因果
「ただいまぁ!」
涼子は元気よく言うと、ドタドタとせわしなく家に上がった。
「こら、涼子! 走るんじゃないの!」
奥の台所から顔を出した真知子が叱った。
「はぁい!」
とだけ言って、すぐに子供部屋に入った。部屋に入るとランドセルと手提げ袋を置いて、すぐに箪笥からTシャツとスカートを出すと、すぐに着替えた。着替え終えると、すぐさま子供部屋を出た。台所の方に向かって、
「お母さん、悟くんと遊ぶから。行ってきまぁす!」
と言った。
「涼子、宿題は?」
再び真知子が台所から顔を出して言った。涼子は振り向かず、
「あとで! 帰ったらやるから!」
と言って、すぐに玄関を出ていった。
「涼子! こら!」
しかし、真知子の声はもう涼子には聞こえていないようだ。
涼子は家を出て、悟との待ち合わせ場所に向かった。家から少し北に行った畑の中にちょっとした公園がある。そこで悟と会う約束をしていた。悟は話があると言っていた。
公園に到着して悟の姿を探してみるが、どうやらまだ来ていないようだ。この公園には鉄棒とタイヤを使った簡単な遊具がある程度で、ほぼただの広場だ。涼子以外には誰もいないようで、涼子は適当なタイヤの上に座って待つことにした。が、座った途端に、視線の向こうに人影を発見したかと思うと、それが悟だった。
「やあ、涼子ちゃん。待った?」
公園にやってくるなり、悟は嬉しそうに言った。
「ううん、全然。私の方がちょっと早かっただけね」
「それはよかった」
「それで……話ってなんなの?」
「うん、単刀直入に言うよ。前に言った、未来のことなんだ」
「未来の……」
春に、悟がこっちに転校してきて間もない頃のことだ。そういえば、あれ以降特にそれの関係の話はなかった。すっかり忘れていたが、どうしたのだろうかと思った。
「前に言ったことについて、もっと具体的……詳しいことを言っておこうと思うんだ」
「詳しい?」
「そう。僕たちは、前に言った「世界再生会議」という悪いやつらが、自分たちの都合のいい未来に変えたのを、元に戻そうとしてる――そう言ったよね。覚えてる?」
「うん。今、戻してる最中なんだよね」
「そうなんだ。さすが涼子ちゃん、頭がいい」
「えへへ……そうかなあ」
涼子はニヤニヤと嬉しそうに笑った。
「それで、どうやって戻すのかという話なんだけど――簡単に言うと、その未来に行くためには、それ用に、あれこれと『やらなくちゃならないこと』があるんだ」
「やること……?」
「例えば今……涼子ちゃんと遊んで、この後に僕がこのまま家に帰るか、それとも別の友達の家に遊びに行くかで、その後の未来が変わるかもしれないんだ」
「え? そんなことで変わっちゃうの?」
「うん。例えばだけどね。何を選んだかによって変わったりするんだ。再生会議はその時に、どれを選んだら自分たちの好きな未来に行けるか知ってて、それを選んだんだ」
「そうなんだ……」
「彼らの未来は僕たちにとっては悪い未来なんだ。彼らだけが得をする未来だからね。他のみんなが悲しい目にあう」
「それは嫌だね……だから悟くんは、みんながいいって思える未来にしようとしてるんだね」
「そうなんだ。それでね、そうするための選択肢は――涼子ちゃん、君の行動にかかっているんだよ」
そういうと、悟は真剣な顔つきで涼子を見た。その迫力に圧倒された涼子は気圧されて、思わず一歩退いてしまった。
「私の?」
「再生会議がやったのは、君のことで本来とは違うことを起こすというやり方なんだ」
「どうして私なの?」
「それは前にも言ったけど、未来の涼子ちゃんがタイムマシンを作ったからさ。もちろん他のやり方もあるかもしれない。でも涼子ちゃんについてのことでやる方が確実で簡単だったんだ。僕らの予想はあくまで予想だけど……要は、涼子ちゃんがタイムマシンを作るようになるその先の将来への道を調査して、別の人間に同じ道を歩ませるんだ。そしてその人がタイムマシンを作る――もちろんその人は、再生会議の人なんだ」
悟はその後も淡々と語った。
涼子の周囲で、本来とは違うことを起こしてやることで、再生会議という団体は、自分たちの都合のいい未来に変えたようだ。SF映画や小説で、過去に戻って本来とは違うことを起こすことで未来を変えるという物語……まさにそれをやっていたということだ。悟たちは、それを今度は自分たちでやることで、元の未来に戻そうとしている。
そして、悟がいうには、未来の涼子が作ったタイムマシンに変わり、自分たちの手でタイムマシンを作るような未来に変えようとしている。それも高性能なシミュレーターを作り、どう行動したら都合のいい未来へ進めるか計算したようだ。
具体的にどういう状態だったのか、涼子は聞いてみたが、悟はそれには答えてくれなかった。なんだかうまくはぐらかされた。
「それで……僕たちは、その未来へ進むための選択肢を「因果」と呼んでいるんだ」
「因果?」
不思議そうな顔をしている涼子に、悟は苦笑いした。
「何かが起こるための「理由」と「結果」だよ。わかりにくいかもしれないし、そこは特に気にしないでいいよ。でも、この因果を踏まないと、本当の未来には行けない」
「因果を踏む? どうして踏むの?」
「ははは、言葉は大したことじゃないけどね。「韻を踏む」っていう言葉があるんだけど、それにかけた、ただのシャレなんだよ。望む未来に行くための、それに必要な行動」
「ふぅん」
曖昧に答えたが、涼子は多分よく理解していないだろう。
「今月、実はこの「因果」があるんだ」
「え? そうなの?」
「うん。今回のは、涼子ちゃんの行動が必要なものなんだ。だから、ちゃんとやってもらうために、先に言っておこうと思ったんだ。まだ細かい作戦は決まってないんだけど、それも数日中には決まる。そうしたら改めて説明させてもらうよ。それも僕の仲間もね」
「へえ、仲間がいるんだ」
「今はまだ作戦を考えている途中だから、また後でね。それで、その時に僕の仲間も紹介するよ」
そのあとふたりは公園で遊んで、夕飯の時間が近くなったところで別れた。
涼子は帰路の途中、「因果」なるもののことをずっと考えていた。
それを達成することで、悟のいう、元の状態の未来に戻すという。言わんとすることはわかる。まだファミコン登場前だが、ロールプレイングゲームのイベントをこなしていくことで、最終的にエンディングに向かっていくという、そういう理屈と似ている。
――しかし戻すと、どうなるんだろう?
涼子は、その正体は判然としないが、何か嫌な恐怖心が芽生えた。
夏の夕方はまだ明るい。春先ならもう空は茜色だったろう。涼子はなんとなく、自宅の玄関の前で足を止めた。
その時、その正体が――ふと閃いた。
――私は……私はどうなるんだろう? 私はその、悟くんのいう、本来の未来の人ではないんだけど。




