果たし状
月曜日、幼稚園に登園して早々、ジローの子分であるタツヤが涼子の前に立ちはだかった。そして何も言わず、一枚の紙を差し出す。涼子は訝しげにそれを受け取ると、タツヤの顔を見て言った。
「これは?」
「ハタシジョウだ!」
「ハタシジョウ……ああ、果たし状ね。――え? なんの果たし状?」
涼子は折りたたまれた紙を広げて、書かれた文章を読んだ。
に ちよろひ けつとうだ
にげろナ
と書かれていた。ミミズののたくったような文章は、読み辛いことこの上ない。ぱっと見、書いていることがどう言う意味なのか、さっぱりわからなかった。
——「ちよろひ」ってなんだろう? 「けつとうだ」? 「にげろ」って……意味がわからない。
「タツヤくん、何を書いているの?」
「ケットウするってかいてる」
「ケットウ? ——ああ、決闘。って、決闘? どう言うこと?」
「ケットウったら、ケットウだ。オトコとオトコのたたかいだ」
タツヤは、当たり前のことを何を言っているんだ、とでも言いたげである。
「それにしても、いつやるって言っているの?」
「にちようだ。おひるにするってジローくんはいってる」
日曜と聞いて、手紙の「に ちよろひ」は日曜日のことだろうか? と考えた。この「ろ」が「う」だったら、そう読めなくもない。
「日曜ねえ。お昼って、何時だろう?」
「わかんない。でもおひるっていってる」
「ふぅん……でも決闘ってどんなことするの? 喧嘩はだめだよ。乱暴は良くないし、お母さんに怒られる」
それに日曜は知世が家に遊びにやって来る日だ。ジローなんかに付き合ってる暇はない。
「にげるなよ」
タツヤはそうひと言だけ言って、そのままどこかに行ってしまった。
「あ、ちょっと」
涼子はタツヤを追いかけようとしたが、ジローに直接聞いてやろうと思って止まった。
「りょうこちゃん、それはなに?」
向こうで、別の子と遊んでいた可南子がそばにやってきた。
「ううん、ちょっとね。やれやれ、困ったものね」
涼子は両手を小さくあげてつぶやいた。
「ふぅん、ねえりょうこちゃん、あっちであそびましょ」
「ごめん、ちょっと用があるから。あとでね」
「うん、わかった」
可南子はふたたび別の園児たちの元に行ってしまった。
「ねえ、ジローくん」
涼子は、外で子分たちとボール遊びをしているジローに、先ほどの果たし状を突き出した。
「なんだよブス」
「これなに?」
「それはハタシジョウだぁ! にちようにケットウだからな!」
ジローは涼子を見下して腕を組むと、大げさに叫んだ。しかし、涼子の反応は冷めていた。
「私、用があるから無理だけど」
そう言ったものの、ジローは他人の都合など一切気にしない。
「そんなん、しるか。にげるのかブスりょうこ!」
――まったく困ったガキ大将だ。涼子はうんざりしてジローを見上げると、その理由を明確に提示した。
「違うわよ。いとこが遊びに来るからだめなの。そもそも、決闘なんてやりたくないけど」
「にげるのかよ、ブス。やっぱブスはブスだな!」
ジローは受けようとしない涼子に腹が立ったのか、しきりに煽るようなことを言い始める。涼子の都合が悪いことは聞こえていないらしい。
涼子は、――これだから幼稚園児は……もうちょっと言葉を理解しろよ! と思いつつも、頭悪そうなジローには無理か、と半分諦めた。しかし、ジローに付き合ってる暇はないのは明白なので、何を言われようと断らなくてはならない。
「だから、だめなんだって! わかりなさいよ!」
涼子は語気を強めて言った。いい加減、先生に言いつけてやろうか、と考えたところで、ジローが急に後ろを向いた。
「にげんなよ。オトコとオトコのヤクソクだからな!」
そう言って、子分とともにその場を立ち去ってしまった。
「あ、ちょっと! ……まったく」
ある空き地の片隅で、子供達が四人集まって、何やら謀議を開催している。議長は小学校低学年と思われる眼鏡の少年だ。少年は、年上と思われるものたちも複数いる中、そんなことなどものともせずに堂々とした態度で彼らに語っている。
「――今回の作戦は、あの片山次郎と藤崎知世を会わせないということだ」
「宮田さん。このふたりはどういう……」
中学生くらいと思われるの少年が言った。宮田と呼ばれた眼鏡の少年は、その中学生と思われる少年の方を向くと、「北島くん、藤崎知世は知っているな?」と言った。北島と呼ばれた少年は宮田の顔を見ると、その問いに答えた。
「え、ええ。あの――公安の藤崎ですよね」
「ああそうだ。藤崎知世……忌々しい女だ」
涼子のいとこである藤崎知世は、彼らが言うには「公安警察」の人間だと言っているようだ。しかも何か恨みを抱いている様子である。彼らの口ぶりから察するに、彼らは未来を知っている風だ。もしかすると、涼子と同じく未来の——大人の意識を持ったまま過去に戻っているかのようでもある。
しかし……よく考えてみれば、彼女は本来、そんな時代まで生きていないはずだ。彼らは何のことを言っているのか? それはまだ判然しない。
〜ある未来の話〜
二〇一七年にテロ等準備罪が可決され、そのちょうど二年後の二〇一九年に、日本で初めてのテロが起こった。東京駅を狙った爆弾テロだったが、計画の甘さから事前に警察側に情報が漏れ、テロ犯たちが集まっているところを一斉検挙。犯行を未然に防ぐことに成功した。しかし、その計画の全容が明確になるにつれ、テロが成功していたら、凄まじい数の死者が出たであろうことがわかり、これに対応するべく法案整備が急務となった。
それによって翌年には、通称「テロ防止法」なる法案が新たに発議され、あっという間に可決された。それからしばらく、この法が効果を発揮する機会には恵まれなかったが、二〇二三年、ある組織がこの法によって壊滅させられることになる。
この組織が壊滅するきっかけとなったのが、藤崎知世たち公安の捜査だった。特に知世の友人がこの組織と関係があるなどということもあり、知世は特に力を入れていたという。
その甲斐もあって、藤崎知世はこの組織のテロ計画を入手、大規模な作戦で電撃的な家宅捜索の末、計画が完全に発覚してしまった。そのためこの組織は、初のテロ防止法が適用されることになった。
組織は壊滅したが、一部のメンバーが捜査の手を逃れてあちこちに潜伏した。潜伏していた彼らは、藤崎知世を憎悪しており、どうにかして復讐してやりたいと考えていた。
宮田少年は、無意識にかけている黒縁眼鏡を触ると、仲間たちを見回して再び語りだす。
「藤崎知世と片山次郎が出会うという出来事は、及川博士がその後『跳躍』を開発するきっかけのひとつになっている。これがまずい」
「どうまずいんだよ?」
ヨシキは鋭い目つきで宮田の顔を見た。
「彼女たちはこの先、ずっと縁がない状態でなければならない。ここで和解する縁ができて、この先も親交ができてしまう。片山次郎の存在は、この先『跳躍』を開発する及川博士が、科学に興味を持つ最初のきっかけになっている。博士に『跳躍』を開発されるわけにはいかない。今後『跳躍』を世に誕生させるのは、我々だけでなくてはならない」
「これも『因果』のひとつなのか?」
「もちろんだ。この『因果』は重要なものだ。これを踏ませるわけにはいかない」
宮田はそう言って腕を組んだ。




