昭和五十八年の夏休み
梅雨も明けて、夏らしい青空と入道雲そして炎天下が本格的にやってきた。
昭和五十八年七月二十日、水曜日。由高小学校の終業式だ。みんな明日から夏休みということで、気分も高揚しているのか浮ついた雰囲気でいっぱいだ。
「ねえ、夏休みはどこ行くの?」
「ぼく、えい画につれてってもらうんだ」
「キャンプに行くのよ。とぉってもたのしみ!」
皆、夏休みが楽しみでしょうがない様子で話題が尽きない。
涼子は、また父の仕事が忙しいとかで、あまり連れて行ってもらえないだろうと半分諦めている。なんだかんだで、海や動物園に連れて行ってもらったりはしたものの、できれば県外に旅行とか行けるといいのにと思っていた。
嬉しそうな顔をして太田裕美がやってきた。
「涼子、夏休みどこかつれてってくれるの?」
「ううん、お父さんが忙しいから……まだ」
「ふぅん。わたしね、しぶかわ海水よく場に、つれてってくれるのよ」
「海水浴かあ、いいなあ」
渋川海水浴場は、岡山県南部の玉野市にある海水浴場で、おそらく県下最大規模の海水浴場だ。涼子も西大寺に引っ越す前の頃に、数回連れていってもらったことがある。ただ、人が多くごった返しているのが欠点で、まあそれは他の海水浴場でも変わらないかもしれない。
去年は、夏休みの終わり頃、家から比較的近い場所にある、宝伝海水浴場に連れて行ってもらった。渋川ほど大きな海水浴場ではないが、小さな子供にとっては何も問題はない。翔太と一緒に遊びまわって、あっという間に一日が終わった。
「ねえ、明日からラジオ体そうだよね。いっしょに行こ」
「うん、じゃあ集会所で待ち合わせしようよ」
「うん!」
小学生の夏休みといえば、様々なイベントがあるものだ。地味ながら毎日のことであるラジオ体操は外せない。
今は夏休みのラジオ体操はやっていない地域も多い。この昭和の頃では、大半の地域でやっていたと思われる。大抵は朝の六時台の頃に、最寄りの開催場所(主に近所の公園)に集まって開始、終わったら持参のカードに判子をもらって帰って来るという流れだ。
涼子と裕美は、川口地区に住んでいるが、この川口地区はこれといって大きめな公園がなく、地区内に由高小学校があることもあって、ラジオ体操の開催場所は由高小学校の運動場になっていた。一番東側の遊具などの近くの広い場所でやっており、町内会でラジオを持ってきて時間になると始める。
この地区では小学生は二、三十数人程度で、大抵は十四、五人ほどが参加している印象だ。また、カードの判子を半分以上集める(参加する)と、最終日に子供会からお菓子がもらえるという特典があった。そのため最終日には、ほぼ全員に近い参加者がくる。ちなみに、判子の数が少なくても少しだけ貰えるから、それを目当てで来る子もいた。
涼子は、去年はご近所の曽我隼人に連れられて、裕美の待つ集会所にやってきて、裕美の姉と兄や近所の子と一緒に数人で一緒にラジオ体操に行っていた。因みに裕美には、去年六年生の姉(現在は中一)と五年生(現在は小六)の兄がいる。この兄は今年小学六年生で、隼人の同級生だ。仲がいいらしく、隼人と近い涼子と裕美とその兄もお互いに割合よく知っている顔だった。
森田が教室に入ってきた。みんな慌てて席に着く。
「さあ、皆さん。明日から夏休みになります。みんな楽しみなのは先生もよくわかりますが、ルールを守って規則正しく夏休みを楽しんでください。それから、宿題がありますからちゃんと忘れないように」
「はぁい」生徒たちは一斉に返事した。
そのあと通知表が渡され、たくさんの宿題も渡された。宿題は別に難しくないが、漢字などひたすら数を書かねばならない、書き取り系統の宿題は面倒臭かった。算数や漢字のドリルもある。余談だが、ドリルというのは「復習」とか「訓練」などという意味の言葉だ。どうして問題集にドリル? という人も多かったのではないかと思う。え? そんなこと知っている?
この日は持って帰るものも多い。一部はすでに持って帰っているのものあるが、「体育シューズ(体育館で履く上履き)」など学校に置きっぱなしのものや、教室の後ろに貼っていた図工で描いた絵なども持って帰る。割と大変な荷物だったりする。
みんな荷物をランドセルや手提げ袋に詰め込んだり、支度ができて教室を出ていく生徒など、教室の中も外も賑やかだ。
「藤崎さん! 通しんぼ、どうだったの!」
そんな中、突然押しかけてきた女子は真壁理恵子だった。涼子に対してライバル心を燃やしている女の子だ。
理恵子はすかさず自分の通知表を掲げると、自信満々に三つ折りの通知表を開いた。そして自身の成績を涼子の前に掲げる。
「わたしのせいせきは、これよ!」
理恵子の成績は、四科目すべてが「よい」で、体育と図画工作が「ふつう」、音楽も「よい」だった。二年生から評価が三段階になるため、「よい」と「ふつう」に付け加えて「いまひとつ」が増える。理恵子は「いまひとつ」がない。なかなか優れた成績だった。
誇らしげに見せてくるのもわかる気がした。
「藤崎さんはどうなの!」
理恵子は、自分の通知表をぐいぐいと涼子の前に突き出しながら、涼子の成績を聞き出そうとしている。
とにかく押せ押せの理恵子に、――これだから小さい子は……とうんざりした。
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて」
涼子はとりあえず理恵子の通知表を押しのけると、ランドセルをおろして、何入れていた通知表を取り出した。そして、それを理恵子に見せた。涼子は四科目が「よい」で体育も「よい」、図工は「いまひとつ」、音楽は「ふつう」だった。不器用な涼子には、図工は厳しかった。音楽も苦手だが、頑張っているところを評価されての「ふつう」だったようだ。
「『いまひとつ』があったんだよねえ」
涼子は苦笑いしている。しかし体育は自分よりいいのが気になったのか、
「ぐぬぬ……なかなかやるわね、藤崎さん!」
と悔しそうに言った。
「いい、二学期は負けないわよ!」
捨て台詞を残して教室を出ていった。まったく困った女の子だ。




