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巨大な焔が、声援を焼く。
(ほんとに威力弱めてんのかよ?)
誰かの髪の色にも似たそれは、生身の人間を飲み込まんとしている。勢いよく剣を振るって炎を裂き、体を焦がしながら逃げのびるオーウェンを、ギートは観客席の下にある、石畳の通路の窓から観戦していた。
カルロに続く対戦相手は百騎を率いる将で、大将軍が用意した刺客である。彼からすればカルロは様子見の捨て駒であり、こちらが本命であった。この後に控えるギートらに出番を回すつもりなど微塵もない。
火はよく魔剣に使われる魔法であり、新作ではない。他には風の魔法が頻繁に使われる。新作は赤髪の魔技師が己の刺客に持たせた。すなわち、アクロイド家の三兄弟に、である。
とはいえ他の者が持つ魔剣にも修正が施され、普段の訓練よりも派手な動きをする魔法に対して、オーウェンは苦戦を強いられていた。
『えー、ダルニエ選手は先月お子さんが生まれたそうです。青い瞳の立派な男の子で、ダルニエ選手が傍に来た時にその腰にあった短剣を抜き放ったのだとか。戦士の血ですねえ! ぜひダルニエ選手には戦士のお手本としてご子息に勝利を贈っていただきたいものです!』
激闘の合間に、解説席からは試合に無関係の個人情報が垂れ流される。司会役は大会前に独自の取材で得た情報を、資料にまとめ手元に置いているのである。リサーチの結果発表を選手一人一人につきやり続けている。かくいうギートも初戦で晒されていた。
それは選手らにとっては気恥ずかしい以上に意味のない演出だったが、彼らの多くを知らない観客にとっては、親近感を抱いて応援するために必要な情報群だった。
ふと、ギートは背後に気配を感じた。
首を捻れば長兄が、陰った通路を歩いてくる。斜めに差し込む日差しの中にいるギートの隣で、足を止めた。
「次は将軍だな」
決着の前にラウルが予言する。怪我人が出たりなどの都合で試合順序に変動があったため、ギートの三回戦進出はすでに決定していた。
ギートは兄へ冗談交じりに返す。
「ここで終わるかもしんねえだろ」
「ありえない」
ラウルが確信を込めた直後だった。
眼前を覆った炎のわずかな切れ目を捉え、正確無比な突きが繰り出された。その剣先が、手首にある篭手の隙間に潜り込み、瞬時に歯を食いしばった敵を引きずり倒す。
オーウェンは勢いで火の壁を突破し、敵に馬乗りになった状態で剣の腹を首元に押し付けた。
『・・・そこまで! 勝者、オーウェン・ソニエール選手っ!』
司会は明るい調子で根底にある落胆を隠し、勝者の名を高らかに宣言した。
己のことでもないのに、ラウルが誇らしげに顎を上げる。対してギートは首を引っ込めた。
(わかっちゃいたが、普通に強ぇんだよなあ)
伊達に将軍という地位にいる者ではない。オーウェンのような人間は、生まれた時から将たるために、一瞬とて無駄なく修練を積んできているものである。同じ軍部にいるギートからすれば、その技巧はほとんど別次元のものであって、たとえ色恋沙汰で情けない姿を見せられようが、決して馬鹿にはできなかった。
魔法というハンデをもらっても安心にはならない。次の試合に向けて整備されていく会場を眺め、ギートは緊張を帯びた気を吐き出した。
「ギート」
唐突にラウルが呼ぶ。
「勝てよ。兄への気遣いは一切いらん」
「は? ・・・あぁ」
ギートがオーウェンに勝利すれば、決勝で主と真剣勝負をしたいラウルの希望は叶わない。だが、もとより兄を気遣う心など持ち合わせていないギートは、そこまで思い至っておらず、反応が一拍遅れた。
「勝機はある。俺の特訓でベソをかいていた頃に比べれば、お前は強くなった」
