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一年A組

 学校の正門前に並ぶ満開の桜並木が、涼子たち新一年生を歓迎してくれる。涼子の心の中に眠る懐かしい思い出のアルバムを、一ページづつめくるたび、ふたたびめぐり逢えたことに喜びを感じた。

「どうしたの?」

 真知子は、一緒に歩いていた娘が、突然立ち止まったことに気がついて尋ねた。

「ううん、何でもない。桜、きれいだね!」

「そうね、それにたくさん咲いているわねえ」

 真知子はそう言って、涼子の小さな肩を抱いた。

「さあ、行きましょ」



 ――入学式の日は、やっぱり緊張したなあ。

 式が終わった後、それぞれの教室に移動して……もっとも二学級しかないからどちらかの教室に分かれるだけだが。

 涼子は一年A組になった。もちろんだが、他所から引っ越してきたため知った子はいない。いや、名前を覚えている子はいる。しかし、小学一年生の顔を見たくらいでは、顔と名前が一致するのはなかなか難しい。知らないも当然とも言える。三十人ほどの同級生の中、ひとりだけ誰も知らないというのは、少し心細いと思った。もしかしたら自分だけではないかもしれないが、多くの子は由高幼稚園から上がってきた子であろうと思われる。自分の前に座っている子は、その前の子と楽しそうにおしゃべりしていた。友達なのかもしれない。


「みなさん、はじめまして。今日からみなさんに勉強を教えることになった、島田昌代と言います」

 一年A組の担任、島田昌代は教壇に立ち、初々しいピカピカの一年生たちを目の前に、穏やかに挨拶した。涼子や他のクラスメートたちは、皆黙って島田の言うことに耳を傾けていた。

 ――島田先生だ。懐かしい。

 涼子は正面にいる島田を、懐かしい思いで見ていた。島田は温厚で、優しい先生だ。怒っているところを見たことがない。実際には、見てないだけで怒ったりもするのだろうけど、それくらい温和な先生だった。

「みなさんは、これからは小学生という、今までとは違うところで、様々なことを学びます……」

 島田が生徒たちに簡単な演説を行っている。それぞれの席に座っている生徒たちは真剣に先生の言うことを聞いていた。その背後では、生徒の父兄が立ったまま、同じように黙って聞いていた。皆気心の知れた人は少なく、どこか緊張した空気が漂っていた。

 島田が言い終わると、生徒たちの自己紹介が始まる。涼子は、まだ忘れていない名前がいくつも出てくるので、とても不思議な気分だった。普通だったら、この中の誰も知っているクラスメートはいないはずのだ。しかし、前の世界の記憶を持っている涼子は、思い出せる名前が結構あった。もちろん、うっかり忘れている子もいるが、それでも懐かしい名前が次々と聞こえてくる。

 そんな中、どこか妙な雰囲気の生徒が自己紹介を始めた。

「金子芳樹っす、よろしゅう……」

 金子芳樹は、少し気だるそうにそっぽ向いてボソボソ言った。

「金子くん、もう少し元気よく挨拶してみましょう。小学生になったのだし、次からは頑張りましょうね」

 島田は芳樹を注意した。芳樹は、だるそうな表情は変えることなく、へいへい……と面倒臭そうに答えた。島田は一瞬苦い顔をしたが、すぐに穏やかな顔に戻って、「それでは、次は工藤くん」と、次の子の自己紹介を促した。


「藤崎涼子です。よろしくお願いします」

 涼子は自信をもって言った。知らない子ばかりだが、みんな本当に小学一年生のちびっ子なのだ。それにひきかえ、涼子は体はみんなと同じでも頭の中は大人だ。言い方は悪いが、所詮は子供、とクラスメートを見ていた。

「藤崎さんは、よそから引っ越して、こちらの由高小へ入学したのでしたね」

「はい」

「他の人はみんな由高幼稚園から入学しているから、藤崎さんを知らない人ばかりだと思います。ですが、今日からみんな同じ学級の仲間です。早く仲よくなれるよう、みんなで協力しましょうね」

