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プール開き

「今日は水泳だよね。私、楽しみなんだよねえ」

 菜々子は嬉しそうに言う。菜々子はプールが大好きだ。幼稚園の頃から水を怖がらない上に、水遊びが大好きだった。少しなら、もう泳ぐこともできるのだ。

「私も楽しみだよ」

 涼子も同意した。

 由高小学校は今日からプール開きだ。二時間目の授業から、六年生と一年生。三時間目には五年生と二年生。最後、四時間目に四年生と三年生が入る。プールがあまり大きくないので、二学年づつに分けて入る。


「涼子、忘れ物はないでしょうね?」

 真知子は前日、初めての水泳授業にて、忘れ物がないように注意を促した。

「水着と帽子と、タオルと命札と……大丈夫」

 涼子は赤い手提げ袋の中身を確認して答えた。この手提げ袋は学校指定のもので、女子は赤、男子は青だ。ナイロン製で、上部に紐を通してあり、これを絞って口を閉じる。水着と水泳帽子はどちらも、昭和当時の、学校指定のごく一般的なものだ。男女ともに、水着の腰の左側あたりに名前を記入した布を縫い付けてある。

 明日、初めて着てプールに入るだけあって、大したことではないと思いつつもワクワクしていた。なんでもそうだが、新品を初めて使うときは気分が高揚してくるものだ。

「衣替えもしたし、もうプールの季節なのよねえ。暑いわけだわ」

 真知子は、荷物を確認している涼子の様子を見ながらつぶやいた。明日は六月十二日月曜日。衣替えもあって、季節も見た目も夏模様だ。まだ本格的な暑さではないが、外を歩けば汗がにじむ。

「だんだん暑くなってきてるから、ちゃんと帽子をかぶるのよ。日射病にならないようにね」

「はぁい」


「命札はここに置いておくように。――木田くん、ちゃんと並べて置きましょう」

 島田先生は、プールサイドの端にある屋根の下に命札をおくよう指示している。

 命札というのは、プールを利用する際の、安否確認のための道具だ。入る前に命札を預けておき、プールから上がると自分の命札を持って出る。全員プールから上がっていると、命札は残っていないはずで、もし残っていたらまだプールにいる――溺れているかもしれない、ということを確認するためのものだ。よって、命札がないとプールに入れさせてくれない。見学になってしまうのだ。はっきり言って、忘れた場合は別のもので代用しても問題がないように思うが、それは許されず、有無を言わせず見学になった。

 地域によって違いがあるかもしれないが、この由高小学校では、かまぼこ板をそれぞれの家庭で用意して、その板の表面に学年と学級、それと名前を書いている。裏面には、自宅の住所と電話番号を書いた。また、上部に穴を開けてそこに紐を通してあり、首からぶら下げられるようにしてある。

 これを首にぶら下げたまま、まずシャワーを浴び、続いて消毒槽に十秒間浸かる。それが終わると、ようやくプールのところまでやってこれる。ちなみに終わりは、プールサイド入り口のそばにある洗眼用の蛇口で目を洗って、今度は消毒槽の横の通路を通って、シャワーを浴びて更衣室で着替えである。


 プールは二種類の深さがあり、全体の三分の一くらいが五十センチ程度の浅いプールになっている。一、二、三年生は、この浅い方のプールを使う。

 一年生はみんな、この浅い方のプールの前に班ごとに並んで座っている。島田はプールでの注意点や、やっていいこと悪いことを説明していた。

「では、プールに入りましょう。走ってはいけません。ゆっくり入りましょう」

 島田の声に、涼子たち一年生は、ぞろぞろとプールに入っていった。プールが楽しみで、すぐに入って喜んでいる子もいれば、水が苦手で躊躇している子もいる。腹くらいの深さしかないので、溺れることはないはずだが、怖いと思う子は、どうしても怖いらしい。

 同じ学級の田中良美という女の子が、どうしてもプールに入りたくないらしく、島田に入るように言われているが、必死に抵抗している。プールの一角では男子が仲のいい数人同士で、水を掛け合ったり、バシャバシャと暴れまわっていた。それを見たB組の川崎先生が「こらっ! 暴れたらだめでしょ!」と大声で注意されていた。

