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村上奈々子

 放課後。教科書やノートをランドセルに入れて、帰る準備をしているとき、奈々子がやってきた。何が嬉しいのかわからないが、顔をほころばせて涼子の隣に立った。

「ねえ、涼子。かえったらいっしょにあそばない?」

 あとで一緒に遊ぼう、というお誘いだったようだ。涼子はせっかく仲良くなったのだからと、了解しようと思ったところ、

「うん、いいよ。……あっ」

 同時に今朝のことを思い出した。

「どうしたの?」

「ごめん、帰ったら弟と遊んであげる約束だったんだ……」

 今朝、寝ていた翔太の手を蹴飛ばして怒らせてしまったので、帰ったら遊んであげる約束をしていたのだった。

「そうなの。涼子って、おとうとがいるんだ。まだちっちゃいの?」

「うん、来年幼稚園なんだ。まだ引っ越してそんなに経ってないから、寂しいと思うし」

 涼子は、タイミングが悪いなあ……と残念に思った。しかし自分で蒔いた種なので文句は言えない。

 しかし、そんな涼子とは裏腹に、菜々子は何か閃いたように表情を明るくして、

「なるほど……じゃあさ、わたしが涼子のおうちに、あそびにいってもいい?」

 と言った。

「え? ……う、うん。いいよ」

「じゃあきまりね」



 まだ入学から間もない四月なので、授業は午前中の四時間だけだ。午後から掃除と帰りの会を行なって、午後一時には下校する。

 奈々子の家は、学校から見て、涼子の家よりもさらに離れたところにあった。涼子は「川口」、奈々子はその川口の左隣の「新地」という地域に住んでいる。なので、地域が違うために集団登校は別だが、下校時は途中まで同じ道なので、父兄(主に母親)の引率のもと、十人くらいの同級生と一緒に帰っている。それぞれ自宅の近所まで来ると、ひとりまたひとりと離れていって、最後は一番遠い子がひとり引率の大人に連れられて、自宅まで帰ることになる。涼子はその中間くらいで離脱する。

 また、いつも涼子の家の近くを通るので、奈々子は涼子の家を知っていた。

「じゃあ、あとでいくね。ばいばい」

「うん、ばいばい」

 舗装道路から家へ向かうコンクリートの小道へ入る手前で、奈々子と別れた。涼子は早々に家に向かっていった。


「ただいまぁ」

 涼子は玄関の引き戸を開け放つと、すぐに靴を脱いで上がった。奥からドタドタと足音が聞こえたと思ったら、やはり翔太が現れた。

「お姉ちゃん、あそぼ!」

 翔太は姉の手を両手で持つと、そのまま引っ張って子供部屋に向かおうとしている。

「ちょっと、ちょっと。引っ張らないでよ」

 構わず部屋まで引っ張られて行く涼子は、苦笑いしながら引きずられていった。


「ともだち?」

「そう、お姉ちゃんの友達だよ。ナナっていうの」

「……」

 翔太は急に黙り込んだ。何か不安そうな困ったような表情だ。理由はよくわかっている。翔太は、自分より明らかに年上の人には、人見知りしてしまうのだった。同じくらいの歳の子だと、何のためらいもなく仲良くなれるのに、年上に感じる場合になると、途端に人見知りをしだす。

 今だけで、そのうち治るだろうと言われているので、涼子も放っているが、困ったものだな……といつも思っている。

「翔くんもきっと仲良くなれるよ。ナナはすごくいい人だよ」

「……」

 それから涼子は、菜々子のいいところをいくつか紹介し、翔太の心を開けようとした。しかし翔太の心の扉は、そう簡単には開かないようだ。

「りょぉこ、ちゃぁん!」

 ふいに、玄関の方から呼ぶ声が聞こえた。

「あ、来た」と、涼子が言ったすぐ後に、「はぁい」という真知子の声が聞こえて、廊下を歩いていく音が聞こえた。少し間を置いて、「涼子、お友達よ」という真知子の声がした。

「はぁい!」

 涼子は大きめの返事をして、子供部屋を出て行った。


 玄関には、着替えて普段着になった奈々子が笑顔で立っていた。普段着の奈々子は、ピンクのTシャツに赤のスカートという、学生服とはうって変わって明るく派手で子供っぽい印象だった。元々快活な性格の菜々子だが、やっぱり小学一年生のちびっこである。