「いつの話をしてやがる」
まだ王都に移る以前、生まれ故郷でグエンに引き取られたばかりの時期の記憶を掘り起こされ、ギートは呻いた。その頃まだ新兵だったラウルは、生意気盛りな弟のプライドをしばしば善意で叩き潰していたのである。よってギートはいまだに、この兄に頭が上がらない。
苦い思いを噛みしめる弟の心情には取り合わず、幾分か砕けた調子でラウルは言った。
「いいか、近づかせるなよ」
「わかってる」
肩の力が抜け、ギートは笑みを浮かべた。
厳しかった兄の期待はそのまま、弟の中に自信を根付かせる。
「なんとかやってみるさ。俺にもご褒美が出ることだしな」
口にした後で、やはり自分は将軍を馬鹿にできない、とギートは思った。
**
『さあ、ここからは三回戦! 皆様まだ休憩には早いですよ? 張り切って参りましょう! 選手の登場です!』
二番目に呼び出しを受け、再び歓声の中にギートは身を投じた。
耳が麻痺し、もはやうるさくも感じない。すでに配置についたオーウェンと数メートルの間をあけて立ち、ギートは露わにした義眼と肉眼の両方で相手を観察した。
(けっこうボロボロだな)
身を整える暇もなかったのか、袖が焦げ付き、鎧が煤けている。かくいうギートのほうは、この試合までに十分な余暇があった。
将軍が息を乱している様子はまだないが、魔剣のハンデで他者よりも倍は試合に時間をかけている分、疲労が溜まっているはずだ。
(容赦ねえな)
ギートが解説席を薄ら怖い気分で見やると、当の本人と目が合った。
圧の強い両目が、「絶対勝てよ」と脅してくる。
(わかったっつの)
心中で応じ、剣と盾を構えた。
『――それでは用意っ、始め!』
鞭打たれた馬のように、号令で敵は駆け出す。
通常、剣を打ち合わせることで戦いが始まるのだから当然だ。しかしギートは試合前に一つ決めていたことがある。
それは、まともに戦わないこと。
ギートは敵を無視し、切っ先を足元に突き立てた。
「っ、!?」
まるで剣に押し出されたかのように、地面の一部が天に向かって突き上がる。正面を己より高い大地の角に阻まれ、将軍は激突寸前で急停止した。
『ギート選手、さっそく魔剣を発動! どうやら彼の魔剣は土を操ることができるようです! すなわち、この戦場そのものを武器とすることができるわけですね!』
(てめえが作ったくせに)
もとは堅い地面を耕すための魔法を応用したのだという。ギートは本人から事前に受けた講釈を思い出した。
白々しい実況に突っ込みを入れる余裕を持ち、ギートは走る。走りながら、剣先で地面を叩いていく。
後を追おうとするオーウェンの進路を大地が阻み続け、いつしか戦場には所狭しと角が立ち並んだ。
『すごい、これはまるで迷路です! オーウェン選手とギート選手はどこにいるのしょう? 解説席からはよく見えません!』
観客席からは、迷路を上から見ることができる。
ランダムに並ぶ角の間は狭く、まっすぐな道は一つもない。敵の姿を見失い、中央でオーウェンは足を止めてしまった。
ギートは近くの角の後ろにしゃがみ、息を潜めている。
(要領は同じ)
路地の陰から、裕福そうな獲物を狙っていた昔を思う。人に自慢できる過去ではないが、生き延びるために磨いた勘は、兵士としてのギートの宝だった。
足元の小石を拾い、オーウェンの頭上へ放る。
目敏い将軍の意識が上へ向いた隙にギートは飛び出し、右足に蹴り入れた。
「つっ、はあっ!」
膝の裏に襲撃を受け、体勢を崩しながらもオーウェンは剣を振るう。しかし最初から一撃だけで逃げる腹づもりでいたギートにはかすりもせず、追いすがるも巧みに迷路を逃げる者に追いつけない。
(兵士どうしの組手は慣れてても、悪ガキの相手は初めてだろうよ!)
