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昭和五十八年、春

 一九八三年、昭和五十八年。正月を過ぎて、三学期が始まった。まだまだ外は寒く……というか、この一月と二月が一年で一番寒い時期なのではないか、と涼子は思っている。

「あけましておめでとぉ!」

 奈々子が早速、涼子のそばにやってくる。涼子も挨拶を返して、いつも通りに雑談が始まった。そうすると、典子もやってきて、ガヤガヤと賑わい始めた。楽しい、いつもの学校生活だ。

 去年の十二月からだが、教室にはストーブが設置されている。これは毎年この時期になると各教室に設置される。今ではエアコンの設置されている学校が多いと思われるが、この当時はストーブが主だった。ストーブの周囲を柵で囲い、不用意に生徒がストーブに触るなどして怪我や事故のないようにしてある。しかし、教師の目のないところで、いたずらしたりするのは子供のさがだろう。大抵は誰かしらがやらかして怒られている。

 ストーブの前は、休み時間の雑談場所として人気スポットだった。

「わたしねえ、津山にいってたの」

 同級生の声が聞こえる。

「雪がすごいのよ。こんなにね、おっきなゆきだるまつくっちゃった」

「わぁ、すごい!」

「それでね、それでね……」

 賑やかな教室の片隅で、涼子は窓の外の寒空を見上げた。

 ――平和だな。みんな将来のことなど特に考えもせず、いまの幸せを生きているんだ。だとしたら、私はなんだろう? 平成二十九年の未来を知っている。知っていながら、今この三十数年前を生きている。私だけが知っている。……うん? 私だけ……本当に私だけだろうか?

 涼子には、確信は持てないが、何か自分の周囲に怪しい力がうごめいているのではないかと考えていた。それが何かはわからない。自分が何かをされた訳でもない。しかし、何かを感じる。自分の知らない何かを感じるのだ。

「涼子、こっち来なよ。あのねえ、私ね……」

 典子がストーブのそばから涼子を呼んだ。

「うん、それでどうしたの――」

 涼子は窓際を離れてストーブの前にいった。



 三月に入ると、先月までの厳しい寒さが明らかに和らいできているのを感じる。二月は、吉井川の西岸側にある「西大寺観音院」にて、「西大寺会陽」があった。通称「はだかまつり」といわれる祭りで、褌姿の男たちが大勢ひしめきあって、投下された宝木を奪い合う。最終的に手に入れた男が「福男」となる。

 これが、二月の第三土曜日にあるが、大人たちはこの頃が一番寒い日だと言う。実際、涼子としては二月が寒さのピークだと思っているので、一理あるとも思っている。

 ともかく、三月といえば、やっぱり「卒業式」だ。今年、涼子の身近では特に卒業する人はいない。なので、単なるイベント程度でしかない。

「……俺も来年は卒業だなあ」

 涼子の家に来ていた隼人は、カレンダーを見てつぶやいた。

「そっかぁ……そうだね。隼人は六年生だもんね」

「一年前は姉ちゃんが卒業して快適だったのになあ。また姉ちゃんと同じ学校かよ」

「なんか嫌そうだけど、そんなに洋子お姉ちゃんが嫌なの?」

「当たり前だろ。あのきっついオバハンだぜ? いちいち偉そうに命令するんだから。中学で何やらされるか――おぉ怖っ!」

 洋子は、涼子にとってはとても優しいお姉さんだが、隼人にとってはそうでもない。もともとリーダーシップの強い洋子は、弟を自分の部下のように、あれこれと命令を出した。いうことを聞かないと痛いゲンコツが飛んでくるため、小さいときの隼人はよく姉に泣かされていた。挙句に洋子は割と周囲の目をよく気にしているタイプで、人前では優しいお姉さんとして振る舞っている。しかし隼人には、常に自分の頭上に君臨する嫌な存在なようだ。

 ただ、本当に困っているときには身を呈してでも庇ってくれたり、小さい時はよく遊んでくれた。いい姉でもあるのだ。

「お姉ちゃん、ステキなレディだと思うんだけどなあ。とっても優しいし」

「お前には優しくてもな、俺にはキツいんだぞ。兄ちゃんとはえらい違いだ」

 隼人の言う「兄ちゃん」と言うのは、隼人と洋子の兄になる、雅人だ。雅人は去年の春に高校一年生になっている。とても穏やかでスポーツも勉強もできるハンサムで、「勉強ができて知的な隼人」といった風だ。部活では弓道部に所属しているらしい。

 雅人は、岡山五校のひとつである、岡山県立朝日高校に通っているが、電車通学であるため、朝は早く晩は遅い。日曜なども友達付き合いや部活動などの関連で、自宅にいる機会は少なく、涼子と会う機会は少ない。余談だが、彼は前の世界において、その後東大に進学、霞が関の官僚へと華麗なる未来が待っている。

 洋子が弟に厳しいのも、この「すべてにおいて完璧」な兄と比較してしまうことにも原因があった。

「あぁあ……姉ちゃん、早く高校に行かねえかなあ」

 隼人は空を見上げてつぶやいた。

「まあ、隼人もがんばって勉強しなよ。それで、お姉ちゃんを見返したら?」

「ちぇ、それができたら世話ないっての。まさか一年生のチビ助に言われるとはなあ」

「チビ助で悪かったわねえ、もう!」

 涼子は隼人の足を蹴ろうとした。が、隼人はそれを簡単にかわした。

「やぁい、おチビちゃん! そんな簡単にやられるかよ。へへん!」

「もう! こらぁ!」

 涼子は、おどけて逃げる隼人を追いかけて、部屋の中で走り回った。



 春休みが終わって、涼子たちは始業式を迎える。そして新一年生もやってくる。そう、涼子たちも小学校の後輩ができたのだ。

 この春休みに遊びに連れて行ってもらった、いとこの知世の家では、涼子も欲しかった学習机や、ランドセルや学校の制服などを見せてもらった。筆記用具など、必要なものはすべて揃っていた。羨ましいなと思いつつも、散々触らせてもらった。知世はもうすぐ一年生だ。

 それはそうと、なんと今年の秋頃、知世に弟か妹ができる。これは、前の世界ではなかったことだ。前の世界では、哲也、弘美夫妻は、その後子供ができることなく、夫妻は歳を重ねていった。

 しかし、なんと知世が生きているこの世界では、知世に兄弟ができるのだ。

 世界は段々と違う未来に進んでいく。大まかには違いがないように思うが、どこか変わっているのだ。

 そんな少し違う世界に戸惑いながらも、涼子はこれからも生きていく。

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