友達作戦
「やっぱり気持ちいいよねっ!」
奈々子は大はしゃぎだ。しかし、あまり羽目をはずすと怒られるので、怒られない程度に涼子たちと遊んでいる。
その裏で、また何かやろうとしている輩がいることを彼女たちは知らない。
「よう、赤井。俺と競争しねえか?」
芳樹は赤井に声をかけた。赤井は少し驚いた。芳樹は自分から何か声をかけてくることなど、基本的にはない人だったからだ。
「きょうそう? えへへ、いいよ。どうやるの?」
赤井は、珍しく親しく声をかけてきた芳樹に少し嬉しくなったのか、簡単に了解した。
「あの端から端まで、どっちが早く行けるかやろう」
「よしきた!」赤井はやる気満々だ。ふたりが競争するっているのを聞いた、近くにいた数人が興味深そうにふたりを見ている。そのうちのひとりが、芳樹と赤井が並んだところで、
「よぉい……すたぁと!」
と叫んだ。それを合図に動き始めるふたり。赤井は楽しそうに、バシャバシャと水をかき分けながら前進していった。
「始めたわね。じゃあ持田を遠ざけるよ」
章子は秀夫に言った。『神託』では、持田が赤井に気がついて、すぐに助けようとする可能性が高い、と出ていた。要するに、持田の邪魔が入る可能性が高かった。なので、持田を赤井から遠ざける必要があった。
「秀夫、持田に声をかけて、あっちに連れていって」
「わかったぜ」
秀夫はすぐに動き出した。
「おい」
「うん? え、ええと何?」」
持田は、いきなり声をかけられて面食らった。慌てて平静を装うと、冷静でいるふりをして、声をかけてきた男子の顔を見た。見たことがない顔だと思った。そして、多分B組のやつだ、と見当をつけた。
「やぁい、ばか、ばかぁ! お前の母ちゃんデベソ!」
持田を煽る秀夫。その幼稚極まりない悪口を聞いた章子は、秀夫は本当に未来から『跳躍』してきたのだろうか? まさか本当の小学生では? と疑問が湧いてくるのだった。しかし持田はそんな悪口に、いとも簡単に反応した。
「な、なにぃ! し、しつれいだぞ! ぼくのおかあさんはでべそなんかじゃない!」
——持田も馬鹿ね。あんな幼稚な煽り、無視すればいいのに……と章子は思ったが、それでは作戦が失敗してしまうので、それは困る。まあ、所詮はガキだ、と思い直した。
「うわぁ!」
競争も半分ほど進んだころ、赤井が転んで水の中に沈んだ。赤井は競争以前に散々プール内を動き回っていたせいもあって、ヘトヘトになってしまった。どうも足が思ったように動かず、バランスを崩して倒れ込んでしまったようだ。
章子と秀夫は、その瞬間を見逃さなかった。すかさず北川の背後から、ぶつかったふりをして、倒れてプールに沈んだ赤井の姿を見せるように動いた。
――よし。
芳樹は成功だ、と思った。持田もそばにいない。先に章子と秀夫が遠ざけている。……が、予想外のことが起こった。
「赤井くん、大丈夫?」
典子が気がついて、赤井の手を持った。その様子に気がついた涼子と奈々子がそれを補助して、三人で赤井を起こしてやった。
「いやぁ……びっくりしたなぁ、もう!」
赤井はニヤニヤしながら、懐かしいギャグを披露した。かつて「てんぷくトリオ」で人気を博した三波伸介のギャグだ。涼子たちの生まれる前に流行ったギャグで、涼子はそれが、ギャグだとわからなかった。余談だが、その三波伸介はこの年の十二月に急死している。まだ五十二歳だった。
――あのやろう!
芳樹は、邪魔が入ったことに気がついて悔しく思った。
「ちょっと、芳樹、あれは――」
章子がそばにやってきて呆然とした。
「やり直しだ。もう一回やるぞ」
「でも、大丈夫なのかしら……」
「知るか! どうあれ、北川が助けて仲良くなりゃいいんだろ。まだチャンスはある」
……あれから二度三度と試みたが、何かしらの邪魔が入って、うまくやることができない。芳樹たちには焦りの色が見えていた。
章子はふと思った。時計を見たわけではないが、そろそろ授業の終わる時間ではないだろうか?
