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姉弟

 一九八一年。涼子はこの四月で年長組になった。卒園していく園児と、入園してくる園児。人が変われども場所は変わらず。涼子はいつも、元気よく幼稚園に通っている。



「ねぇ、お父さぁん、連れてって」

 涼子は、寝ぼけた顔でタバコをふかしている父に、遊びに連れて行って欲しいとせがんでいる。敏行の腕を掴んで、ゆさゆさと振って懇願するが、あまり効果はなさそうだ。

 今日は日曜日。幼稚園児の涼子には、移動手段が乏しい上に、あまり勝手にウロウロできないので、遊びにいける範囲などたかが知れていた。なのでジャスコに買い物に連れて行ってくれたら、さぞかし楽しかろうに、と考えていた。

 「ジャスコ」とは、かつてあった大手スーパーマーケットだ。全てのイオン系列の店舗を「イオン」に名称を変更しているので、ジャスコと言う名前は消滅しているが、知っている、もしくは覚えている人も多いのではなかろうか。涼子の家の近くにもジャスコ岡山店がある。近いといっても、二号線バイパスの向こう側の青江にあり、涼子が歩いて行くには少し遠い。このジャスコ岡山店は、岡山県下のスーパーでは最も規模の大きい店舗のひとつではないかと思う。五年前の一九七六年に開店し、まだ綺麗な店だ。涼子も初めて行った時には、両親としっかり手を繋いでいてもらわないと、あっという間に迷子になりそうな広さと混雑ぶりだった。しかし、そうだけあってジャスコに行くのはワクワクするのだ。

「外で遊んでなさい。涼子、翔太と遊んでやったらどうだ」

「ええぇ、翔太ぁ……」

 涼子は露骨に嫌そうな顔をした。

 翔太は、涼子を姉として慕っているようだが、元々わがままな気質であることもあり、涼子が言っても、駄々をこねて言うことを聞かないこともあった。また、世の弟や妹に共通することだと思うが、とにかく涼子と同じことをしたがる。涼子とは三歳違いなので、時々姉弟で差がつけられることがあるが、翔太は逐一、姉と同じ待遇を要求した。翔太の歳では無理なものでも、姉と同じものがいい、と言い続けた。

 涼子は、幼稚園に入園した頃に自転車を買ってもらったが、とてもじゃないが、まだ乗れないにもかかわらず、翔太も自転車が欲しいと言った。真知子は当然突っぱねるが、翔太に甘い傾向がある敏行は、どうにか別のものでも用意できないか、などと翔太に配慮しようとするのである。駄々をこねたものの、最後はなだめて涼子のおさがりの三輪車を与えた。最初は不満そうではあったが、三輪車は乗って走行できるため、今では満足しているようである。

 それにしても、父は遊びに連れて行ってくれる気はさらさらなさそうで、諦めて翔太のところに行った。見ると、隣の部屋で一生懸命、何かをやっている。手を振り、足を振り、まるで踊っているかのようだ。

「翔くん、何やってるの?」

 涼子は聞いた。

「ばぅいーぐぅ!」

「ばるいーぐる?」

 一瞬なんのことかと思ったら、「サンバルカン」のことか、と閃いた。翔太は、サンバルカンのリーダーである「バルイーグル」のポーズを真似しようとしているらしかった。

 姉がやってきたことに気がついた翔太は、涼子に向かって言った。

「おねえちゃん、ばるぱんさーね」

 翔太はそう言うと、再び手足を振ってポーズを決めようとしている。

「ばる、いーぐっ!」

 翔太はバルイーグルのポーズをとった。所詮は幼児の見よう見真似で、不恰好ではあるが翔太は大変満足げであった。自分がバルイーグルになった気分に浸っているのだろう。ふと涼子の方を見て不満そうな顔になると、涼子に向かって抗議した。

