ラジオ体操
夏休みの初日。今日からしばらく学校に行かなくていい。しかし涼子にとって、学校は楽しい場所だった。勉強も小学二年生の授業などまったく難しくないし、幸いにも運動神経も十分すぎるほどで、こんなに恵まれてていいのだろうかとも思えた。
友達も、こっちに引っ越してきて一年以上なるがたくさんいる。奈々子に典子。裕美に美香と早苗。佳代、美由紀と他にも数人いる。友達とまで言わないまでも仲のいい同級生は多い。
涼子は、そういう友達と毎日学校で会うのが楽しみだった。夏休みは嬉しいが、友達と会う機会が減ってしまうのは少し寂しい。あと、翔太がなぁ……でも翔太ももう幼稚園児であり、近所に友達も数人いるようだ。今までよりも構ってやる必要はない、と思う。
「お母さん、おはよう!」
朝一番、涼子は元気よく挨拶する。
「おはよう。今日からラジオ体操でしょ。寄り道しないのよ。それからカードを忘れていかないようにね」
「はぁい」
涼子は朝食のご飯を食べる。藤崎家の朝食はご飯と味噌汁だ。この時代、朝食にパンを食べる世帯は増えていると思われるが、まだ白いご飯と味噌汁の家庭も多い。
ちなみに白いご飯にこだわっているのは真知子だ。父は兼業農家で、米と野菜は定期的に分けて貰える。しかし貰うのは野菜が主で、米は義父から貰っている。義父、敏行の父は専業農家で、広い田んぼを持っている。貰い物だけでは足りないが、実家が農家だとこういうときに助かる。また、ご近所との付き合いで野菜や果物のおすそ分けも割合よく行われているのだ。
ご飯を食べ終えると壁の時計を見て、「それじゃあラジオ体操に行ってきます」と行って玄関に向かおうとすると、翔太が
「お姉ちゃん、どこいくの?」
とそばに寄ってきた。
「ラジオ体操だよ」
「えぇ、ぼくもいきたい」
「だめだよ、ラジオ体操は小学生だけなの。幼稚園はだめ。幼稚園はお留守番!」
面倒臭いので突き放す涼子。
「でもっ! いきたい、いきたい!」
早速駄々をこねる翔太。しかし真知子がやってきて、
「翔くんはまだご飯食べてないでしょ。ほら、早く食べなさい」
「えぇ、ラジオいきたいんだもん!」
「早く食べなさい。今日は後で買い物行くんだから」
買い物に行くのは涼子も一緒だし理由になっていないが、なぜか翔太は反論できないでいた。
「うぅ……でもぉ」
「いいから食べなさい!」
さすがに母のカミナリが落ちそうな雰囲気を察知したのか、翔太は諦めて台所に向かった。翔太も成長している。幼稚園に通うようになって、同年代の子との付き合いが増えたせいか、人がどう反応するかというのを推し量っているのかもしれない。
それを見送った涼子は、玄関を出て、前の道で突っ立っていた曽我隼人に声をかけた。
「隼人、おはよっ!」
「おう、おはよ。遅かったな、何やってたんだ?」
「翔太が自分も行くってわがまま言うんだから、困ったもんよ」
「ああ、翔太か。別に一緒にやっても怒られはしないだろうけど、翔太より年上のやつが沢山いるから、結局行きたがらん気もするけどな」
「だよねぇ」
翔太は普段は明るく元気がいいが、知らない人が近くにいると、途端に大人しくなる。人見知りなところがあるのだ。しかし、もっと小さい頃に比べると大分よくなったと思う。
「まあいいや、早く行こうぜ。お前が遅いからヒロちゃんやたっくんが待ってんだ」
「うん」
二人はみんなとの待ち合わせ場所の集会所に走った。
涼子と隼人が集会所にやってくると、数人の小学生がそこにいた。
ラジオ体操は各自開催場所に集まるので、別に待ち合わせて集団で行く必要はないが、ひとりでより集団の方が楽しいし安心だ。特に涼子たちのような小さい子は、上級生と一緒の方が安心だろう。
「おはよ! ……悪りぃ、待ったか?」
