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 最初に異変に気付いたのは、採掘場の出入りを見張る兵士だった。

 どんなに仕事熱心な者でも行き交う鉱夫の顔をすべて覚えられるわけがなく、それらが多少入れ替わったところで気づきはしない。だが、坑道の外から手押し車に運んだはずの荷を載せて戻って来る者がいれば不審を覚える。

「おい、待て」

 制止を無視し、採掘場の奥までさっさと行ってしまった車を、兵士が一人追いかけた。

 板で囲んだ籠の中には、麻袋が広げられて上にかぶさっている。その下に何かが満載あるようだ。

「これはなん――」

 鉱夫を尋問しようと目を逸らした、瞬間。

 麻袋の下から突如手が伸び、その横顔を握った。兵士が首を戻そうにも、凄まじい力がそれを許さない。竦み上がった喉からは悲鳴も漏れ出なかった。

(さすがにバレるか)

 籠の中から、ゆっくりジゼルは巨体を起こす。

 その体躯で鉱夫に化けることはできず、石を運ぶ車の中に隠れてみたが、身を縮めるにも限度がある。ジゼルは手の中の兵士を眺め、口の片端を上げた。

「もう少し早く気づければ良かったな」

 ジゼルが姿を現したのを皮切りに、採掘場のあちこちに置かれた車からトラウィス兵が踊り出、鉱夫に扮していた者が近くのガレシュ兵に襲いかかる。

 その音を掻き消すように、採掘中の鉱夫たちはピックを殊更に激しく壁へ打ち付けた。

 ジゼルは手の中のものをまず沈め、奥の荷車のもとへ駆け寄る。一つだけ盛り上がっている麻袋があり、それをめくれば中にメリリースとマティアスが震えながらいた。華奢な二人はまとめて同じ車に詰められたのである。

「無事ですか」

 無傷なのは見てわかるが、念のために確認する。と、二人の目が大きく見開かれた。

 その時には、ジゼルは左右から襲い来た刃を察知し身を捻る。

 片方をかわし、もう片方は腕を掴む。かわされた兵は足元に転び、腕を掴まれた兵は宙に浮いた。

 ジゼルは敵兵を・・・振りかぶり、足元へ無造作に振り下ろす。咄嗟に目を閉じたメリリースたちには鈍い音だけが聞こえた。

「今のうちに出てください」

 先程と同じ、平然とした顔で戻ってきたジゼルに、メリリースは怖々と尋ねる。

「あんた、本当に人間なの?」

「・・・よく訊かれますが、一応そのつもりです」

 瞬く間に採掘場と近辺の見張りは全員意識を奪われ、丸腰の状態で麻袋に詰められた。

 準備は完了し、ここでの残る作業は合図を出すことのみとなる。

「メリー、最初はこれだよ。覚えてるね?」

 マティアスから呪文の書かれたメモと、片手に余る大きな緑の魔石を受け取り、メリリースは不安げに眉を寄せながらも覚悟を決めた。

「う~・・・失敗しても文句言わないでよね」

「大丈夫。メリーが絶対に失敗しない呪文を作ったからね。――皆さん、耳を塞いでいてください」

 マティアスが促し、皆の準備ができたのを確認し、メリリースは右手を前に突き出した。

「ウヴド!」

 どぉん、とまず大きな音がした。

 まるで何かが爆発するような音。坑道の端まで響き渡る。しかし、採掘場の中に特段の変化はない。

「フィンルム、ドゥ、アンヴァルカ!」

 続いて、メリリースの周囲にいくつもの小さな火の玉が揺らめく。

 その火も、触ったところで熱を感じない。爆発は音だけで、炎は幻影。

「いいよメリー、成功だ! そのまま少しずつ、力を注いでいって!」

「よしっ! では行くぞ!」

 ラウルがすかさず指示を発し、メリリースたちとわずかな護衛のみを場に残し、鉱夫らも含む全員が、「火事だ!」と叫びながら坑道の外へ向かって走り出した。

 他の坑道、または外の山道にいた兵士らは、洪水のようにいきなり溢れ出てきた鉱夫らを留める術なく、やがて山の奥から噴き出してくる炎の姿にパニックを起こした。採掘場では地中のガスが漏れ、爆発事故が起こることがあるのを、兵らはまったく知らないわけではなく、しかし実際にそれを見たことがある者はなく、どんどん赤みを増してゆく山を前に、冷静でいられようはずもなかったのだ。

