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リターンガール(前編)

 夕焼け色に染まる黄昏の校舎。運動場は寂しく冷たい風が吹き抜けている。

 淡々と無表情のまま話し始める加納。

「この世界は、あるひとりの科学者が生み出した技術を使って作られた世界です」

「作られた?」

「ええ、そうです。『作られた』世界なのですよ」

「どういうことだ!」

 杉本が叫んだ。作られたなどと、訳のわからんことを! と憤慨しているようである。

「この技術を生み出した科学者というのは、もう説明するまでもないでしょう。そう、藤崎さん——藤崎涼子さんです」

「それがどうかしたのか」

 朝倉が言った。それを聞いて、加納はニコリとしただけでそれには答えず、涼子の方を見て言った。

「藤崎さん、あなたは何という技術を生み出しましたか?」

「何って……過去に戻る技術……だよ?」

「いいえ、よく思い出してください。あなたが一体、何を作ったのか。それは荒唐無稽なタイムマシンなんかではないはずです」


 涼子の頭は、遠い未来への記憶を懸命に再生していた。


 ――意識の共有?

 ――ええ、そうよ。

 ――それは、どういう技術?

 ――あるひとりの記憶を抽出して、それを複数の人で共有するの。そうすると、本来は個人で違うはずの記憶が同期され、それを元に仮想現実の世界で新しい記憶と体験を得られるわ。

 ――ふぅん、だとすると……例えば、本当は病気で遠足に行けなかった記憶を、他の人との意識共有で、遠足に行った記憶を体験できるということかな。

 ――そう。そういうこと。確かに現実ではないけど、あの時できなかったことや、やって後悔したことなど。それらと逆のことをやっていたら、もしかしたら違う未来があったかもしれない。それを後から「体験」できるのよ。

 ――違う過去を疑似体験するってことか。面白いね。いうならば過去に遡行できるタイムマシンみたいだ。

 ――そうね。さながらタイムマシンのようね。ただの擬似体験だから、タイムマシンではないけどね。


「この……世界は……疑似体験の世界……?」

 涼子は無意識のうちにつぶやいた。

「そうですよ。藤崎さん。あなたの開発した技術は『複数の人の意識を共有させる』というものです。決して、意識を過去に遡行させることができるわけではありません。SF小説のタイムマシンとは違うのです」

 涼子の作り上げた技術、それは加納のいう通り、『複数の人の意識を共有させる』という技術だった。

 ひとりの記憶をベースに、他人がその記憶を取り込み、その人たちだけで、共通の記憶を持って過去の記憶を同化させる。それと仮想現実の技術を組み合わせることで、共通の過去記憶のなかで意識を持つことができるようになる。そして、それを体験できるのだ。

 この、今涼子たちが生活しているこの世界は、涼子の記憶をベースに加納や朝倉、杉本や金子、悟たちがその記憶を共有して作り上げられた『虚構の世界』だった。

 過去への後悔や未来への絶望など、様々な思惑を虚構の中で理想の世界を思い描いて逃避していたに過ぎなかった。

「つまりは、あなたたちのやっている世界征服の野望だとかいう幼稚な話は、全部夢の中の妄想だったのですよ」



「じゃ、じゃあ……俺たちがこうしている……この世界は……ただの夢の中だっていうのか……」

 杉本は呆然としていた。過去にタイムトラベルして、過去を思うままに書き換えることで、自分にとって都合のいい未来を作ることができる。それを聞いた時、杉本は大いに興奮した。俺の夢見た俺のための世界、俺が世界の中心、野望が叶う時が来た、そう思った。

 しかし、どうやら現実はそんなに甘くはなかったようだ。

「なるほど、そういうことか。……ふふん、まあ虫のいい話だと思ったぜ。結局、タイムマシンなんて現実にありえねえわな……」

 山田はすべてを察し、力なくその場に座り込んだ。

 加納は涼子を指さして言った。

「この世界は藤崎さんの記憶がベースとなっています。ですから、藤崎さんだけが、この世界を戻すことができるのです」

「私だけが……?」

「そうです。そのスイッチは、あなたがこの世界を戻すときのための起動装置です」

 このスイッチは機械的な装置ではない。このスイッチを押すという行為に重要な意味がある。

「何もなく、ただ戻そうとしても無理でしょう。何か「きっかけ」が必要なのですよ。それがこの『スイッチを押す』という行為なのです。これにより、現実世界へ戻ることができるのです。もちろん、ただ押しただけでは作動しないでしょう。藤崎さんが、心からこの世界の終わりを決意して押すことで、この世界がリセットされて、元の世界に戻るのです。」

「そういうことだったのか……」

 悟が言った。続けて、朝倉が言う。

「加納、どうしてそんなものを用意した? お前がそれを用意しない限り、この世界はこのままなのだろう」

「ではあなたは、このまま偽りの世界の中で生きていくのが正しいことだと思いますか? いえ、答えなくてもいいです。正しいことではありませんよね。偽りの世界は、やはり偽りの世界でしかないのです。現実ではありません。物事には、始まりがあるならば、いつか終わりが来るのです」

