麦わら帽子
「お母さん、こっちこっち!」
涼子は真知子を引っ張って店内に入っていく。
「こら、ちょっと待ちなさい」
娘に引っ張られて、慌てて入っていく真知子。その後から、敏行が翔太を連れていく。
店内は比較的客の数が少なく、やはり平日であることを感じさせた。
「二階だよ。お母さん」
どんどん奥に入っていき、奥のエスカレーターに乗る。エスカレーターで登りきったら、目の前は服飾品売り場だ。
真知子はちょうど目の前にある子供用の夏服コーナーを見つけ、そっちに歩いていく。そこで何かいいものはないか探そうとしている。安いTシャツを見つけた。白地に黄色の小さな水玉模様が可愛らしい。最近、涼子がお下がりを嫌っていることもあって、時々は新しいのを買ってやらねばと思っている。他にもよさそうなものがあるが、とりあえずこれは買って帰ろうと決めた。
涼子は帽子売り場へ急ぐ。
「お母さん、こっち――あれ?」
気がつくと、真知子がいない。キョロキョロと周囲を見回すと、エスカレーターの正面にあるコーナーを物色しているのを見つけた。一着手に取って見ては、じっくり眺めてまた戻す。これを繰り返している。
すぐに駆け寄ると、母に言った。
「もう、こっちだってば!」
「ちょっと待ちなさい。まだ、あんたの肌着を見るから――」
「そんなの後でもいいでしょ、ほら!」
「こら、スカートを引っ張るんじゃないの! そんなに急かさないでもいいでしょ」
「早く、早く!」
親子で押し問答しているが、周囲は特になんとも思わない。小さい子のいる親子では時々見かける風景だ。
「あっ、これだ。この水色のリボンがいいんだよね」
涼子は、お目当の麦わら帽子をすぐに見つけて真知子に見せた。薄いベージュに水色のリボンが爽やかなデザインだ。またつばの端にも水色の補強が細くあり、これも涼子の好みに合った。
「お母さん、これ! この麦わら帽子よ」
「その麦わら帽子がいいの? ――あら、可愛いわね」
真知子は手に取った麦わら帽子を少し眺めて、涼子の頭に被らせた。形を整えてやり、「うん、サイズもいいし、とっても可愛いわよ」と涼子を褒めてやり、娘の頭から取り上げると、買い物カゴに入れた。
そのままレジに向かおうとしたので引き止めた。
「お母さん、学校に履いていくソックスに穴が空いてるんだけど、そろそろ……」
涼子の通学用靴下は、長いのと短いのがそれぞれ二足づつある。小学生になった時に買ってもらったものをまだ履いている。しかし、夏によく履く短い方の靴下はどちらも親指のところに穴が空いて、それを縫って補修していた。先日、その縫ったところが再び解れて開いてしまっていた。
「一昨日履いていたのでしょ。また縫ってあげるから大丈夫よ」
「……えぇ、もう買った方がいいよ。なんだか緩いし」
言うと思ったが、いい加減買ってくれるのではという期待もあった。
「まだそんなに緩くはないでしょ。縫ったら大丈夫だし、まだ買わないわよ」
「えぇ、でも……」
「もったいないでしょ。まだ履けるんだから」
真知子はどうしても買わないつもりのようだ。涼子はがっかりした。いっそハサミで切って、穴でも開けてやろうかと思った。
「――円です。はい――」
がっかりしている間に、もう精算しているようだ。
「ほら、涼子。帽子よ」
真知子が麦わら帽子を、涼子の頭に被せた。涼子はそれをいいように被り直した。やはり、お気に入りの帽子を被るのは気分がいい。
「買ってもらってよかったね。似合ってるわ、可愛いねえ」
レジの小母さんが、麦わら帽子を被って嬉しそうにしている涼子をみて言った。
「もうこの子ったら、欲しい欲しいって駄々こねてばっかりなんだから。困ったものでね――」
「うちの娘もそうなんですよ、あれがいい、これは違うとか、もう勝手なことばかり――」
真知子が余計なことを言うと、レジの小母さんもそれに呼応して雑談を始める。
真知子は「涼子がワガママばかり言う」と、笑顔で愚痴っぽく喋っている。レジの小母さんも、「まだ小さいんだから、そのくらいが可愛いんですよ。うちの娘なんて中学生だから、もう親の言うことに逆らってばかりで……」とやはり愚痴を笑顔で話す。
涼子はその様子を見て、どうしてこう、嬉しそうに愚痴るんだろう? と思った。なんと言うか、不幸自慢というか。「あんたなんかまだいい。うちなんて――」と嬉々として話す人は多い。好きだなあ……と半分呆れている。
「私、お父さんのところに行ってくる」
涼子はそう言って、その場を離れようとした。
「お父さんどこにいるのかわかるの? お母さんも一緒に行くから待ちなさい」
真知子はそう言って涼子を引き止めた後、ふたたびレジの小母さんと話を再開する。涼子は待たされた。呆れたのち、近くにあった姿見で麦わら帽子を被った自分を眺めた。少しポーズを取ってみたりして、帽子の具合も確認する。少し深めに被ったり、浅く被ってみたり、色々試してみた。
「うん、なかなかいい感じ」
涼子は満足のようだった。
「涼子も女の子ねえ。とても似合ってるわよ」
と、笑顔で話すのは真知子だ。どうやら世間話は終わったらしい。レジの方を見ると、あの小母さんは別の客の精算をしていた。多分、客が来たので中断したんだろうと思った。
「おじいちゃんちにこの帽子で行くのよ」涼子は嬉しそうに話す。
「よかったわねえ。おじいちゃんもきっと、涼子のことを可愛いって褒めてくれるわよ」
「えへへ、そうかなあ」
「きっとそうよ。それから、外にいるときはちゃんと帽子を被るのよ。日射病になるからね」
「はぁい」
日射病——今でいう熱中症に相当する言葉だ。厳密には、日射病は熱中症に含まれる症状で、熱中症のうちの、直射日光による症状が日射病になる。近年、日光による場合よりも、熱のこもりやすい場所で高温に晒されることでの症状が多いせいか、日射病は使われなくなった。しかし昭和の頃は、炎天下で高温にやられる場合が多かったため、大半の人が日射病と言っていた。
母娘は手を繋いで、待っている家族のもとに向かった。




