あ、僕は瀬島せじま。今は大和やまと君と合流してる。さっきの昆、当たらなかった?」


 どうやら柱に見えたのは、大和のデバイスが巨大化した姿らしい。危なかったぞ、と正直に都が言うと、悪意はないんだよと瀬島は釈明した。


「そうしないと助けが出せない位置にいたから。命があってよかったよ」


 都の目をじっと見つめていた瀬島がそう言った。さようか、と言って礼代わりに都が瀬島に笑顔を向けると、彼はなぜか真っ赤になってぷいと顔をそらした。なぜじゃ。無礼な奴め。


「ここを抜ける。手伝ってくれ」

「うん」


 また狒狒ひひたちが襲いかかってくるが、今度はこちらの数が多いため、さっきより有利にことを進めることができた。息を切らしながらも、都も新たに一頭を骸に変えた。


 もう一頭、と意気込んで足を進める。その瞬間、目の前に怒りに燃える二つの目玉を見た。


 さっきのやせた子供か、と思ったが違った。その目はすぐに消えたが、気配はあい変わらずある。斬ろうとしたが腕がすくんだように動かない。全身なにやらすべすべした触手に覆われている。こちらの体を的確にしめつけてくるくせに、つかもうとするとなぜかするりと抜けていく。


 周りを見ると、瀬島が腕を振りあげ、足を半分浮かせた状態で固まっている。自分と同じ状況なのだろう。不思議なことに、体に巻き付いているはずの触手がまったく見えない。端から見るとなぜ固まっているのか全くわからないだろう。


「ふはは」


 地面から笑い声がする。見ると、水をいっぱいに入れた透明な風船が地面からにょきっと生えていた。その風船には、灰色の目がついている。信じられないが生き物のようだ。


 さっきまでさんざん踏みしめていた堅い地面である。地下通路も、それに通じるような出入り口もないのは明白だった。なにもない空間を、水信玄餅のような球体がすいすいと泳いでいく様は非常に滑稽だった。


「様子を見に来てみればこのざまか。天逆毎あまのざこさまと佐門さもんさまの退却命令を反古ほごにしおってからに。この未熟者」


 狒狒たちに向かって、球体はひどくぞんざいな口をきいた。狒狒がきいきいと反論らしき声をあげるが、球体は聞く耳持たずにずるりとさらに深く地面にめりこみ、そのまますうと薄れて、触手同様透明になってしまった。


「しくったのう」


 都は腕を振り回すことすらままならない。右手に握りしめた刀を取り落とさぬようにするだけで精一杯である。今はまだいい。さっきの球体の意識が狒狒たちを退却させることに向いているからだ。


 だが、いったんそれが終わってしまうとどうなるか。この透明な触手でじわじわと首を絞められて絶命する自分の姿を想像すると血の気が引いた。


「たぶん、さっきの頭をねらわないと大したダメージにはならないと思うよ」


 近くにいた瀬島がばしゃりばしゃりと水しぶきをあげて触手を攻撃している。さっきは気づかなかったが、彼のデバイスはなにやら細長い鞭で、一振りするたびに透明な馬が駆け抜ける。確かに、これなら本体が動けなくても支障はない。


「もっとやれぬか」

「やっても効かない。よっぽど強い力でぶち当てるか、君みたいに切る能力者じゃないと厳しい」


 都はちらりと眼鏡の青年を見やる。彼も直立した姿勢のままで固まっていて、なす術なし、というように首を横に振った。


「銃弾ではなおさら無理じゃろうな」

「万策尽きたんやろか」

「このまま狒狒に噛み殺されるか、首を絞められるか。いずれにしろ悲惨だね」

「死ぬのはお布団の上と決めておる」


 憤然と言った都の様子がおかしかったのか、瀬島はくっくと笑った。


「まだ、あきらめないか」

「当然じゃ。まだ死んでおらぬ」


 都はそう言って、じっとりと正面の一点をみつめ続けた。狙うなら、若者が言うようにあの頭がでてきた一瞬しかない。かすかな可能性にかけたが、あのはげた頭が浮上してくる気配はちっともなかった。


 その間にも、触手はぎりぎりと首をしめつけてくる。とっさに左手を首に当ててわずかな空間をつくったが、手首ごと折られそうな勢いで締めあげられていく。


 とうとう、目の前がぼやけてきた。目の前にちかちかと黒い点がまたたき、次第に大きくなっていく。最初は小さかったくせに、ぶちぶちとつながって、自分の視界も意識も丸ごと飲み込んでいく。

ああ、死ぬのかと都は思った。理屈ではなく、直感だった。



 次の瞬間、都は乱暴に地面に投げ出されていた。堅い地面にしたたかに左半身をうちつけて、うっと一瞬息をのむ。反射的に、大きく呼吸をした。


 なんの抵抗もない。すうすうと、新鮮な空気が肺に流れ込んでくる。その心地よさに目を見張った。ただ息ができるということで、こんなにも晴れやかな気持ちになるのか。目の前の不吉な黒点は、もう影も形もなかった。


 もっと空気を吸おうとして胸を動かす。急に入ってきた酸素に肺が驚いたのか、激しくせき込んだ。同じように空気を吸っている他の二人の呼吸音と、都の咳の音が混じり合う。


「間に合うてよかったわ」


 ひどく明るく、この場にそぐわない、しかし聞き覚えのある声がする。都は顔をあげた。


「そなたは確か」

「お待たせしましたー。みんなのやまぴーやで」


 やまぴーと名乗った男は、にやにやと真紅の崑を振り回しながら立っていた。


「今回あいつばっかり活躍してなー。俺ええとこあんまないねん」


 『あいつ』が誰を指すかは都にはわからないが、大和の表情からすると決して好いてはいない相手なのだろう。


 都が話しかける暇もなく、大和はぴょんと立ち上がって、この場に姿をみせない信玄餅に向かって語り始めた。


「姿が見えんでも当ててやったぞ。今ので俺の実力はだいたいわかったやろ。出てこい」


 出てこいと言われて素直に来るようなやつだろうか、と都はいぶかった。しかし大和の方は来るものと決めてかかっていたらしく、相手がさっぱり姿を見せないのでアヒルのように口をとがらせていた。なんて単純な男だろう。


「さよか。ならこっちからいくで」


 大和はそう言うが早いか、とんと地を蹴った。一瞬の迷いもなく、都からすればなんの変哲もない地面をじろりとにらむ。


「仕舞いや」


 そう大和が言ったとたん、崑がぐうんとしなる。彼が振った崑が、なにもない空間を踊る。一瞬、崑の優雅な直線がしなったのが都にははっきりと見えた。ばちん、と音をたてて何かが弾き飛ばされる音がした。


「見えるのか」


 前方の何もない空間から、老人の声がした。では、そこにあの妖怪がいるのか。都は目を細めた。


「よう見えへんわ。けったいな体しよってからに」


 ではなぜ、と球体は聞きたそうな顔をしたが、口には出さなかった。


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