何かが動き出す
「へへ、もう終わりだ」
金子は、今回は完璧に妨害できたと確信した。金子は少し前に早苗が職員室の方に歩いて行くのを見ている。それで、加納たちが職員室に向かっているのを見て、間違いないと思った。
しかし……。
「よ、芳樹ぃ! いねぇ!」
田中秀夫が青い顔をして、職員室の方から戻って来た。
「いないって……おい! どういうことだ!」
「どうもこうもねえよ! 加藤早苗がいねえんだ!」
「ば、バカな……!」
そんな様子に、ふと加納慎也が口を開いた。
「当たり前じゃないですか。彼女は学校にいるのかは知りませんよ。僕は」
「え? それはどういう……」
悟は驚き尋ねる。
「職員室というのは、嘘です。すいません」
「ちょっと待て! 俺は見たぞ!」
芳樹は、加藤早苗が実際に職員室に向かうのを目撃していた。
「それは知りませんが、僕は彼女が帰るのしか見てませんから。今どうしているのかは……」
「ば、ばかな……」
「ど、どうするんだ?」
「うるせえ! 探すに決まってんだろ!」
再生会議のメンバーたちが散り散りに行ってしまうと、悟たち三人だけが残された。
「加納くん! どういうことなんだ!」
佐藤信正は、この事態に少し混乱していた。どうなっているのか頭の理解が追いついていない。
「すいません。まず、加藤さんが職員室に向かうという話は、完全にデタラメです」
「これは、再生会議の目を欺くためにわざとやりました」
「そうだったのか」
悟はそう言うと、
「加藤さんの行方は知っているのかい?」
と聞いた。
「残念ながらそちらは本当です。多分、自宅に帰ったのではないかと」
そう言って表情を曇らせた。
そんな中、どういう状況にあるのか、さっぱりわかっていない岡崎謙一郎は、裏門のそばでどこに向かうべきかを考えていた。ふと、運動場を挟んだ反対側、体育館の方で、数人がガヤガヤしていたが、それがいつの間にか散っていったのを見かけた。
あれは一体なんだったのだろう? そう思ったが、岡崎は行かなかった。判断に迷って結局裏門で控えていた。
――やっぱり僕はダメかなあ。みんなの役たっていない。
そんなことを考えて気が重く沈んで行くが、だからと言ってそれでどうにかなるわけでもない。できることをやるしか、方法はないのだ。
――藤崎さんは何をしているだろうか? 加藤さんは……目の前にいるし……。
――うん? 目の前に? ……めっ、目の前にっ!
岡崎は目を疑った。裏門の外の畦道の方から、十数メートル先に姿が見える女子は、加藤早苗だった。
――まさか、まさかこんなことって!
岡崎は、普段出したことのないくらいの大声で、加藤早苗の名前を呼んだ。
芳樹は焦った。まんまと騙された。しかし、加藤早苗が職員室に向かったのは間違いない。
「ちくしょう、どうなってやがる」
芳樹はふと思い出した。
職員室は、教室のある校舎とは別の建物で、職員室と校長室、それに会議室、応接室がある平屋建ての建物だ。ここには、校舎側と渡り廊下で繋がっている正面入り口と、その反対の、一番奥にある教員用便所の隣に勝手口があるのを思い出した。生徒がここから出入りすることはない。そもそも生徒は一番手前の職員室しか基本的には出入りしないからだ。
――まさか、そこから脱出したっていうのか? しかし、だったらどうしてそんなことをするんだ? まさか加藤早苗は、公安の手先だったのか? いや、そんなバカな。そんな情報はない。
公安に関係するものが誰かは情報を得ている。ただの偶然とも思えない。芳樹はわけがわからなかった。
――門脇のヤロウ……何考えてやがる!
そんな中、芳樹の元に、再生会議の構成員のひとりである五年生の生徒が慌てた様子で駆けつけてきた。
「おい、金子! まずい」
「何があった?」
「もう……やられた」
力なくうなだれる構成員。
「何?」
芳樹たちは、二宮金次郎像のところに向かった。そこで見たのは、涼子、美香、早苗の三人で仲良くおしゃべりしている姿だった。
「失敗か……まんまとやられたな」
――くそっ! うまく行くと思ったが……簡単にはいかねえな。
芳樹は腹が立ってしょうがない。
そこに、ひとりの少女が現れた。芳樹がそちらを向くと、少女はひと言言った。
「今日から仲間よ。よろしく」
そう言ったのは……なんと、加藤早苗だった。
芳樹は、一瞬声を失った。こいつは一体何を言っているんだ?
「私、門脇さんの素晴らしい考えに感動したの。再生会議の世界にするために、私も頑張りたいわ。ふふ」
早苗は、満面の笑みでそう言い放った。
板野章子は早苗を見て、芳樹に説明を求めた。
「加藤は門脇に感化されたらしい。何があったのか、詳しくはわからん。それで門脇の指図で動いたらしい」
「どうして! おかしいじゃないの!」
芳樹に食ってかかる章子。
「俺がそんなこと知るか! 門脇に聞け!」
言い合っている芳樹と章子のそばに早苗がやってきた。
「それじゃ、私は門脇さんのところに行くので。それじゃ――」
それだけ言って、すぐにその場を立ち去っていった。
「どういうことなんだ!」
宮田は思わず声を荒げた。
「どうして奥田美香ではなくて、加藤早苗なんだ? 神託とは違うじゃないか!」
宮田は神託――シミュレーターの予測を絶対視している。そのため、予測と違う状態になることを極端に嫌った。それは、自身の能力の無さを無意識に自覚しているからこその、不安から逃れるための隠れ蓑だった。
「宮田さん」
そう言って現れたのは、宮田の側近とも言うべき少年、門脇だった。怒鳴り散らず宮田とは対照的に、落ち着き払った門脇。
「な、なんだね。門脇くん」
門脇は、優しげな表情に微笑を浮かべながら言った。
「まあ、いいじゃないですか。僕はいいと思いますよ。まだこれで終わったわけではない。そもそも、我々は、更なる世界に作り変えようとしているのですよ。そう、あなたを中心とした、あたらしい世界」
「……ふっ、ま、まあな。そうだ。その通りだ。……まあいいだろう」
宮田は、門脇の言葉にはあまり反論できなかった。彼は優れていた。反対に宮田には、何が正解なのかわからなかった。自分が正しいのか判断できなかった。だからこそ神託に頼り、門脇の言葉に従うよりなかった。
「どうでしょうか? 彼女――加藤早苗さんを我々の仲間に加えたら。彼女は優秀な働きをするはずですよ」
「し、しかし……いや、そうだ。そうしよう」
「さすがは宮田さん。その度量の大きさは、まさに将の才ありといったところでしょうか」
門脇はうやうやしくお辞儀をすると、ゆっくりとその場を立ち去った。
門脇は、目の前の古いソファに座る加藤早苗に声をかけた。
「ようこそ世界再生会議へ。歓迎しますよ、加藤早苗さん」
「こちらこそ。門脇さん。しかし、私は再生会議ではなく、あなたの『手』ですから。ええ、私は――あくまで『あなただけ』のね」
そう言った加藤早苗の表情には、教室で見せる小学二年生の女の子という雰囲気は一切消えていた。




