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通信簿

「涼子、一緒に帰ろ」

 奈々子と裕美がやってきた。さらに、最近仲良くなった奥田美香と加藤早苗も一緒に帰る。典子たちB組の子も一緒になる。悟たち男子も数人一緒になる。まあ、いつもよく一緒に帰っているメンバーだった。いつもの裏門へ向かう途中で、典子たちB組の友達とも合流してみんな一緒にぞろぞろ帰る。

 同じ方向に帰っている数人の五年生か六年生と思われる男子が、

「なあ、あのファミリーコンピュータってすげえよな」

「ああ、見た見た。いいよなあ。本当すげえ」

 などと話している。雑誌か何かで見た新商品について話しているようだ。

「あのファミリー……ってなんだろ?」

 裕美が奈々子に言った。

「さあ? なんだろう?」

 奈々子もまだ、ファミリーコンピュータのことは知らないらしい。発売して間もないこともあるが、何か広告や紹介記事などで見ていたりして、実際には知らないということはないだろうが、まだ興味が薄かったりで覚えていないのだろう。田舎であり発売したばかりなので、そんなものだろうと思われる。

「あれはテレビゲームだよ。ファミリーコンピュータっていうんだ」涼子が言った。

「涼子知ってるの?」

「うん、本に載ってるのを見たんだ。あの、あれ……カセットなんとかみたいなものだよ」

「カセット?」

「カセットビジョンのこと? あれ面白そうだよね」

 悟が言った。悟は前に、仲間の岡崎謙一郎とカセットビジョンのことで楽しそうに話をしていたの覚えている。それを佐藤信正が「ゲームなんかやっていると頭が悪くなる」と古臭いことを言っていたのも思い出した。

 ちなみに、岡崎謙一郎はカセットビジョンを持っており、未来から遡行して来た者としては古臭いゲーム機だと思うだろうが、当の本人はかなり気に入っているようだった。

「そうそう。ああいうやつ」

「涼子って、じょうほう早いね」

「こないだ、たまたま見かけたから知ってたんだよ」

 涼子は二、三日前に隼人が欲しいと言ってて、雑誌に紹介記事があるのを見ていた。もちろん未来を知る涼子は、ファミコンのことは当然知っているが。


 この昭和五十八年の七月といえば、その後、社会現象になるほどの人気を得るものが発売されている。

 「ファミリーコンピュータ」……通称「ファミコン」である。ちょうど先週の金曜日、七月十五日に発売されている。任天堂の開発したテレビゲーム機で、もはや説明など無用なくらいよく知られたテレビゲームだ。

 発売当初は、まだそれほど売れていたわけではなかったようだが、その性能の高さや低価格が注目を浴び、あっという間に爆発的なヒットを記録し、前述の通り社会現象になるほどの人気となって行く。

 余談だが、この「ファミコン」と同じ日に、セガが「SGー1000というテレビゲーム機を発売している。さらにその二ヶ月後、カシオが「PVー1000」というテレビゲーム機を発売している。

 他にもファミコン発売の数日後にはトミーの「ぴゅう太Jr.」やエポック社のカセットビジョンの廉価版といえる、「カセットビジョンJr.」なども登場している。

 これらは完全にファミコンとの競争に敗北し、程なく消えて行ったが、この頃は、数年前から続くこういった家庭用ゲーム機の一大ブームがあり、複数のメーカーが競うように商品を繰り出していた。

 このファミコン登場以前には、エポック社のカセットビジョンがよく売れていたようだ。これは性能はそこそこでしかなかったものの、値段が安く、手を出しやすかったのが大きいのではと思われる。

 さらに余談ではあるが、バンダイは数ヶ月前の三月に「アルカディア」というゲーム機を発売しており、さらにファミコンと同じ七月には、「RXー78 GUNDAM」なるゲームパソコンも同時期に発売している。これは一応パソコンではあるものの、実質ゲーム機といってもいいようである。さらに「光速船」というゲーム機も発売しており、「TVボーイ」なるゲーム機が十月に……いや、もうやめておこう。

 紹介しようと思えばきりがないのでこの辺にするが、この頃は本当にテレビゲーム機戦国時代といってもいい時代だった。


「そういえば、あのファミリーコンピーター、お兄ちゃんが欲しいって言ってたよ」

 典子が言った。なんか少し間違えているが、典子の兄も欲しいらしい。なんだかんだでこの田舎でも、結構話題になっているようだ。

「でも四月にアルカデア買ってもらったから、多分買ってくれないと思う」

 アルカディアのことだろう。しかし驚いたことに、典子の兄は、アルカディアを持っているらしい。

「ああ、それじゃ無理だよねえ」

 と言いつつ、涼子もゲーム機などとても買ってもらえそうになかった。まず間違いなく真知子が毛嫌いしていそうで、買って欲しいと言いづらい。翔太がテレビCMを興味津々で見ていたが、どうなることやら。

