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鎧を身に付けたジル姉に対面し、将軍は絶句していた。
ジル姉は歓喜に沸く人々の声を物ともせず、無言で男の前に立つ。白く輝く、抜き身の長剣を携えて。
これが用意した策のすべて。大将軍には内緒で、レナード宰相を通じ王に頼み込んだ。将軍が勝ち抜いてしまった時、最後の最後に立ちはだかる絶対の砦として。
ここまで到達できた彼を心から称える。でも、もう終わりだ。
『皆様、疑問にお思いでしょう。なぜ、今になってダウテが姿を現したのか』
私が話し出すと、歓声が少し小さくなる。皆、興味があるようだ。
『十年前、賊討伐の最中に死んだと思われていたダウテは、実は生きていたのです。今では兵士を引退し、妹とともに王都で薬屋を営んでおります。しかし今日、再び剣を持って現れた。なぜか』
椅子から立ち、舞台役者にでもなった気分で客へ語る。
『オーウェン将軍が結婚を望むご令嬢というのが、ダウテの妹であるためです』
どよめきが、広がった。
『そして、私の姉でもあります』
包み隠さず話そう。ここまで目立ってしまったのだ、いずれは知られてしまうだろうから。
『ご存知の通り、オーウェン将軍は名門貴族のお家柄。ダウテはかつて王室警護という栄誉ある任務を賜っていた者とはいえ、出身は農民です。その妹との婚姻はあまりに不相応。しかし、それが剣を持って立ちはだかる理由になるのではありません』
観客にというより、一番はオーウェン将軍に伝えるために、正直な気持ちを暴露する。
『生まれてから今まで、ずっと一緒に生きてきた大事な家族を赤の他人が奪っていく。そんなこと、どうして了承できましょうか』
できるわけがない。その気持ちを強く言葉に込める。
『皆様、想像してみてください。娘、姉、妹、愛しい家族の誰でも構いません。ある日、男が突然家にやって来ます。その男は、あなたが一生をかけて慈しんできた美しい宝を奪うために来たのです。たとえ相手がどんな者であれ、あなたにとってその男は略奪者。どうして、剣を向けずにいられましょうか。自分以上にその宝を大切にしてくれるのかわからないまま、どうして渡すことができましょうか』
恐れず、将軍を指す。
『立場も何もかも全部無視して、力ずくで奪いに来たあなたのことは、力ずくで追い返します。負けたら姉の前には二度と現れませんよう、王の御前に誓ってください。この会場にいる観客全員が証人となります』
胸いっぱいに息を吸い、問う。
『この勝負、受けますか?』
呆気に取られているばかりだった将軍が、ぐっと顎を引いた。
「受けて立つ」
マイクなしでも響き渡る太い声で、彼は衆人の前に堂々宣言したのだった。
『では将軍、武器を換えましょう』
ジル姉が持っているのは長剣。よって、私は彼に提案した。
ちょうど、試合を終えたばかりのラウルさんが、両手に一つずつ長剣を持って来てくれたところだ。
『向かって右は魔剣、そして左はただの剣です。魔剣には先程のラウル選手と同じ、雷の魔法が込められています。ちなみに、ダウテの剣は魔剣ではございません。しかし御身はすでに五回の試合をこなし、お疲れでしょう。加えて、相手は最強を冠した兵士なのですから、ここで魔法の力に頼っても誰も責めません。どちらをお使いになりますか?』
せめてもの慈悲、というのでもない。これも彼の覚悟をはかるためのもの。
ボロボロの将軍は迷わず、左の剣を手に取った。
「自力で勝たねば意味がない」
彼は初志貫徹を選んだ。
魔剣の闘技大会、だったんだけど。最後の最後はなんの変哲もない、原始の時代から続けられているような決闘になってしまうわけだ。
