クズの意地
鵺の攻撃も加わり、すでに巌が盾にしていた自動車のフロントガラスには派手なひびが入っている。車体のドアが一つもげて校庭に転がっていた。
巌もそろそろ捨てる気らしく、持っていた車体をぽいと傍らに放り投げる。捨てられた車体からガソリンが漏れだし、じわりと地面に広がっていった。
「じじい!」
葵は巌に声をかける。鵺の鋭い爪をよけた巌は、めんどくさそうに顔をしかめた。
「交代だ! 長いこと戦うなって医者に言われてるだろ」
「は?」
巌はなに考えてんだ、と言いたげな表情で葵の顔をみた。当然だ。彼は七十を越えた今であっても、自分より二十以上下の医者よりよっぽど頑健である。しかし葵は無言で、前方で戦っている隼人を指さした。
「……あー、そういうことな」
なんとなく葵のいいたいことを察したのだろう。ばちんと孫の背中をたたき、自分のかわりに前に押し出した。
「なんだえ。今度はずいぶんひょろひょろなのが出てきたね」
「老人はもう腰が痛いんだってよ」
葵がそう言うと、鵺はがはは、と体を震わせて大笑いした。
「そんなタマにゃ見えなかったね。あんたよりよっぽど頑丈そうな年寄りじゃないか。肉もあんたより多そうだ」
「親鳥は肉が堅くてまずいもんだと決まってるだろ」
「そうかえ。そこまで言うなら味見させておくれな」
鵺が飛んだ。葵は横に飛びのいて、鵺の一撃をようやくかわす。鵺は容赦なく、ぐるりと向きを変えて葵の方へ再び突進してきた。
今度は糸を目くらましに張り巡らせ、一瞬だけ鵺の視界をさえぎる。しかし、鵺はひょうひょうと楽しそうに鳴きながら、目くらましをものともせずに一直線につっこんできた。
二度目は間に合わず、なんとか爪の直撃はかわしたものの巨体にはねとばされ、葵は空中に浮かぶ。己の下半身に真っ赤に焼けた毛皮がぶつかり、葵はかすかに悪態をつく。
その間にも、地表が急速な勢いで近づいてきていた。まずい、と思ったが受け身をとる余裕もなく体が地面にたたきつけられる。ヘルメット越しでも、がずんと鈍い音が聞こえてきた。
視界がぐるぐる周り、起きようとしても起きられない。痛みに耐えられず、目の端から涙がこぼれた。ヘルメットをつけていなければ、これだけで自分は死んでいただろう。
「弱い」
なすすべなくひっくり返った葵をみて、鵺は一言ぼそりと言い捨てた。
「弱い。弱い弱すぎる。つまらないにもほどがある!」
鵺は怒りながら、地団太を踏んだ。
「さっきのジジイと月とスッポンじゃないか。どういうつもりで出てきたんだい。よっぽどうぬぼれてたんだろうね。ガキらしいっちゃらしいけど」
ここまで言われたところで、葵はようやく両の目を完全にあけることに成功した。ヘルメットの覆いを通して、自分を覗き込む金色のまん丸い目が見える。
「教えといてあげようか。あんたはクズさ。決して、決してあのじいさんたちとは同じ土俵に立てはしないよ」
葵はそれを聞くと、びくりと大きく体を震わせた。鵺がおもしろそうに笑う。生臭い息が直接顔にぶちまけられ、葵は激しく咳きこんだ。
「かわいそうにね。でも心配しなくていいよ、ここで殺してあげよう。最後に、きれいな血柱あげて私を楽しませておくれな」
「嫌だ」
葵がきっぱり言った。鵺は強がりを聞いて楽しそうに笑う。
「そういう奴の首を刈り取るのが一番楽しいのさ。なにも持っていないくせに、生きる意欲だけは一丁前な奴の」
葵は笑った。痛む体を震わせ、体全体で思い切り嘲りを表現する。
「なあ。それで俺が傷つくと思っているのか」
獣がうなり声をあげた。さっきとは明らかに違う目で、葵をしげしげと見つめる。
「わかっているよ、それくらい。兵士としちゃ俺は屑だ。じじいのように戦う才能なんかない。だが、うまくできたことに天は俺に違う才能を与えた」
鵺はぱっと葵から目を離した。ようやく気づいたのだ。目の前に横たわっている人間が、何かをたくらんでこちらに喧嘩を売ってきたことに。
「小僧」
鵺の輝くふたつの目が、さっと葵から離れた。震えるほどの威圧感がなくなり、葵も四つん這いになりよろよろと体を起こす。
葵の目が前方の景色をとらえる。巌が腕を引き、何か大きな鉄の塊を投げようとしているのが見えた。
「やめぬか」
鵺が老人に飛びかかろうとしたが、時すでに遅し。巌の屈強な右腕からすでに弾丸のような勢いで、大きな鉄の塊が放たれていた。勢いのついた鉄塊は、鵺に向かって全くスピードを落とさぬまま飛んでいく。いかに怪力といえど、真正面からこれを食らえばただでは済むまい。