「おねえちゃんも! おねえちゃんは、ばるぱんさーでしょ!」

 なぜか、涼子はバルパンサーであるらしい。意味がわからず、

「どうしてわたしがバルパンサーなの。じゃあ、バルシャークは?」

 と言った。しかし、所詮は二歳児に理屈の通った説明など、無理な話だ。

「ばるしゃーくはちがうの! おねえちゃんはばるぱんさーなの!」

 この頃、翔太は「太陽戦隊サンバルカン」に夢中だった。二月に前番組の「電子戦隊デンジマン」終了後の後番組として、現在放送中の特撮ヒーロードラマである。東映のスーパー戦隊シリーズの五作目となる。シリーズ唯一の戦隊メンバーは三人であり、女性メンバーがいないという特徴がある。

 涼子はしょうがないので、バルパンサーのポーズを思い出そうとした。翔太と一緒に毎週観ているので、だいたいこんな感じだとは思い出せるが、それでポーズをやってみると、翔太からダメ出しを突きつけられた。

「ばるぱんさーはね、こうなの! こう!」

 翔太は一生懸命、バルパンサーのポーズを決めようとする。その姿がとても可愛らしいが、弟のやっているポーズはなんか違うような気がした。いや、ただ下手なだけかもしれないが。

 結局、昼食の時間まで翔太のサンバルカンごっこに付き合わされることになった。



「――お母さん、植物図鑑が欲しい」

 涼子は午後、夕食の買い物に行く真知子についていき、スーパーの隣にある小さな本屋の前で立ち止まると、真知子の手を引っ張って言った。

「植物図鑑ねえ、今日はちょっと無理だわ。また今度、お父さんに買ってもらおうね」

「ええ……でも」

 涼子は不満そうである。

「涼子ちゃんが欲しいのはわかるけどねえ。前に、おじいちゃんに買ってもらった図鑑じゃだめなの?」

 四月頃に、結構ゴツい図鑑を祖父母にプレゼントされていた。三冊セットになっていて、一冊の厚みが二センチくらいあるものだ。ハードカバーのしっかりした作りで、高額な図鑑だったようだ。ちなみに、子供向けの図鑑ではなかったらしく、敏行も真知子も、涼子に理解できるのか心配だったようだ。

「おじいちゃんに買ってもらったのは動物図鑑なの。お花とか見たいんだもの」

「ああ、そういえばそうだったわねえ」

 真知子は思い出してつぶやいた。

「お魚の図鑑も欲しい」

「涼子は、図鑑が大好きねえ……」

 子供が図鑑に興味津々なのはわかるが、特に涼子は図鑑が大好きだった。もちろんそれは、幼稚園児というこの時点で豊富な知識を得られる有効な書籍だからだ。いきなり専門書など読みたいなんて言ったら変に思われかねない。もっとも、勉強することから長く離れていたこともあるし、図鑑から知識を広げるのは敷居が低くてちょうどいい。ネットがあれば非常に有力な勉強道具になったはずだが、今は昭和であり、研究実験などの段階で、家庭用のインターネットなどまだ影も形もない時代だ。

 真知子は、涼子は本当に好きなのねえ、と我が子を見て思い、様々なことに興味を持ってくれるのはとてもいいことだと感心した。


 涼子は幼稚園に入園して以降、勉強することに力を入れ始めている。先ほどの件でもそうだが、いきなり「勉強したいから、本が読みたい」なんてことを言うと変に思われるから、とりあえず図鑑など、絵や写真をメインにしたものから買ってもらって知識を貯めていくつもりだった。涼子から言うまでもなく、すでに何冊か図鑑を買ってもらっているが、まだ足りないと思っていた。

 とにかく勉強しまくって、いい学校を出て、いい就職をする。これを目的に、幼稚園児からそのための人生計画を考えている。いけなかった大学にもいってみたいと考えているのだ。

 他の幼稚園児と違って、涼子の頭の中は大人である。だからもう将来のことを考えて、少しづつ行動するのだ。小学生になったら、さらに本格的に勉強する。まだできる範囲は少ないけれど、できるだけのことはやっていくつもりで、今はとりあえず幼稚園生活も楽しむこともしておく。

 もうあんな碌でもない人生なんてたくさんだ。

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