我々の組織
「あら、安いじゃないの」
衣服売り場をうろうろと見て回っている真知子は、歳末セール品の女児向けトレーナーを手にとって嬉しそうに言った。胴回りは白だが、袖がピンクだ。また正面には猫のイラストが、ハートマークと一緒に大きく描かれていた。明らかにダサかった。
「これ涼子に似合うわ。可愛いわよ」
「……そ、そうかな」
涼子には複雑な心境だった。しかし涼子の服は、実はお下がりが多い。今着ているセーターもスカートもお下がりだった。新品を買ってもらえることは、滅多にないのだ。
はっきり言って、小学一年生のちびっこが何を着たところで、誰も何とも思わないだろう。ましてや今は昭和の頃だ。このくらいが普通だったといえば普通かもしれない。現代の感覚でダサいと断じてもいいものか……。
真知子は先ほどのトレーナーを籠に入れて、隣の下着の方も見ようとしていた。
「涼子!」
ふいに声をかけられた。どこから声がしたのか、キョロキョロしていたら、少し離れたところから、友達の津田典子が手を振っていた。
「あ、典子」
「涼子もおかいもの?」
「そうだよ。典子も?」
「うん!」
「あら、藤崎さん。こんにちわ」
典子の母親もやってきた。小柄で丸々とした体格で、笑顔が素敵な奥様だ。典子は、顔立ちは父親似のようだが、背丈は母親に似て小柄だった。ちなみに典子には兄がいて、兄は母親そっくりだった。
「あらまあ、津田さん。お久しぶりです」
お互いの母親同士が話し始めた。学校のことや地域のことなど、他愛ない世間話をしているようだが、よく聞いていると「誰それの家で何があった」だとか、「あの店は高い、安い」など、綿密な情報交換が行われている。
「わたしねえ、これ買ってもらったのよ」
典子はそういって、大事そうに抱えていた紙の包装紙から、本を一冊取り出した。
「あ、小学一年生!」
「えへへ」
典子が買ってもらったのは、小学館が発行する学年別雑誌「小学一年生」だった。現在でも発行されている老舗の児童向け雑誌で、タイトル通り小学一年生がターゲットになる。かつては一年から六年まですべての学年が揃っていたが、次第に厳しくなっていき、二〇一〇年に五、六年生、二〇一二年に三、四年生が休刊した。さらに二〇一六年には二年生も休刊になり、二〇一八年現在でも発行されているのは、この一年生だけだった。
このころの「小学一年生」は、アニメや特撮ヒーローなどが全面に出され、娯楽性の高い紙面となっている。
「にんじゃハットリくんよ!」
典子が嬉しそうに表紙の「忍者ハットリくん」を指差した。「忍者ハットリくん」は去年の昭和五十六年から、テレビアニメが放送しており、人気があった。典子は藤子アニメが大好きで、「ドラえもん」の後番組として放送開始したこの「忍者ハットリくん」も毎週欠かさず視聴していた。余談だが、ずっこける際の「ズコー」というのは、ハットリくんで登場し、子供達がよく真似した。
典子は、違う曜日で、この年の九月に最終回を迎えた「怪物くん」も大好きだったようで、一緒に遊んでいると、よくその話題になった。翔太もハットリくんが大好きで、毎週欠かさず観ている。
「ハットリくんだぁ!」
翔太が物欲しそうに雑誌の表紙を見ている。
「他にもいっぱいあるんだよ」
典子が得意そうに、翔太にあれこれ説明を始めた。それを側で一緒に見ていた涼子が、愚痴をこぼすようにつぶやいた。
「いいなあ、私も買ってくれたらいいのに」
「買ってくれないの?」
「そうなのよ。こういうのって、あんまり買ってくれないのよね」
涼子は不満げに言った。チラリと真知子の方を見たが、まだ典子の母親と雑談している。
この小学一年生は、学習雑誌という名目からか、親が買ってくれる場合が多い。涼子も「あまり買ってくれない」と言いつつ、頼めば買ってくれるだろう。が、そうすると他の欲しいものを買ってくれなくなることは明白だ。どれかを選ばなくてはならない。そうすると優先順位の関係で、買ってもらわないのだ。
「おおぃ、何やってるんだ?」
典子の父親がやってきた。
「あら、どうしたの?」
「どうしたのじゃないだろう。いつまで経っても戻ってこないから――って、ああ、これはどうも、藤崎さん」
どうやら典子の父親は、どこかで待たされていたらしい。