通りすがりの角の一つに盾を引っかけ、そこを軸に急回転し、追って来たオーウェンの背後から体当たりをかます。
前にのめった相手をなおも放置して、再びギートは迷路の中に息を潜めた。
オーウェンは上品な見た目に反し、荒っぽい組手技を得意とする。剣を使って相手を投げたり殴ったりといった、いわゆるソードレスリングである。
よって、近づかせない。ギートのとる戦法は、寄せては引く奇襲。道行く人間の財布をすれ違いざまに抜くような要領だ。
歓声の中にはギートに対するブーイングが混ざっているが、当人は気にしない。これは訓練ではなく勝負。目的が勝利である以上、どんな手を使うことも恥ではない。
(どうせ正攻法じゃ勝てねえし)
開き直ってギートは剣を下段に構えた。
盾と一緒に柄を両手で持ち、辺りを警戒しながらやって来るオーウェンの左脇を狙って、剣を斜めに思いきり振り上げる。
そこで初めて、剣どうしがぶつかった。
ギートの不意打ちを、オーウェンは咄嗟の反射だけで受けたのだ。
「っ・・・!」
次の瞬間、オーウェンが苦悶の表情を浮かべる。右足での踏ん張りがきかず、よろめき剣を弾かれたところを、ギートはこの機に乗じて連撃する。
『ギート選手の猛攻! オーウェン選手、反撃に出られません! どうしたのでしょうか?』
近くの観客席に登った司会が、喜々とした実況をしている。対する解説役は淡々と任務をこなす。
『おそらく右足を痛めているのでしょう。一回戦の後から動きの鈍さが見られます。氷漬けにされた際に足を捻ったのでは』
『オーウェン選手、大ピンチです!』
右足の負傷はギートも気づいている。気づいた上で、ダメ押しのつもりの蹴りを入れたのである。ダメージの蓄積具合は、先の不意打ちを受けきれなかったことで確認できた。
しかし、手負いの獣はかえって厄介であることをギートは知っている。三度打ち込み受けられると、彼はなんの未練もなく退く。
ところが、せっかく寄って来た獲物を、獣はただで逃がしたがらなかった。
ギートが後ろへ跳んだ分、オーウェンは痛めた右足を大きく踏み込み、わずかに届いた相手の剣先を叩き落とす。
「なっ!?」
地面に切っ先がついたことで魔法が発動し、二人の間を角が裂く。
横へ転がり逃げたギートが起き上がると、目標を見失っていた。
(やり返された)
舌打ちし、視界の中に人を探す。
すると右手の角の陰に、はためくものが見えた。
「っ、と!」
金属のぶつかる音が、ギートの背後で鳴る。斜め後ろからの奇襲の刃を、ギートが盾を裏手に構えて受け止めたのだ。
「すいませんねえ。俺は後ろも見えるんすよ」
盾の向こう側に驚く表情を浮かべるオーウェンがあり、ギートは口の片端を上げた。
(危なかった)
右手にはためくのは、オーウェンがカモフラージュで土に引っかけた包帯の切れ端である。走り出す直前に義眼で影を捉えていなければ、騙されていた。
盾で剣を押し、オーウェンの上体を浮かせる。逆にギートは身を低くし、相手の左足に取りつき持ち上げた。
上背のあるオーウェンの体が、ギートの背を伝い転がり落ちる。
(っしゃ、できた!)
ジゼルに教わった技を決め、歓喜のまま振り返れば視線の先に、盾を落として地に片膝をついた将軍がいる。
(今、いけるっ)
低い位置にある首元目がけ、振りかぶらずに、盾を持った左を右手に添えて突き出した。攻撃の隙を最小限に抑えた突き。避けられることも想定し、油断はしていなかった。
しかし、ギートは次の瞬間に驚愕する。
「――っ!?」
ギートには、オーウェンがおもむろに左手を上げたように見えた。剣を持たないほうの手である。それを向かい来る切っ先に伸ばし、まるで友好を確かめでもするように、強く握った。
オーウェンの手のひらに分厚く巻かれていた包帯が、鮮血に染まる。その代償として、切っ先は標的から逸れた。
ギートはこの時、潔く剣を放すべきだった。しかし、思いがけない相手の捨て身に虚を突かれ、動けなかったのだ。
オーウェンは掴んだ剣を力づくで引き、ギートが倒れ込んできたところ、立ち上がりざまに右膝で腹へ蹴り入れた。
間に鎧を挟んで衝撃を受けたギートは息が止まり、次に咳込む。
オーウェンは左手を放し、右手に持った己の剣を、四つん這いになったギートの首筋に添えた。
『・・・大逆転! 勝者、オーウェン・ソニエール選手!』
今までよりもさらに大きな、拍手と歓声が巻き起こる。
ギートは腹の底から脱力し、仰向けに倒れた。
(やっぱ強ぇ)
口の端に付いた泡を手の甲で拭う。かわりに砂が付き、奥歯で苦いものがじゃりりと鳴った。
大地の角の間に広がる青空を見上げ、ギートが己の矮小さを改めて自覚していると、急に腕を掴まれた。
オーウェンが唖然としているギートを引っ張り、立たせてやったのだ。
「大した智将だ」
表情を緩め、オーウェンは言う。
「一瞬、頭に血が上ってしまった。誇れ。良い勝負であった」
軽く握った拳で少年の胸を叩き、将軍は去る。戦う前よりも右足を重く引きずりながら。
ギートはぽかんとした後、頭を掻いた。
(・・・ま、将軍をイラつかせたんなら上出来だったか)
満足はしない。それでも自負にはなった。
ギートは悪くない気分で、司会役の不満たっぷりな視線から逃れるように、そそくさと退場した。




