働く父
テレビでは「ザ・ベストテン」が流れている。
「ザ・ベストテン」は、TBS系列で木曜日の午後九時から放送されていた歌番組だ。昭和五十三年から平成元年まで放送された。司会の黒柳徹子と久米宏のトークも絶妙で、特にこの頃は、30%を超える視聴率を記録していたこともあり、非常に人気の高い番組だった。フラップがパタパタと動き、ランキング曲が発表されると、その曲の歌手が登場、少しトークが入って歌に入る……という演出は覚えのある人も多いと思う。
「最近の歌は、よくわからないわねえ」
真知子は、テレビから流れてくる曲をぼんやりと眺めてつぶやいた。涼子の叔母である弘美も同意見なようで、「そうそう、大して聞いてないから、わからないのよねえ」と言った。ふたりとも十年くらい前……二十歳前後の独身の頃は、レコードを買ったりしてよく聞いていたようだが、今はテレビで流れるのを聞き流しているくらいなものだ。なので、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」や、かぐや姫の「神田川」など、ひと昔前の曲のほうが詳しい。ちなみに弘美は渡哲也のファンらしく、「くちなしの花」が大のお気に入りだそうだ。何気に、自分の夫と同じ名前なのは……偶然のようだ。
知世と翔太は、流れてくる女性アイドルの明るい曲に合わせて、ヘンテコな踊りを踊っている。多分、歌っている曲はわからないんだろうが、何やら楽しそうである。
涼子は、一位となった、近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」を聞いて、懐かしいなあと思った。正直あまりよく覚えていないが、マッチの人気はすごかったのは、なんとなく頭に浮かぶ。
涼子がマッチの曲として頭に浮かぶのは、「ギンギラギンにさりげなく」だ。有名なのもあるが、一年前の昭和五十六年に発表されて大人気だったし、テレビでもバンバン流れていたので、記憶に新しいのもある。去年の紅白でも歌われていたはずだ。
そうこうしていると、祖母が「お風呂が沸いているから入ったら」と言ってやってきた。
弘美が知世に一緒に入ろうと言ったが(普段は一緒に入るらしい)、知世が子供たちだけで入ると言って聞かないので、真知子は涼子に「涼子が一番お姉さんなのだから、ふたりをちゃんとお風呂に入れてあげるように」と言いつけた。
涼子は最近ひとりで入ることが多いので、子供ふたりと一緒は面倒で嫌だったが、知世が楽しそうにしていると、言い出せなかった。
風呂は案の定、翔太は暴れるし、知世もウロチョロして落ち着かない。特に厄介なのが翔太で、風呂におもちゃを持ち込んでいたために、それを振り回してはしゃぎ回る。祖父母宅の風呂は涼子の家の倍以上あるので、この広い風呂に興奮したのか、余計にはしゃいでいるようだ。
最近は、翔太は真知子と一緒に入ることが多い(時々、敏行と入っている)ので、母の苦労を知った。もっとも、家ではこんなに暴れていないのかもしれないが。
翔太の体を洗ってやるつもりが、はしゃいでどうにもならないので放っておいた。
風呂から出た後も、翔太は拭かない上に裸のまま出ていって、走り回るものだから、早速、真知子に怒られていた。
風呂から出たら、今度は布団だ。居間に全員が布団を並べて寝ることになる。布団が並ぶとやはりテンションが上がるのは子供の性だろうか。翔太は特に駆けずり回って真知子に怒られている。知世も涼子に抱きついてきたりして、普段以上にはしゃいでいる。
藤田の祖父母は、とにかく孫に甘い。何をやっても許してもらえるものだから、楽しいばかりだった。
「源さん、今日は五時で上がってよ」
敏行は帽子を脱いで、首にかけていた手ぬぐいで額の汗を拭うと、向こうでボール盤で穴あけの作業をしている、大河原源造に声をかけた。工場の中はとても暑く、窓をすべて開け放っているにも関わらず、拭っても拭っても汗が止まらない。
「ああ社長。もう後これだけじゃあし、これは全部終わらせるよ」
源造はそういうと、ふたたび穴あけを始めた。
「いつも悪いね。こんな時期に……」
「こんな時期じゃあから仕事がくるんじゃろうな。なるべくやったほうがええ。わしゃ、里は金岡じゃあから近いけぇのう。自転車でも帰れる」
この仕事は、盆休み明けにすぐに納品の予定にもかかわらず、よそが軒並み休みなり仕事なりで埋まっていたために、藤崎工業に話がきた。このせいで休みがなくなってしまうが、この無理な仕事を受ければ、言い値で請求できるため、都合がよかった。また、発注先にも貸しができる。
ちなみに金岡というのは、現在の岡山市東区西大寺金岡だ。西大寺地区の南部にある。源造宅からだと六、七キロ程度の距離だ。そんなに遠くはない。源造の実家は、もう両親は他界しており、現在は兄が継いでいる。
「こうして頑張ってりゃ、いつかきっと……報われるときがくるかなあ」
敏行は扇風機の前にきて風に当たった。生ぬるい風でしかないため、あまり涼しくないが当たらないよりマシだった。
「社長はヨッさんから信用されとるし、大丈夫じゃあ。わしみたいな老人でも、こうして使ってくれとるし」
「何言ってんの、源さんはうちの主力だろ。源さんなしには藤崎工業は動けんよ」
実際、源造は金属加工全般で優れた技術を持っている。現状、本当になくてはならない存在だった。
「いやいや、老人はおらんでも回るよ。これからは若者の時代じゃあし。さあ、全部あいたよ。あとはこれらを溶接したら完成じゃな。――明日にするかね?」
「ああ、そうしよう。いやはや本当に暑いなあ。源さん、冷たい麦茶あるからさ。飲んで帰ってくれよな」
敏行はそう言って、冷蔵庫のある事務所の方を指差した。
楽しい祖父母の家はあっという間に終わりを告げた。一泊二日しかしないため、翌日には帰宅となる。哲也はもう一日泊まっていくらしいが、涼子の家はもう帰らなくてはならない。
そして、昼過ぎに敏行はやってきた。
「涼子ちゃん、またねぇ。いっしょにあそぼうね」
「うん。じゃあね」
涼子は知世と別れの挨拶をした。知世は、母方の方のいとこである内村友里恵に比べて、より近いところに住んでいるせいか、会う機会が多い。こうして別れても特に寂しさはない。
ふと見ると、真知子と弘美がいつまでも世間話を続けていた。いつもまあ、あれだけ話すことがあるものだ、と感心した。待っていても一向に終わらないので、業を煮やした敏行が「おい、いい加減に帰るぞ」と言って、ようやく終了したようだ。
「おい、敏」
祖父はふいに、運転席に座る敏行に声をかけた。
「なんだよ、親父。借りた金は絶対に返す。昨日も言ったが、仕事は忙しいくらいなんだ。だから……」
「――頑張れ。お前は一家の主人だ。真知子さんや涼子ちゃん、翔くんを悲しませるようなことのないようにな。借金は急がん。わしゃあ、金には困っとらん」
「……ああ。また来るよ」
「急がんけど、また貸せとはいうなよ」
「そんなわけないだろ。じゃあ……」
敏行はそれだけ言うと、少し笑った。ゆっくりと車を発進させた。