「もう帰りますよ。それじゃあ藤崎さん、本年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします」
「どうも、よいお年を」
親たちは、それぞれ挨拶をして別れた。同時に典子も行ってしまった。
「さあ、お父さんが待っているわねえ」
真知子は呑気に言っているが、涼子は、店内の時計を見て、一時間は話し込んでいたな、と少し驚いていた。
涼子たちも戻る途中に翔太が迷子になって、慌てて探して、ようやく戻ってきたら今度は敏行が不在だった。寒い中待っていたら、呑気に戻ってきて「遅かったじゃないか」などというものだから、「遅いのはあなたでしょ!」と真知子が怒り出し、「馬鹿を言うな、どれだけ待ったと思ってんだ!」と敏行も応戦、てんやわんやの言い争いになった。収まったころには、もう午後四時くらいになっていた。まだ掃除は終わっていなかったものだから、結局九時ごろまで掃除をする羽目になった。
こうして藤崎家の、昭和五十七年の年末は過ぎていく。
ある田舎の納屋の中で、子供が十人ほど集まっている。その中には、涼子の同級生、金子芳樹もいる。
「――それでは、今年一年の反省会をおこなう」
宮田はその鋭い目をメガネの奥に光らせながら、自身の正面にいる同志たちに向かって言った。
「今年の『因果』は、直接のものはない。後に影響してくるものとして、水泳の授業においてのものがあった。これは成功だ。金子くん、板野くん、田中くん。君たちは素晴らしい」
宮田がそう言うと、同志たちは一斉に拍手した。秀夫と章子は、少し照れ臭そうにしているが、芳樹はまったくの無表情だった。
「来年は大きな『因果』がある。それに……彼女がくることになる」
宮田は勿体つけたような言葉を選んで使った。彼はカリスマでありたかった。目の前に揃う同志たちを率いるカリスマに憧れていた。
「彼女とは……杉本博士のことですか?」
「そう。しかし、今やあの杉本博士とは大分違う。彼女の合流を阻むことができなかったのは残念だ」
「す、すいません……」
高校生くらいと思われる少年が、申し訳なさそうに謝罪を口にした。
「構わない。確かに不利になったことは確実だが、これで『因果』を阻むことができないという訳ではない。朝倉博士も来年は無理だろう。だったらまだ、こちらの方が有利なのだよ」
宮田は余裕の表情だった。無意識に黒縁眼鏡を触った。彼の癖だった。
及川博士、朝倉博士という名前が以前に出てきた。そして今度は、杉本博士だという。彼等――いや彼女かもしれないが――は何者だろうか?
反省会が終わった後、宮田のもとに板野章子が近づいてきた。それに気がつくと、ゆっくりと自分のメガネを触り、尋ねた。
「うん? なんだ、板野くん」
「あの、宮田さん……金子芳樹についてなんですけど」
「金子くんがどうかしたかね?」
「彼――なんて言ったらいいか、ちょっと態度が悪すぎませんか?」
章子の表情には、明らかな不満は現れていた。
「ああ、まあ確かにな」
「ああいうのは、士気に影響すると思うんです。特に一緒に作戦を実行している私なんかからしたら……」
「ふむ、君はそうなのか?」
「ええ」
章子は断言した。
「来年は、あることを実行する。この時代の増田さんは、まだ組織を結成するに至ってはいないが、予定通り我々が先に結成し、その後に増田さんをお迎えするのだ」
涼子が数年前に迷子になったときに、両親を探してくれたあの増田智洋の名前が出てきた。宮田たちは、増田と関係あるらしい。
「あること……」
「そうだ。君の力を期待しているのだよ」
「は、はい!」
「そう、奴は態度は悪いかもしれないが、有能だ。あんなやつだからこそ、君を付けて作戦を行っているのだ。他のものでは務まらない」
「ほ、本当ですか?」
「そうだ。すべては『巫女』の『神託』が導いてくれるのだ。君は安心して任務に勤めてもらいたい」
「はい! 頑張ります!」
章子は元気よく答えると、部屋を出ていった。
「宮田さん、いいんですか?」
「ああ、構わんよ安西くん。彼女は何も知らない。ふふふ……我々の、我々のための組織なのだ。断じて増田智洋の組織ではない。ふふふ――」
宮田は、不気味な言葉を残し、笑みを浮かべたまま沈黙した。