「ナナ、涼子、それぇ!」

 嬉しそうな顔をした典子が、涼子たちに向かって水をかけてきた。

「あ、典子、やったなぁ」

 奈々子は、典子のすぐそばに、飛びかかるように倒れこんだ。大きな水しぶきが上がって、典子や涼子に降りかかる。

「お返しよ!」

 涼子と典子が両手で、奈々子目掛けて水をかけた。奈々子も負けじと反撃している。楽しい時間だった。



 今朝……教室に行く前に、芳樹と仲間である板野章子と田中秀夫が集まっていた。

 板野章子は、眼前の芳樹と秀夫に言った。

「――作戦よ」

「どういう作戦だ?」

 芳樹は章子を睨んだ。章子はひと呼吸置くと、静かに作戦内容を話しはじめた。

「A組の北川勝と、赤井博幸が友達になるのを助ける」

 それを聞いた芳樹は怪訝な顔をした。

「なんだそりゃ。そんなことして、何があるんだ?」

「知らないわよ。『因果』に関係することだってさ。宮田さんがそう言ってたし」

「またあの『神託』とかいう、世迷言じゃあねえだろうな」

「ギャハハ、ヨマイゴトだってさ!」

 秀夫が大笑いした。章子はムッとした表情で秀夫を睨んだ。気がついた秀夫は笑うのをやめた。

「……あんまりバカにしたようなこと言ってると、宮田さんに言うよ」

「勝手にしな。俺はどうでもいいぜ」

「芳樹……」

 章子は苦い顔をした。挙句に反論もできず、ますます苦い顔になる。言葉に詰まった章子を見て、芳樹は言った。

「——まあ、任務は任務だ。具体的な話を聞かせろ」

「ええとね――」

 作戦内容は……北川勝が溺れる。それを赤井博幸が助ける。それによって、このふたりが友達になる。こうするのが今回の作戦のようだ。

「どう関係があるんだ? こいつらが仲良くなった方がいいのか?」

「そう。『遡行』の前、赤井は北川と、お笑いコンビ「ラッキーモンキー」で一時期テレビに出てたわね」

「ああ、出てた、出てた。そういやそうだ」

 秀夫は思い出したようだ。

「大して面白くもねえがな」

「本来は赤井はピン芸人だったそうよ」

「そうなのか?」

「このふたりが、小学生でお笑いコンビを結成するのが、後に影響してくるらしいわ」

 赤井と北川は、涼子のいっている『前の世界』において、二〇〇五年頃にコンビでテレビに出ていた。北川が話を振ると、赤井がボケて、それに北川がツッコミを入れると、猿によく似た顔の赤井が「ウッキッキ」と猿の真似をしてごまかすという漫才が受けて話題になったが、一年も経たずにテレビから消えていった。涼子――いや、当時は涼太だったが――も、同級生だったので一応は注目していたが、あの寒いギャグのどこが面白いのか、最後までわからなかった。


「このプールの授業中に、赤井が溺れる」

 章子が言った。

「どのタイミングで溺れるんだ?」

「勝手に溺れる分けじゃない。こっちで溺れさせないとだめなようね」

「おいおい、大丈夫かよ。すぐバレるんじゃねえのか?」

 芳樹は、どうも面倒なやり方ではないか、と想像して嫌味な言い方をした。

「俺にやらせてくれよ。うまくやってやらあ」

 秀夫が言った。自信があるようだった。

「馬鹿か、オマエ。グズの秀夫に何ができるんだ?」

 芳樹は秀夫を馬鹿にしたような口ぶりだった。どうやらあまり信用していないらしい。しかし、秀夫はムキになって叫んだ。

「そりゃないぜ。俺だってやれる! やれるんだ!」

 睨み合う秀夫と芳樹を、慌てて止めに入った章子は、

「待ってよ秀夫。やり方が決まってるのよ。役割もね」

 そう言って双方を順番に見た。

「マジかよ。俺は何をやるんだ」

 芳樹は目を細めて章子を睨んだ。

「これから説明するわ。ええとね……」

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