 しかしファミコンとは懐かしい。プレイステーションなどその後のゲーム機を知っている身としては、かなりショボイだろうと思いつつノスタルジックな感情から、遊んでみたいという思いが強くなった。まあ、簡単には無理だろうけど。



「涼子、じゃあね、バイビー」

「バァイ」

 自宅に戻ってくると庭先に真知子がいた。真知子は春頃から庭に花壇を作っている。ご近所の曽我家の奥さん、曽我洋子と隼人の母親に色々と教えてもらって作ったらしい。真知子は曽我の小母さんと親しく、花壇以外にも編み物だとか、手作り雑貨なども教えてもらって作っている。

 引っ越してきて一年以上なり、敏行の工場も安定してきたこともあり、真知子も余裕が出てきたようだ。

「お母さん、ただいま」

「おかえり。あら、もうそんな時間? お昼用意してなかったわ」

 真知子は、庭の片隅にある水道で手を洗うと「涼子、お昼ご飯作るの手伝って」と言って、家に入っていった。


 涼子は子供部屋に荷物を置くと、早速普段着に着替えて通知表を取り出すと、台所にいる真知子の手伝いに向かった。

「涼子ちゃんの通知表は『よい』が多いから、あんまり見るまでもないかしらねえ」

 などと嬉しそうに真知子は言うが、通知表を受け取ると穴が開くくらいじっくりと見て回った。気になるらしい。

「国語や算数はいいけど、図工は『いまひとつ』なのね。まあ、しょうがないわねえ。涼子はぶきっちょだから……」

 涼子は手先が不器用だ。なので図工は特に苦手だった。その理由として、そもそもの才能のなさと不器用さもあるが、涼子は左利きだと言うのにもあるのではないかと思われる。

 この時代、左利きは『矯正』されることが多い。今はスポーツで有利だとか、矯正は悪影響があるだとか、そういったこともあって左利きでも『直す』ということは、あまりされなくなったのではと思う。この時代ではまだ『左利きは矯正するもの』という考えが根強く、涼子も学校では右で文具などを持って使っている。

 家では、両親が左利きについて無関心だったこともあり、左で箸を持っても何も言われないので左で持っている。真知子が言わないのは、父(涼子の祖父)が左利きなのが原因かもしれない。敏行に至っては、そもそも涼子が左利きであることを忘れているかもしれない。

 そして、この頃の涼子は……家では左、学校では右を使うという面倒なことを自らやっていた。

「二学期も頑張るのよ。それから、宿題もちゃんとね」

 真知子は笑顔で涼子の頭を撫でた。


「涼子は勉強はよくできるなあ。大したもんだ」

 昼食を食べに家に戻ってきた敏行は、娘の通知表をみて感心していた。自分も妻も成績は平凡極まりなかったので余計に驚きだった。

「楽勝だよ。簡単簡単!」

「おお、言うなあ涼子。でも図工はどうなんだ?」

「あ、それは……」痛いところを指摘され、苦笑いする。

「ははは、まあこの調子で頑張れよ」

「うん、それでね。通信簿よかったから……」

 少し言い辛そうで、少し期待半分の複雑な表情だ。敏行はその理由を理解していた。

「やれやれ、まあ約束だからなあ。何が欲しいんだ?」

「ええとね、麦わら帽子!」

「なんだ、麦わら帽子か……」

 まさか高額なものをねだられたら困っていたところだが、麦わら帽子など大したものではない。密かに胸を撫で下ろした。

「うん、ええとね、この部分がこうなってて、リボンがこうで……」

 細かく説明する涼子。前に持っていたものが古くなったのもあって、麦わら帽子が欲しくなっていたのだ。前に天満屋ハピータウン西大寺店で買い物した際に、帽子売り場で見かけたのが気に入っていて欲しかった。と言うか、やたらと魅力的に感じていた。たまにどういうわけか、こういうときがある

「ははは――わかった、わかった。明日、買い物に行ったときに買うことにするか」

「絶対だよ! 天満屋だよ」

「わかってるよ。もともと天満屋に行くつもりだったから、お母さんに買ってもらえ」

 敏行が涼子に通知表を渡そうとすると、翔太が「見せて、見せて」とせがむので敏行は翔太に渡した。

「翔太、汚すんじゃないぞ。お姉ちゃんの大事な通信簿なんだから」

「うん、よごさない。お姉ちゃん、これなんてかいてるの?」

「どれ? それはねぇ――翔太は泣き虫、って書いてるのよ」

 涼子は結構、こうやって翔太をからかうことがある。姉弟がいるとよくあることだ。

「うそばっかり! お姉ちゃんのばか!」

 翔太は怒って涼子に通知表を投げつけた。それを軽々キャッチして、翔太にアカンベェをする涼子。

「こら、涼子。からかうんじゃないの。遊んでないで食べてしまいなさい」

「はぁい」

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