 幻影の炎は、山に隠れるオーウェンら本隊への合図ともなる。

 それが見えると麓まで一気に馬で駆け下り、混乱の波が届いたばかりの街中を抜け、魔技師たちの詰める元領主館へ直行する。その頃には、遠目にもわかる程に山は赤く燃え盛っていた。

 本物の炎ならば、間もなく麓まで燃え広がる。

「川だ! 平原の川まで逃げろ!」

 誰かが街中を馬で駆けながら叫んでいた。果たして誰の指示であるのか、わからないままガレシュの兵らは暗がりの中を柵の外へ向かって逃げてゆく。それを、エールアリーの住民たちは自宅で息を潜めて見送った。

(頃合いか)

 馬首を返し、オーウェンは伝令用の魔石を懐から取り出した。

『壁を頼む』

 指示を受けたメリリースは幻影を消す。後から採掘場へ辿り着いた他の魔法使いたちが、次々と鉱山の魔石を開封し、メリリースもまた新たな魔石を手に取った。

「――ノン、ヴォルツェイア、グリン、ミレーヴァティ、シャロォッ!!」

 長い呪文を天まで飛ばす。

 透明な魔法の壁が、山から街を囲う柵のわずか外までを覆った。大規模に展開するのが難しいとされた防御壁だったが、純度の高い魔石を用いて最大限まで枠を広げ、複数の魔法使いどうしで隙間を埋め合い、完璧に外と内とを遮断した。

 山の火が消えたことに、平原のガレシュ兵が気づいた時には、もう遅い。

 彼らのトラウィス侵略拠点はすでに奪い返され、蟻の一匹も侵入できなくなっていた。



**



「――重傷者はこちらへ! 自力で歩ける人はあちらに並んでください!」

 明くる朝、元領主館のエントランスで、リディルは声を張り上げ続けていた。

 エールアリーの奪取を達成したその晩のうち、廃坑道に隠れていた医療団も街に降りたのだ。

 魔法使いたちが必死に維持している防御壁の外はガレシュの兵団が囲い、時折、激しい爆発音が聞こえてくる。砦に詰めていた魔法使いが駆けつけ、壁を破らんと攻撃を仕掛けているのである。

 しかし彼らはティルニへの警戒もあるため、エールアリーへの攻撃はまだ本格的なものとなっていない。そうなる前に決着はつけられるはずである。

 よって正面きっての戦闘は行われてないものの、昨晩の混乱で負傷者はすでに続出している。ただ、心配していた彼女の姉や、夫はほぼ無傷で元気に今も駆け回っており、それだけでリディルは神に感謝できた。

「止血は速やかに、手に血が付いたら他の患者に触る前に一度洗ってください。貸して」

 もたついている看護の者を見つければ、素早く代わる。

 重ねたシーツの上に、腕を押さえて横たわっていた患者はガレシュ兵である。彼らのほとんどは外に追い出されたが、最初に鉱山で捕らわれた者、または逃げ遅れた者がある。それらの負傷者もリディルらはまとめて面倒をみているのだが、トラウィス語の通じない彼らに戸惑う者は多い。

 そのため、リディルは率先してガレシュ兵の手当てを買って出ていた。

「待て、そいつは俺がやる」

 急にやって来て、リディルの手から包帯を奪ったのはジェドだ。エールアリーがガレシュに制圧された際、キクス村にいたジェドら王宮の医療団は、この領主館の牢に閉じ込められていた。そこで怪我をさせられた者は特にいなかったため、彼らも今は救護に加勢してくれているのだが、一人、ジェドだけは顔に大きな痣ができていた。