「多分、最後のチャンスだ。やるぞ」
芳樹も同じことを考えていたらしく、これでだめならもう無理だと章子たちに宣言した。
結局、最後の試みもやはりだめだった。
「今回は失敗だ。チッ!」
芳樹は邪魔な同級生たちを、忌々しい奴らだ、と恨めしそうに睨んだ。その時「プールから上がってください」という島田の声がした。どうやら時間切れのようだ。——また失敗か……、章子は暗い気持ちになった。
しかしそんな時、芳樹たちに幸運の女神は手助けしてくれたようだ。
次々にプールから上がっていくみんなと一緒に赤井も上がろうとしたが、ふいに横から肩を当てられて、そのままプールに沈んでしまった。赤井は慌てて起き上がろうとしたが、足を変なふうに捻ってしまったのか足首に痛みが走って、体を起こせない。
赤井は焦った。バタバタと手を動かしたが、他の子もガヤガヤとプールから上がっており、水面は賑やかな状態だった。誰も気がついてくれない。――だ、誰か! と水中から叫ぼうとしたその時、急に上半身が起き上がり、頭が水面から出すことができた。
「大丈夫?」
そう言って、心配そうに赤井の顔を見ていたのは、なんと北川だった。
「えっ、あ、ああ。ありがと」
赤井は体勢を安定させてもらって落ち着くと、少し照れ臭そうに北川にお礼を言った。
「でも、どうしたの?」
「足が痛くて……」
赤井は足首を触った。そこが痛いらしい。
「大丈夫? 先生! 赤井くんが!」
「どうしたの?」
それから、先生ふたりが赤井を担いで上げると、どうしたのか、どこが痛いのか、などを色々聞いている。そういうことをしばらくしていると、足の痛みは治まったようで、「もう全然痛くないや」と普通に歩いて見せていた。
足の痛みはもうないと言っているものの、大事があってはいけないと、男性教師が背負ってすぐに保健室に運ばれた。保健医曰く、ちょっとひねっただけだろう、問題はなさそうだ、と診察されて戻ってきた。みんな心配そうに赤井を迎えて「大丈夫?」「痛くない?」など取り囲んで様々な質問をぶつけている。思わぬところで注目を浴びた赤井は、嬉しくなってギャグを交えて面白おかしく喋っている。しかし、すぐにチャイムが鳴って次の授業が始まった。
「北川くん、ほんとありがと。あのときはさぁ、いたくておきあがれなかったんだ」
赤井は休み時間になると、北川の元にやってきてお礼を言った。ちゃんと言ってなかったから、早く言いたかったのだ。
「そうだったんだ。でもよかったよ」
「なあ、まさちゃん」
「まさちゃん?」
北川は驚いて聞き返した。
「だって、なまえが”まさる”だろ? だから”まさちゃん”」
「えへへ、じゃあ、赤井くんは”ひろちゃん”だね」
「そうそう。ぼくさ、いえではそうよばれてるんだ」
「ねえ、がっこうがおわったらいっしょあそばない?」
「いいねえ。あそぼうよ!」
ふたりは嬉しそうに遊ぶ約束をした。これ以降、赤井と北川はより仲良くなっていく。
「——やれやれだな」
芳樹はホッとしたようにつぶやいた。
「まさか、勝手にふたりで仲良くなるとは思わなかったわね」
章子は言った。本当に仲良くなるとは思わなかった。
「ああ、そうだな」
「でもさあ、あれで本当にいいのか?」
秀夫は、芳樹と章子がやはり疑問視していることを口にした。
「わからん。ただ、あのふたりが友達になりゃいいって話だろう。だったら、あれで問題はないだろうと思うがな」
「そうね。工程はそれほど重要じゃないと思うわ。結果よ」
ふたりとも、成功したんだ、ということにしたい様子だ。あとで報告を聞いた宮田は、「問題ないはずだ」と答えている。
――しかし、これは以前からの問題だ。彼らはどういう状態を目指そうとしているのか? 涼子の言う『前の世界』と同じような状態を目指しているようにも思える。
また、去年のジローとの決闘などのように、芳樹たちを邪魔しようとしているものたちも存在する。彼らもまた、どういう状態を目指しているのか? こちらは『前の世界』とも、また違う状態を実現しようとしているように思える。
もうすでに、『前の世界』と同じ状態、違う状態が混在した状態になっている。これが一体どうなっていくのか。謎は深まって行く。