 涼子は早速「ナナ、上がって」と、笑顔で訪問を歓迎した。

「おじゃましまぁす」

 奈々子も笑顔のままで、さっさと靴を脱いで家に上がった。


「翔太っていうの。――翔くん、友達のナナよ」

「……」

 相変わらずだが、翔太は姉の背後に回ってその背中に抱きつくと、そのままじっと顔を隠している。

「もうっ、翔くん。大丈夫だって」

 予想はしていたものの、やはりこれでは困ったものだ、とげんなりした。敏行は、いずれ治っていくものだ、と気楽に考えているが、本当にしなくなるのか怪しくなってくる。

「そういうものよ。うちのおとうとも、にたようなものだけど」

「ナナの弟もなの?」

「うん、そうなのよ。ふだんナマイキなくせに、しらないひとがいると……あ、それはゴーグルファイブ?」

 奈々子は、絨毯の上に並べられている五体のカラフルな人形を指差した。それはまさしく翔太の大好きな大戦隊ゴーグルファイブの人形だった。安価なソフトビニール製の人形である。

「あれ、知ってるの?」

 涼子は意外そうな顔をして尋ねた。

「うん、うちのおとうともすきなのよ。おなじようなにんぎょう、もってるよ」

 実は奈々子の弟が持っているのは、サンバルカンの人形だ。しかし現在、彼女の弟が夢中になって見ているのがゴーグルファイブなので、自宅にあるのもゴーグルファイブと勘違いしていた。

 ふと奈々子は、翔太がこちらを見ているのに気がついた。さっきまで涼子の背中に顔を隠していたのに、いつの間にかこちらをじっと見ていた。大好きなゴーグルファイブの話題が出たことで、気になっている様子だ。

「翔くんは、どれがすきなの? やっぱりゴーグルレッド?」

「う、うん! ゴーグルレッド!」

「わたしのおとうとはねぇ、ゴーグルブルーがすきならしいのよ」

「そうなの?」

 涼子は意外だと思った。自分の場合もそうだが、大抵の子はリーダーの赤に憧れるものだと考えていたからだ。前の世界でも、翔太と遊んでいて、どっちがレッドを演じるかで何度も揉めたのだ。それから、ゴーグルファイブのブルーは隊員の中では三番手という印象で、ブラックより地味に思えた。

「うんと。いうか、武志ったらなぜかアオがすきなのよね。なんでもブルーばっかりえらぶのよ」

 奈々子の弟——武志は、とにかく青がお気に入りで、服も持ち物も青系の色ばかりを選び、青以外には見向きもしない。

「ああ、それわかる。翔くんも、いっつも赤がいいって」

「だってレッドだもん! レッドがいちばんつよいんだもん!」

 翔太はレッドが好きだった。基本的に戦隊モノのリーダー、もしくは主役はレッドと相場が決まっているのだ。それを認識している翔太は、とにかくレッドに並々ならぬ魅力を感じていた。

 大抵の場合、男の子の人気の色は赤と青のいずれかに分かれると思う。もしくは、第三の存在として黒もあるかもしれない。とにかく、そのくらい人気の色だろう。

 そんなことを色々話していると、真知子がジュースを持って部屋に入ってきた。

「うちの涼子と遊んでくれて、ありがとうね。まだこちらに来て短いし、これからも仲良くしてね」

 真知子は笑顔で奈々子に声をかけ、子供たち三人の前に、グラスに注いだオレンジジュースを置いた。娘の友達ということで、印象良く見せようとしているのか、いつも以上に笑顔が大げさだった。

「うん、涼子ちゃんはおともだちだから。こんどはうちにあそびにきてね」

 奈々子は涼子の手をとって言った。

「うん。翔くんも連れて遊びに行ってもいいかな?」

「もちろんよ。武志となかよくなれるかも」

 その後、午後四時くらいまで遊んで、奈々子は家に帰った。


 小学生になって二、三週間なるが、クラスメートたちは親しくはしてくれても、まだどこか距離を感じることが多かった。奈々子も初めはやはり同じだった。が、次第に打ち解けてきて、こうして仲良くなれた。奈々子ととてもいい友達になれそうだった。

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