 その右頬だけ腫れたおかしな顔で、ジェドは不気味に笑っている。

「こいつだ、俺を殴りやがったのは。お礼にたっぷり世話してやらなきゃなあ? だろう?」

 同意を求められ、リディルは呆れて肩を竦めた

「仮にも医師が、そういう恨みの晴らし方をするのは良くないですよ。どうせジェドさんが余計なことをして怒らせたんでしょう? 逆恨みはだめ、です」

 つい幼い息子に言い聞かせる時のように、人差し指を立て、め、とすれば、ジェドは背筋を震わせた。

「・・・やめろ。妙な店に来た気分になる」

「わけのわからないこと言ってないで、きちんとお世話してくださいね」

 性根は曲がっていようとも腕は信用できるかつての上司にその場をまかせ、リディルは叫び声の聞こえたほうへ走る。緊急の救護所であるため、騒ぎはあちこちで起こっているが、そこが一番激しい。

 数人がかりで、暴れる男を一人、押さえつけようとしている。よく見れば暴れているのはガレシュの兵だ。

 敵に捕らわれ、しかも負傷し、言葉の通じない輩に囲まれパニックを起こしたのか、様子は尋常でない。おそらくはガレシュ語で何事かをしきりに喚いていた。

(エメがいれば説得してもらえたかしら)

 思っても、どうしようもない。頼りがいのある妹はここにいないのだ。

(ううん。言葉はきっと、大した問題じゃない)

 喚き、暴れる、その様はまるで不安な赤ん坊にも見えた。

 不意に独りになってしまった時の、恐怖に押し潰されそうになり、たまらず助けを求めている、まさにそんな姿だ。その時、赤子はどうやって泣き止んだか。

 昔の自分は、どうすれば安心できたか。

「リディルさん、危ないですよっ」

「大丈夫。皆さん、少し下がってください」

 リディルは制止を振り切って患者の傍に膝を突き、その頬に手を当てた。すると、想像以上に冷たく、緊張している。リディルは熱を分け与えるような気持ちで、しばらくそうしていた。

 やがて頬と手のひら同じくらいの温かさになってきた頃、暴れていた男の四肢が止まった。リディルは呆然と見つめてくる男に、柔らかく、微笑みかけた。

「――大丈夫ですよ」

 頬、そしてこめかみの辺りまで、くすぐるように優しく撫でる。そういえばリオネルも、エメも、こういうふうに撫でられるのが好きだったっけと思い出す。

「ここにあなたの敵はいませんよ。この騒動が終わったら、元気にお家へ帰れるように、どうか治療をさせてください。ね?」

 リディルは小さく首を傾げた。言葉は通じていないはずだが、相手は急速に大人しく、触れている頬は徐々に、リディルの手よりも熱くなっていった。

「――うん、大丈夫そうね。もう手は放して、この人を寝かせてあげてください。私はお湯を持って来ますね」

 呆気に取られている周囲に処置をまかせ、リディルは竈のある炊事場へ向かう。

(エメ、こっちは大丈夫よ。あなたもどうか負けないで)

 廊下の窓から見えた空に一瞬祈り、リディルは忙しく足を動かし続けた。



**



 私たちに与えられた、十五日間の猶予。

 決して長いとは言えないその間に、私も城の魔技師たちもあらゆる知恵を絞って考えた。もうこれ以上は一滴のアイディアも出ないんじゃないかってくらい。

「やってみますか」

「ですな」

 設計書の散乱する部屋で、私が一つ取って掲げた紙に、ディータさんはじめガレシュの魔技師たちは、やつれ顔で同意を示してくれる。

 タイムリミットまですでに二日を切り、最終結論を出さねばならない段階に差し掛かっていた。

 ここまで悩み過ぎて十キロくらい痩せた気分だ。ディータさんのぼさぼさ髪も心なし薄くなってる気がする。

「では、さっそく宰相殿に民の避難誘導をお願いし、我らは防御壁を張る準備を致しませんと。皆さん、まだ動けますかな?」

 ディータさんの呼びかけに、ぼちぼち魔技師たちが起き上がる。私のほうは、まだ未練たっぷりで別の設計書を睨んでいた。

「もう少しでどうにかできそうなんですけどねえ・・・」

「私も無念です。天空神とはつくづく残酷ですな」

 天井を仰ぎ、ディータさんは嘆く。


 苦悩の果てに、私たちが辿り着いた結論は一つ。

 すなわち、魔道具の停止は不可能である、ということだった。

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