「夢はいつか覚める――そういうことだね」

 悟が言った。

「そうですね。もうその時でしょう」


 杉本たちが呆けている隙をついて、涼子たちは束縛から逃げ出すことができた。悟の元に集まる涼子たち。

 悟は手に持ったリセットボタンをみんなの前に出した。

「これを涼子ちゃんが押すことで、この世界を元に戻すことができる――」

「そうだね……私が……」

 涼子は、その箱を覗き込んで息を呑んだ。

「なんかさ、これって……涼子がボタン押して元に戻したら、私たちの目的が達成されるってことだよね」

 横山佳代が言った。悟や美由紀たちがそれに頷く。

「まさか、こんな形で元に戻せるとはな。つくづく加納の手の中で踊らされていたわけか」

 朝倉は複雑な気分のようだった。

「これを私が押して、世界を元に戻すんだよね……」

 涼子がつぶやいた。少し手が震えている。

「そうですよ、戻るのです。藤崎さん――いや、あなたはまさに、世界を元に戻す少女『リターンガール』とでも言いましょうかね。もう、戻る時が来たのです」

 涼子たちの輪の外から、加納が声をかけた。

 悟は、リセットボタンを涼子に渡そうとした。そして、それを涼子が受け取ろうとしたとき、突如後ろから突き飛ばされ、リセットボタンを奪われた。

「キャ!」

「何だ!」

 慌てる朝倉たち。

 その朝倉たちの視線の向こうに、鬼の形相の杉本が立っていた。その手にはリセットボタンがあった。

「ふ、ふざけんじゃねえ……これをそのガキが押したら、俺の世界が終わっちまうじゃねえか!」

「終わるも何も、こんな嘘の世界でどうするっていうのよ!」

 涼子は反論した。現実とは違うのに、何を拘っているのか。

「嘘の世界だろうが、これを押されるまでは、この世界で俺の夢が叶うんだ。そうだ、叶うんだぁっ!」

 杉本は叫ぶと、すぐに駆け出していった。逃げるつもりだ。

「やらせるかっ!」

 佐藤がその巨漢に似合わないくらいの、素早い動きで、杉本に体当たりをした。杉本は突き飛ばされそうになるが、視線の向こうに大島が見えた。

「大島! これを持って逃げろ!」

 杉本はリセットボタンを大島に向かって投げた。

「任せろ!」

 大島は投げられた箱をキャッチすると、すぐに朝倉たちのいない方向へ走り出す。それを追って朝倉たちも走り出した。

「ガキどもに追いつけるかよ!」

 大島は全速力で走る。さすがに中学生だけあって、とても小学生には追いつけない。が、急に足を取られて派手に転倒した。何が起こったんだ? と、大島も転倒した痛みよりも、どうして転んで待ったのか不思議に思った。しかしすぐに判明した。

 大島を見下ろす少女――加藤早苗がいた。

「いつぞやは随分やってくれたわねぇ……これでお返しよ!」

 早苗は大島の体を蹴飛ばして、地面に転がっていたリセットボタンを手に取った。

「て、てめぇ!」

「ふん、無様なツラね。――涼子!」

 早苗は涼子に向かって投げようとした。が、杉本の仲間が涼子の方に近づいていたのに気がついて、単独でいた美由紀に向かって投げた。

 それを受け取って、涼子に渡すべく見回すが、仲間と敵が混在していて難しい。とりあえず杉本たちから逃れなくてはならない。

「みんな、とりあえず逃げるわ!」

 美由紀はその俊足を生かして、杉本たちから逃れて校舎のある方へ走って行った。



 どこかへ逃走した美由紀。彼女はどこかで涼子にリセットボタンを渡すべく待っている。探さなくては。

 涼子は美由紀の走っていった方へ向かおうとする。しかし、涼子がボタンを押すことができる唯一の存在だと知っている杉本は、涼子を捕縛しようとする。

 その時、朝倉たちが一斉に杉本たちに襲いかかった。ふいをつかれて混乱する杉本たち。

「藤崎! 行けっ! リセットボタンを押せ! この嘘の世界を終わらせろ!」

「朝倉くん!」

「涼子! 絶対に頼むわよ!」

「ここは任せとけ!」

「僕だって、やるときはやるんだ!」

 佳代、佐藤、岡崎が朝倉と一緒に、杉本たちになりふり構わず襲いかかる。

「みんな!」

「悟! 藤崎を連れて行け! お前が守ってやれ!」

 朝倉の叫びに悟が応える。

「わかった、涼子ちゃん。行こう!」

「うん! ――みんな、絶対にやるから、少しだけ待ってて!」

 涼子と悟は混乱を抜けて、美由紀を探しに行った。

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