女サムライは戦場に舞う
「九時」
響がぼそりとつぶやいた。怜香が顔を上げると、時計の時刻は八時五十分を少し過ぎたところだ。時刻を告げるとしたら、響の読み上げは少しずれている。
(ということは、とうとう来るわね。強行突入)
怜香は起きあがって腰を伸ばした。眠っていたのか、軽く身じろぎをした大和に、同じ時刻をつぶやく。彼もすぐに理解したようで、顔がひきしまった。
怜香はさっそく、眠っていた都の肩を叩く。体が温まり、ふにふにと寝かけた彼女にチョコレートを与えて覚醒させる。さっきごり押ししてホールのシャワーを浴びさせてもらったおかげで、都からは石鹸のいい匂いがした。
遅い食事をしていた一丞が不摂生を咎めるような視線を向けてきたが、怜香は無視して色とりどりの包装紙にくるまれたチョコを都に握らせた。
「ジュースもあるわよ」
「わあい」
この時のために、怜香はこっそり、できるだけ子供が好みそうな甘ったるい菓子とジュースを選んで残しておいた。普段は夜に甘いものを禁じられている都が、風呂上がりのタオル巻きのまま喜んで飛びつく。
怜香が都の目の前のジュースホルダーに、蓋をあけたパックのジュースを置く。都が喜んで手を伸ばそうとしたそのとき、一丞がごほごほと激しくむせ出した。
どうやら、そんなに甘いものを与えないでくれと怜香に苦情を言おうとしていたらしい。が、ちょうど自分が口の中にパイをたらふく詰め込んでいたせいで、食事が気管にひょいと飛び込んでしまったようだ。
怜香があっと気づいた時にはもう遅い。一丞は反射的に目の前にあったジュースをつかみ、一気にのどへ流し込んでいた。
「ふー、助かった」
すっきりした一丞の表情と裏腹に、怜香は自分の頭から血の気が引いていくのを感じた。
「それにしても、これ甘ったるいです」
最後のね、という一文字を言おうとした一丞の唇が、その形のまま固まった。見る見る間に顔が真っ赤になり、その後血の気が引いて紙のような白い顔になる。
ぎゃあ、ともぐう、ともいえない叫び声をあげ、一丞は座席にそのまま前のめりになって小刻みにふるえだした。彼が膝掛けにしていた大きな薄い毛布が、地面に音もなく落ちて広がる。
怜香はとっさにジュースのパックを手に取った。幸いなことに、一丞は中身をすべて飲み干してはおらず、振ってみるとわずかに中で液体が動くのがわかった。
一丞の苦しみように、見張りの妖怪たちが色めきたった。
「なんだ、いったいなにがあった」
「あの男が急に苦しみだしたぞ」
怜香は、どうかあと数分待ってくれ、と心の中で祈らずにはいられなかった。どうか、禁断の一言を誰も口にしないで。
しかし、彼女の期待をぶち壊すかのように、イッポンダタラの一人が大きく怒りの声をあげた。
「毒だ! やはり人間ども、人質もろともわれらを殺す気だったか」
一気に、若い男たちが殺気だった。舞台にいるゴーライに口々に詰め寄り、報復をと訴えている。ゴーライはしばらくしかめ面をしていたが、首を横に振った。
「勝手なことをするな!」
しかし、ゴーライからの制止がでても男たちから混じりっけなしの殺気が吹き出てくるのを怜香は肌で感じ取った。自分たちだけではない。精神的に追いつめられていたのは彼らも同じなのだ。
もう、一刻の猶予もない。怜香は覚悟を決め、パックに残ったわずかな量のジュースを都の口元へ持っていった。
「おい、そこの女。なにをしている」
「早く潰せ」
様子のおかしい怜香に目を留めたイッポンダタラが、ぐわりと大きな石槌をふりあげた。
悲鳴をあげることすら忘れ、息をのむ音だけが聞こえる室内に、まもなくどすんという大きな音がこだました。
「うおおっ」
野太い声があがる。悲鳴を上げたのは怜香ではなかった。さっきまで槌をふりあげていた大男が、先が付いていない槌を振りまわして叫んでいる。
「一度だけ忠告してやろう。そこを退け」
イッポンダタラの低音に混じって、軽やかな若い女の声がする。錯乱したイッポンダタラは下がるどころか、女の声のする方へ一歩足を進めた。
ひゅん!
なにかが空を切る気配がする。それに続き、今度はぼとんとさっきより軽い音が聞こえた。今度はイッポンダタラは叫ばなかった。飛んだのは彼の首だった。
きり、と地面をひっかく音がする。一振りの日本刀を携え、むくりと一つの人影が立ち上がった。
怜香に背を向けているため顔は見えないが、背中の途中まで伸びた混じりっけなしの黒髪が照明をうけてぴかぴか輝いている。背は低く、体は細い。しなやかな腕がすんなりと伸びている。
少女は軽く首を曲げて自分の姿を見る。全裸だと気づいて軽く顔をしかめ、地面に落ちていたタオルを拾って雑に体に巻き付けた。
「その女を殺せ!」