隼人が、同級生に声をかけた。
「俺はさっき来たばっかりだぜ。ヒロちゃんは結構早く来てたみたいだけど」
「みんな遅いよ、早く行こうぜ」ヒロちゃんという、隼人の友達が文句を言っている。
「涼子、おはよ!」
女子が数人集まっているところから、裕美がやって来た涼子に声をかける。
「おはよ、待った?」
「ううん、ぜんぜん。――涼子がきたよぉ」
「じゃあ、涼子ちゃんも来たし行こうか」
六年生の女子が、一緒にラジオ体操に行く予定の女子が集まったのを確認して出発を宣言した。一緒に行く女子は六人。六年生が一人、五年生が二人、三年生が一人、二年生が二人だった。
「あ、女子がもう行ってるぜ。俺たちも行こう」
「待てよ、四年のヤツがまだだろ」隼人が言った。しかし、
「あの……その山根くんは今日は来ないです。おじいちゃんちに行くって……」来ていない子の友達であろう子が、恐る恐る話した。
「なんだ、そうなのかよ。じゃあもう行こうぜ」
男子も女子に遅れて出発した。
涼子の住む川口地区のラジオ体操は、由高小学校の運動場で行う。
女子六人がやってくると、すでに三人来ていた。どの子も、ここのすぐ近くに住んでいる子だ。ラジオを持ってくる小父さんも、学校の近所に住む、地域で顔のきく世話好きの人である。ちなみに、かつて長い期間PTA会長に君臨しており、「由高地区のドン」ともいうべき人物だった。今年、孫が幼稚園の年長組で、来年は小学生だという。
その小父さんは、すでにラジオを持って来て時間を待っている。ここは六時半に始めるが、もうそろそろ時間がくる。
涼子は友達の裕美と雑談に花を咲かせていた。そうしていると、
聞き覚えのある音楽が流れ始める。皆一斉にラジオの方を向き、離れていた子は近くまで寄って来た。
「腕を前から上に上げて、大きく背伸びの運動から――はい、いちっ、にっ、さんっ」
始まると、みんな一斉にラジオ体操を始める。子供達の対面には、ラジオを持って来てくれる小父さんが模範的な体操をやっている。
涼子たち小さい子は、一生懸命に小父さんの真似をして体操している。しかしどうも遅れがちだったりでうまくいかない子もいるが、そんな姿も微笑ましいものだ。
反対に上級生たちの何人かは、いい加減なものだ。真面目にやるのがちょっと照れ臭いのか、体の動かし方が小さく、その方がみっともないだろうに、と思うような体操をしている子もいる。これは男女ともに一緒だった。隼人は意外にも割とちゃんとやっていた。
ラジオ体操は短い。五、六分で終わるので、終了すると今度は小父さんが判子を押してくれるので、そのためにみんな並ぶ。
「ほらほら、慌てんでもみんなに押すからちゃんと並んでな」
小父さんは子供たちを並ばせて、順番に判子を押していく。
「こりゃ、卓也。お前は六年生じゃろうが。下級生の子らを押しのけて割り込む奴があるか。後ろへ並べ!」
隼人の友達である卓也が、並んでいる一、二年生の前に強引に入り込もうとして怒られている。
「えぇ、これから遊びに行くのに――早く押してくれよ」
「ちょっとじゃろうが。ええから後ろに並んどけ」
「ちぇ」
卓也は不満そうに列の後ろに向かった。
「お前、ばっかじゃねえの。あのおっちゃんが割り込み許してくれるわけねえだろ。あっはっは」
隼人が怒られて後ろにやって来た友達をからかった。
「ちょっとくらいいいじゃねえか。ケチだよなあ」
友達にからかわれて、まだ愚痴っているようだ。
「おぉい、隼人、卓也、お前たち何やっとるんだ。ボサッとしとらんで早く来い!」
いつの間にかふたりの前にいた子はみんないなくなっていた。あれこれ喋っていたら、すぐに順番がきていたらしい。
「おおっと、いけね!」
隼人と卓也は慌てて小父さんの所に駆け寄った。