「ジル姉っ、勝ってね!」
マイクを外し、冷静に佇む姉へ呼びかける。
目立つことが決して得意でないジル姉は、まだ兵士だった頃、最初の闘技大会を軽い腕試しのつもりで出場し、後のほうは盛り上げ役として命じられ、仕方なく出ていたようなものだったらしい。なので私がこの作戦を提案した時はちょっと複雑な顔をしていた。
でもリル姉のために、戦うことを決めてくれた。ジル姉だって私と同じだ。慈しみ、成長を見守ってきた大事な家族を、そう簡単に渡すことはできない。
ジル姉は振り返って、「安心しろ」と言うように頼もしい笑みをくれた。
『皆様、準備はよろしいですか?』
大勢の観客、裏で協力してくれた人々、将軍、ジル姉、そしてリル姉を、順に見回す。
リル姉は胸の前で両手を組み合わせ、席を立っている。
必ず見ててね、リル姉。
『――始めっ!』
これまでと同じように、開始のトランペットが響き渡った。
ヤジだか応援だかよくわからない、大きな歓声が場を包み込む。その中で、剣を構える前に将軍はまず言葉を紡いだ。
「世に聞こえたダウテが、貴殿だったとは。これも天空神の導きか」
疲れの色を見せながらも、その表情は楽しげだ。
「最強と謳われた戦士と手合わせできること、光栄に思う」
言われたジル姉は、にこりともしなかった。
「単なる手合わせとお考えか」
熱気が満ちる会場に反して、ジル姉の態度は冷ややかだ。冷静で冷徹な、きっとこれは兵士時代のジル姉の顔なんだろう。
将軍は、緩んだ笑みを消す。
「いや」
剣を顔の横に構え、ジル姉を鋭く見据えた。
「死ぬ気でかかる。良いな」
「それでこそ」
ジル姉は両腕を楽に降ろした構えを取る。
先に動いたのは将軍だった。
剣を顔の横に構えたまま強烈な突き、と思いきや、予備動作なしで刃をいきなり斬り下げる。すでに五戦を終え、疲れ果てていてもおかしくないはずなのに相変わらず、私の目ではその動きを追うのが難しい。
見えたのは将軍が突撃したところまで。
瞬きの後、地に転がっていたのは、将軍だった。
観衆がどよめく。見えた人はいただろうか。ジル姉は一歩足を踏み出しただけで、その場をほとんど動いてない。前に突き出した剣をゆっくり戻し、最初と同じ構えになる。
剣を落としかけた相手を追撃もせず、静かに見下ろしている。
『・・・カウンターで腹を突かれたようです。鎧を着ていなければ穴があいています』
ロックが一拍遅れて、解説してくれた。鎧の上からの攻撃で将軍を吹っ飛ばしたってこと?
圧倒的に余裕。
たった一度斬り結んだだけだが、ジル姉、期待以上です。
将軍が素早く起き上がり、間をあけずに斬りかかってきたのを、ジル姉は剣を水平に構えて受け止める。そして相手を弾き飛ばした際、添えていただけの左手で刃を握り、右手をその傍に持ち替えた。
剣を逆さに、刃の半ばの部分を両手でがっちり握って構えたのだ。
びっくりしたが、思い出した。魔剣を作る時にいじったから覚えてる。片手剣と違って、長剣は全体の三分の一くらいの部分にしか刃が付いていないのだ。本来は馬上で使う剣だからなのか、全面で斬れる必要がないらしい。
今度はジル姉のほうが、上段から斬り下ろす、というより殴りかかる。将軍が咄嗟に剣を水平に構えて受け止めると、そのままジル姉は剣を引いた。その時、左右に突び出した十字の形の鍔に将軍の剣が引っかかり、防御が開かれる。
前面ががら空きになったのだ。すかさずジル姉は将軍の額を目がけて突き入れたが、将軍にはのけぞるようにして避けられた。
するとジル姉は再び剣を手前に引く。戻り際、次に鍔が引っかけたのは将軍の首だった。
ぐん、と後ろ首を押されて、前に倒れ込む将軍の腹に、ジル姉が膝を入れた。ギートがやられたやつ!
