世界再生会議
――悟は一体何者なんだろう。
涼子は先ほどの悟と芳樹の会話を聞いて、様々な疑問が湧いてきた。
芳樹は悟のことを、「杉本聡美」と言っていた。杉本という苗字は、どういうことなのかさっぱりわからないが、こちらはともかく……問題は名前の方だ。「聡美」とは……涼子の記憶では、前の世界において、「及川聡美」がいた。彼女とは、幼稚園の頃に出会って、小学校に上がる前に引っ越したことで別れることになった。次に会ったのは成人後だったと憶えている。
悟を「聡美」と芳樹は言ったが、やっぱり悟は……何らかの理由で本来「聡美」だったのが、「悟」になってしまったのだろうか。
涼子は、ふと気がつくと、ふたりともいないことに気がついた。慌てて周りを見回すが、近辺にはいないようだ。しょうがないので、裏門に向かった。
「ごめぇん、みんな。待ったぁ?」
涼子が裏門にやってくると、みんな待ちぼうけた様子で待っていた。見ると悟もいる。
「もう、おそいよ。せんせいに、なにいわれたの?」
歩きながら、奈々子は涼子に、うんざりした表情のまま尋ねた。
「ええとね、悟くんのことでねえ——」
「僕のこと?」
悟が言った。
「うん。わからないことが多いと思うから、いろいろ教えてあげてって」
「それだけ?」
奈々子は拍子抜けした表情になった。
「あぁ、そうそう。それでね。森田先生ったら長いんだもん。そこから、幼稚園の時のこととか、話が関係ない方にばっかりなっちゃってさぁ――」
涼子は、呆れたような顔で、森田の長話のことを話した。
「そうなんだ。涼子もたいへんだよね。そういえば森田せんせいって、はなしだすとながいんだよねぇ」
涼子の学級の担任である森田は、神経質で生真面目そうな見た目とは裏腹に、割とおっとりとして話好きな性格だ。生徒たちだけでなく、同僚の他の教師たちにも、話し始めるとなかなか終わらないことで有名だった。怒鳴ったりすることは基本的にないので、怖がられるような教師でなないが、この点で生徒にはうんざりされることが多いらしい。
「わたしもね、このまえせんせいによばれてねぇ、お家のことだったのに、せんせいのおじさんがどうとか言うのよ。きがついたら、すごいじかんがかかってねぇ……」
篠原優子がウンザリした様子で言った。
「そうそう、わたしもね——」
奈々子も話し始める。気がついたら、森田への愚痴大会になってしまっていた。
「じゃあねぇ、バイビー」
太田裕美が手を振って別れていった。裕美の家はすぐそこだ。やはり兼業農家の家である。
「バイナラ!」
もう少し進んだところで、岡崎光治もグループから離れていった。もちろん家の近くまできたからだ。こうして順番に離れていく。
藤崎工業の工場が見えてきた。この工場は、周囲にあまり建物がないので、割とよく目立つ。涼子も家の近くまでやってきた。
「じゃあね、さよならぁ」
涼子がみんなに向かって言った。
「さよなら!」
「バァイビィ、涼子」
「バイビィ!」
皆、口々に言い始める。
「また明日ね、涼子ちゃん」
悟もそう言って手を振った。
「うん、じゃね」
涼子は家に面した細い道を入っていく。この先にあるのは目の前の二軒のみで、片方はもちろん涼子の家で、もう片方はご近所の曽我家だ。洋子と隼人の家である。
「ただいま!」
涼子は玄関の引き戸を開けて中に入ると、履いていた靴を脱いで家に上がった。しんと静まり返ったまま、返事が帰ってこない。家には誰もいないようだ。
すぐに子供部屋に入って、ランドセルと手提げ袋を部屋におくと、台所に行ってテーブルの上を見た。ここにはいつも、涼子が帰ってくるまでにおやつを用意してくれている。小さな皿にクッキーが五枚あった。正直、少ない。まだ小さいとはいえ、育ち盛りの子供にたったクッキー五枚では少なすぎではなかろうか、と思いつつも、藤崎家は夕食が割合早い……午後六時ごろなので、あまり多いと夕食が食べられなくなる、というのもあるのかもしれない。実際、買い物に行った際、ねだってアイスクリームを買ってもらって食べたら、晩御飯があまり食べられなかったことがあった。
クッキーを一枚頬張りながら、皿を持って子供部屋に戻った。そして寝転がったまま悟のことを思い出していた。
杉本聡美――あれは一体……それに、あの漫画のワンシーンみたいな場面。あれはまさか、お芝居の練習……なワケないか。私を驚かすために……これもありえない。
――本当に、一体何なんだろう?
——深夜、悟はこっそりと自宅を抜け出して、近くの雑貨店の前にいた。そこで彼は、二、三人の仲間と思われる男女と共にいて、悟は公衆電話で何かを話していた。
「……今日、金子芳樹に挑戦状を叩きつけられたよ」
『奴らの差し金か?』
「いや、多分彼の独断だろう。学校には、生徒として五人仲間が入り込んでいるらしい」
『信じられるか?』
「いや、信用できないね。彼は小手先を弄するような気質ではないが、僕の予想では、もっと潜り込ませていると見ている」
『だろうな』
「板野章子と田中秀夫は相変わらずだ。そういえば、松村美都里という名前は?」
『名前には覚えがある。確実にそうだとは今は言えないが、用心に越したことはない。警戒してくれ』
「わかった」
『……そこに加納はいるか?』
「いや、今はいない。一緒にいるのは横山さんと岡崎くんだ」
『そうか。明日、加納に会ったら早めに連絡が欲しいと言ってくれ。任せることがあるんだ』
「今年の夏の『因果』かい?」
『ああ』
「早めに伝えておくよ」
『頼む』
近くにいた横山佳代は、そっと悟に声をかけた。
「あまり遅くなると、親がうるさいわ。早めに」
横山佳代は涼子の同級生だ。しかし、その雰囲気は昼間とは真逆の、大人のような印象を抱く。涼子のように、子供の体に大人の心を持っているようでもある。
「ああ、ごめん。わかった」
悟は、いつの間にか、結構時間が経過していることに気がついた。確かに、親にばれると非常に不味い。今は小学二年生なのだ。
「あと、他に何かあるかい?」
『ああ、最後にひとつ。藤崎涼子のことだが……信じるかわからないが……我々のこと、そして本当のことを話したほうがいいかもしれない』
「そうだろうか? 彼女は、僕たちのことなど知りはしないのだし、ましてやまだ小学二年生だよ」
『彼女に隠したまま、だとやはり不利だ。連中はそのうち手段を選ばなくなる可能性もある』
「信用してくれるかどうかが、そもそも疑問だ」
『確かにな。ただ何も知らずに、奴らの言うがままにされても困る。言いくるめられて、奴らの仲間になっても不味い。どうにかうまく伝えて、信じさせられないか?』
「難しいことを言うね。まあ……隆之、君がリーダーだ。君がその考えなら、それに従うよ」
『すまん、頼む』
まだ少し冷たさを感じる夜風が悟たちを包む。三人は肌寒さに少し震えた。
『好きにはさせん。「世界再生会議」の連中にはな!』
電話の向こうで、朝倉隆之という少年は吐き捨てるように言った。