 島田がそういうと、涼子と芳樹以外の生徒たちは一斉に「はぁい」と返事した。




 ――それにしても、あの金子くんって、どこかで会ったことがあるかな? ううむ、思い出せないけど……。

 金子芳樹という生徒は、覚えていない同級生だ。こういう子がこの学級には数人いた。

 ――まあいいか。涼子は、あまり深く考えてもしょうがないと思って、考えるのをやめた。

「涼子、早くしなさい。遅刻するでしょ!」

「はぁい」

 慌ててランドセルを背負うと、玄関に向かっていった。


 二時間目の授業が終わった後、次の国語の授業のために教科書を出していた時、涼子は、ふいに声をかけられた。

「ねえ、藤崎さん。藤崎さんってようちえんはどんなところだったの?」

 見ると、後ろの席の村上奈々子だった。涼子は、彼女のことは名前以外はよく知らない。前の世界においては、特に親しかったわけではない。それだけでなく、友達は当然男子がほとんどだった。性別が違ったので、当然といえば当然だが。

 それもあって、後ろの席の子であるにも関わらず、まだあまり話をしたこともないのだ。

「ええとね、岡山の街の中にあったよ。ここと違って、小学校の隣にあった」

「ふぅん、やっぱり藤崎さんってトカイのひとなのね」

「そんなに都会でもないけど……。家の近くに田んぼとかたくさんあったし」

「そうなんだ。きのう、おかあさんにね、藤崎さんがイズミダっていうところからひっこしてきた、っておはなししたらね、トカイからたきのねえ、っていってたの」

 泉田は、はっきり言って田舎といってもいい。北の青江や新保へ行けば建物も多く、またすぐに岡山の中心部に行くことができるが、涼子の住んでいた家は、住宅地の端の方だったので、近くに田んぼや畑が広大に広がっていた。村上奈々子の母は、その辺りを知らないので、都会の人だと考えたらしかった。

 ちなみに、泉田幼稚園は泉田小学校の隣にある。可南子や悟、ジローたちは、今頃、泉田小学校の一年生で、今年からは隣の小学校に通っているはずだ。

 村上奈々子の通っていた由高幼稚園は、なんと由高小学校の敷地内にある。小学校の敷地の中央北寄りの辺りに建っている。小学校の校舎は、敷地の北西よりに建っていて、その反対が運動場や遊具、プールなどがある。

 涼子は、通学時に正門の方からは入らない。由高小学校の正門は西側にあって、家が学校より東方面にある涼子たちのような生徒は、この幼稚園の建物のそばにある小さな裏門から入っていくのだ。そして、幼稚園の前を通り過ぎて、校舎の方に歩いていく。

「ねえ、藤崎さんって、なんてよばれているの? あだ名とか」

「私が? ううん、そうねえ……特にどうとかはないなぁ、ただ涼子ってだけかなあ」

「じゃあ、わたしも涼子ってよんでいい?」

「うん」

「それじゃ涼子ってよぶね。わたしはナナってよんでね」

「うん、そうするね」

 奈々子は、自分の名前を愛称で呼ぶよう要求した。家族を始め、ほとんどの人からそう呼ばれており、自身でも気に入っているようだ。なので涼子にもそう呼ばせたいらしい。

 村上奈々子は、その特徴をひと言で言えば、「のっぽ」だ。このA組の女子の中では一番背が高い。中くらいしかない涼子よりさらに十センチくらい背が高いのだ。また、体格は痩せ型で、顔は薄い顔立ちではあるものの、明るくはきはきした性格で、誰とでも楽しく付き合える女の子だ。

「——あ、ナナ、藤崎さんとおはなししてる」

 別のクラスメートがやって来た。彼女は奈々子の近所に住んでいる津田典子だ。菜々子と典子は小さい頃から仲良しだったらしく、教室でもよく一緒にいるのを見かけていた。

「典子、私ね、涼子とトモダチになっちゃった」

「えぇ、ナナすごい。わたしもトモダチになりたい」

「う、うん。私も津田さんと友達になりたいよ」

「じゃあ、わたしたちトモダチね。わたしは典子ってよんで」

 典子は、自分の名前を呼び捨てで呼ばれたいらしい。

 いつの間にか友達がふたりできた。前の世界ではなかったことだ。逆に本来の——男子の友達ができないのでは、と思った。幼稚園でもそうだが、交友関係も変わってしまっている。

「うん、わかった」

 涼子がそう答えたのを待っていたかのように、始業ベルが鳴った。ガヤガヤと賑やかだった教室は、潮が引いていくように静かになっていった。

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