三回戦で見た光景と同じ、地に手をついた将軍を、ジル姉はゴルフボールでも打つみたいに下から柄で殴り上げる。
血が、地面に散った。
将軍はぎりぎり剣で防御し、後ろに跳んで逃げたものの、打撃の勢いを止め切れずに少し当たったらしい。立ち上がって顔を上げた時、口の端から血が流れていた。
ジル姉は追わず、その場に隙なく佇む。
将軍は血の混じった唾を吐き、口の端を篭手で拭った。
「強い・・・」
将軍は、笑っていた。
ジル姉の腕は全然衰えていないんだと思う。最近は、ギートとの稽古で昔の勘をだいぶ取り戻してきたとも本人が言っていた。
将軍が万全の状態だったとしても、ジル姉に勝てるかはわからない。
絶望的な状況だ。剣のこと、戦いのことをほとんど知らない私でも、心の底から今は勝利を確信できる。
それなのに、将軍は笑う。
なお揺るがない闘志を瞳に宿し、敵へ斬りかかっていく。
「ダウテ殿っ、エメっ!」
激しく斬り結びながら、将軍が吼えた。
「貴殿らに感謝するっ!」
突然に人の名前を叫んで何かと思えば、続いて飛び出したのはそんな言葉だった。
「夜の闇から、無頼の輩から、ここまでリディルを守り抜き、私に巡り会わせてくれたことをっ!」
あんたなんかの、ためじゃない。
だが将軍は自信に満ち溢れ、まるで疑いもしていない。
「その役目、これより先は私が貰い受けるぞっ!!」
何を言うのか。
まだプロポーズもできてないくせに。すでにボロボロのくせに。好きな女の前じゃフニャフニャになっちゃうくせに。覚悟ばかりがあって、守りきれる保証はないくせに。かっこつけてくれる。
「やっちゃえジル姉っ!」
観客と一緒になって、怒声を上げる。
声が重なり反射し、誰が誰を応援してるかなんてわからない。
将軍の剣を弾き、ジル姉が斬り返す。足元がふらつく彼は、もはや防御もままならない。
歓声と悲鳴が同時に会場を埋め尽くす。
『―――負けないで!』
荒れ狂う声の海を割り。
一つ、まっすぐな声が響き渡った。
私があげた魔石を胸の前で祈るように握りしめ、手すりに身を乗り出して叫ぶ、リル姉の姿が見える。
『オーウェン様っ!!』
―――あぁ。
私はこの瞬間にすべての力が抜けて、腰が椅子に落ちてしまった。
背もたれに全体重をかけ、目の前の試合をただ眺める。
ジル姉がリル姉のほうを見上げた時、二人の剣がぶつかり合い、将軍の剣がするりと滑った。体はすでにジル姉の横へ回り、腕の間に潜り込んだ柄がジル姉の剣を、切っ先が首を狙う。
次の瞬間、剣が宙に弧を描く。
優雅なその動きに目がつられ、地面に落ちるまでを見届けた。そして視線を戻すと、首に切っ先を突き付けられたジル姉の姿があった。
しん、と会場が静まりかえる。
時が止まったかのように、誰も動かない。観客も、ジル姉も、将軍も。
「おい」
会場と共に消沈してしまった私を、ロックが隣から小突く。
「己の役目を果たせ」
・・・そうだ、まだ役目がある。私は決めた。約束した。審判には従わなければならない。
マイクを握り直し、再び立ち上がる。
『―――この結果に、異議のある方は前へ』
周りを見渡し、しばらく待っても、誰も動きはしなかった。
『なければ、永遠に口を噤んでいてください』
私は深く、息を吸い込む。
『勝者、オーウェン・ソニエール西将軍っ!!』
雪崩のような凄まじい歓声が、天に地に響き渡る。
本当に役目を終えて、私は椅子に落ち、大きく息を吐き出した。
・・・あーあ。なんでこうなったかな。
リル姉にあげた魔石は拡声器。ジル姉との戦いまで漕ぎつけられたら、こっそり起動してくれるようモモに頼んでいた。見事に狙い通り。でも、期待した結果とは違った。
なんだかたまらなくなって、視界を両手で覆う。
「負けたな」
ジル姉の声がした。傍に来ているんだろう。
「・・・うん」
顔を覆ったまま応えると、頭をなでられた。
「お前はよくやってきた。これからは、二人にまかせてもいいだろう」
「うん・・・」
目をこすって見ると、観客席に駆け寄った将軍が、その壁際で跪いていた。手すりから身を乗り出したままのリル姉に、どうせポエムみたいな痛いプロポーズの言葉を吐いているんだ。聞き耳を立てなくたってもうわかる。
「・・・私は、リル姉が幸せならいいよ」
幸せなんて定義は難しく、人それぞれだし、先に何が待ち受けているか誰もわからない。いつかこの時を後悔する未来だってあるかも。
だけど、たとえどんな結末を迎えるにせよ、私は、自分の意志で道を選ぶことが最上の幸せだと信じる。
判決は下された。リル姉は道を選んだ。
負けて奪われ、これからの私にできるのはきっと、本当にもう、見守ることだけ。
祝福の歓声に会場が包まれる中、私はまだもう少し、立ち上がる気になれなかった。




