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勝負

 図画工作の授業。一Aの教室から、図画工作室に移動して授業する。今日の図工は、クレパスで絵を描く授業だ。

 クレパス。小学校のとき、図工の際によく使ったことがあるのではないだろうか。

 サクラクレパスが開発した、クレヨンとパステルの長所を持ち合わせた、図画用具だ。クレヨンとパステルを合体させて「クレパス」と言うことである。一九二五年に先述のサクラクレパスが発売し、現在でも販売しているロングセラー製品だ。学校教材として、多くの人が授業で使ったのではないだろうか。


「なにを描いてもいいです。好きなものを描いてみましょう」

 島田はそう言って手を叩いた。それを合図に生徒たちはガヤガヤとざわめき始める。仲のいい子同士が固まりだして、なにを描くか、あれがいい、これがいい、と楽しそうに話している。

 涼子は仲のいい、奈々子や典子たちと一緒にいた。

「ねえねぇ、涼子。なにをかくの?」

 奈々子が聞いた。

「うぅんとね、花がいいと思うんだけど」

「それいいかも、わたしもそうしよ」

 奈々子も涼子と同じものを描こうとした。

「えぇ、じゃあ、わたしも」

 すると典子もふたりに同調する。

 こういう時、どういうわけか皆同調することがある。ひとりが「これがいい」と意志を見せると、周囲の人たちは誰も彼も、その意見に同意する。個性よりも、協調性を重視する日本人特有の症状かもしれない。

「わたしは、アサガオをかこうかなあ」

 奈々子が言った。


 持田は友達数人と一緒に、似顔絵を描くようだ。半分くらい友達とお互いの顔を描くつもりらしく、

「じゃあぼくは、しゅうちゃんをかくよ」

 持田は、友達のひとりである内田修治を描くらしい。

「ぼくはニッシンだ」

 木田浩司は、同じく持田と仲がいい仁科義博を描くらしい。ニッシンというのは、仁科の苗字に由来する彼のあだ名だ。



 二日後、描いた絵が教室の後ろの壁に張り出された。

「矢野さんのって、かわいい!」

「ヒデちゃん、なんだよそれぇ!」

「ばっか、ガンダムだぜ、わからねえの?」

「あれみろよ、ヘタクソ。あははっ」

 壁一面を埋め尽くす力作の前で、様々な声が上がっている。

「もっちゃんはうまいな。やっぱりすげえ」

 内田修治が持田の描いた、自分の似顔絵を褒めた。持田と仲のいい他の同級生たちも同様に褒めた。言われるだけあって、確かに小学一年生が描いたことを考えたら、内田の顔の特徴をよく抑えており、以外にもうまく描けている。

 持田は得意な顔で、チラリと涼子の方を見た。涼子は近くにいる同級生の子と、なにか楽しそうに話をしていた。持田は涼子の絵を探した。すぐに見つけ出して、涼子の描いたチューリップらしき物体を見ると、一瞬で吹き出しそうになった。

 ――ウププ……なんだあれ、あれが藤崎さんの絵! あの、花? らしき絵! プププ。

 心の中で笑いが抑えられず、内田が「もっちゃん、どうしたの?」と言われて「い、いや――あはは、あはは!」と、とうとう笑い出してしまった。一斉に周囲の注目が集まる。

「ああ、いや……な、なんでもないよ」と手を振って、慌てて弁明した。


「いやあ、藤崎さん。藤崎さんの絵ってあれ? いいじゃないか」

 持田はわざとらしく涼子を褒めた。

「え、そう? 私って絵が下手だと思ってたけど、そう言ってもらえると嬉しいな」

 皮肉のつもりで言ったのに、涼子が本気で嬉しそうにしたものだから、言葉に詰まってしまった。するとそばから、奈々子が顔を出して、

「えぇ、持田くん、涼子の絵ってうまいの? わたしはヘタだとおもうけど」

 と言った。

「ナナったらひどいなぁ。そういうナナだって下手じゃない。そもそも黄色いアサガオって見たことないよ」

「やっぱり? そうだよねぇ。だって典子がヒマワリかくから、わたしも、きいろいはなが、かきたいなあって」

 奈々子はそう言って大笑いした。涼子たちはお互いの作品にツッコミを入れて笑いあっていた。

 それを側で見ている持田は、せっかく涼子に勝ったと思ったのに、あんまり勝った気がしないことにがっかりした。涼子の悔しそうな顔が見たかったようだが、そういう雰囲気はまったくない。みんな和気あいあいとしていて、自分の力作を涼子に自慢する機会を逸したと、心の中で悔しがった。

 そして、そんな持田に、さらなる追い討ちをかけられる。


 みんなの注目は、ひとつの作品に注がれていた。

 その作品は、奥田美香の描いた、島田先生の似顔絵だった。

「奥田さんの絵って、すごいうまい」

「島田先生だよね。すごい」

 次にみんなの視線は、奥田美香に注がれた。奥田美香は照れ臭そうに微笑んでいる。持田同様に島田の顔の特徴をよく押さえていて、それでいて部分的な破綻や矛盾もなく、うまく描けていた。あくまで小学一年生としてはではあるが、同級生たちの作品の中では、明らかに頭ひとつ突出していた。

「さすがみっちゃん。うまいなあ」

 奥田美香と仲のいい加藤早苗が、満足そうにつぶやいた。それを隣で聞いた奥田美香は、「ふつうだよ、さなちゃんもじょうずだとおもうよ」と言った。ちなみに、”さなちゃん”というのは加藤早苗のあだ名だ。

 そんな中、持田は呆然と立ち尽くしていた。国語や算数は涼子に負けて、唯一勝てそうな図工も奥田美香に負けた。

 ――ど、どうして……ぐぬぬ。くそう! ぼくは、ぼくはっ!

「もっちゃん、どうしたん?」

 今度は木田が、悔しそうな様子の持田に気がついて声をかけた。

「あ、いや。なんでもないさ」

 持田はすぐに平静を取り戻し、いつものように余裕の表情を見せた。

 ――そうさ、ぼくはお金持ちなんだ。ぼくはみんなとはちがうんだ! ぼくは藤崎さんとちがって、どれもとくいなんだ! だからすごいんだ!

 そう言い聞かせて、自分を納得させた。心の中で描かれる自身の背後には薔薇の花が咲き誇っていた。


「持田くん、どうしたんだろ?」

 涼子は、自信に満ち溢れた様子の持田を見てつぶやいた。

 奈々子が言った。

「持田くんって、へんな子だよね。なんかこう、後ろにバラの花が咲いてそう。マンガみたいにさ」

「あはは、それ言えてるぅ。なんかこう、パァッッて」

「あっはっはっ、それおもしろぉい」

 涼子は奈々子とふたりで笑いあった。笑われている持田は、呑気に自己満足に浸っているようだ。

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