黄昏の決戦
朝倉の背後から現れたのは、山田だった。ずっと姿を見せていなかったが、どこかに隠れていたのだろう。絶妙なタイミングで姿を見せた。
背後からこっそり近づかれたのに気がつかなかった涼子たちは、その突然の出来事に驚いた。
「まったく、お前はどうしてこう間抜けなんだ。俺が出てこなきゃ、どうするつもりだったんだ」
山田は呆れた様子で言った。
「おお、山田! さすがだぜ!」
杉本は大喜びだ。
「返しなさいよ!」
すかさず涼子は山田からリセットボタンを奪おうとした。が、思い切り腹を蹴られて跳ね飛ばされた。転がったまま腹を押さえて苦痛に顔を歪める涼子。
「涼子!」
美由紀が青い顔をして叫ぶ。慌てて駆け寄り、涼子を抱き寄せて心配そうに声をかける。
「ケッ、ガキが調子に乗ってんじゃねえ」
山田は涼子の方など見向きもせずに、杉本たちのいる方へ歩いていく。
「さすがだぜ。お前なら絶対にやってくれると思っていたぞ」
大喜びで山田を迎える杉本。しかし山田は、それを醒めた目で一瞥すると、
「よく言うぜ。調子いいやつだ。……まあいい。それじゃこいつを調べてみようや」
と言って、ポケットからプラスドライパーを取り出した。分解するつもりだったようで、わざわざ持ってきていたようだ。
「な、何をする……つもりだ」
苦しそうな顔で朝倉が言った。
「こいつの中身を見てみたいと思わねえか?」
山田はニヤニヤしながら、四隅にあるビスをドライバーで外していく。やめろ、という言葉が、朝倉の口から出かかって止まる。そんなことをして壊れたらどうするんだ、と言いたげである。だが、確かに中がどういう構造になっているのか、それを確かめたい気持ちも多大にあった。朝倉も懐疑的ではあるのだ。
「さあ、ガキの浅知恵を見破ってやるかな、ふふん……」
山田は箱の中身を露わにした。そこにはちょっとした基板があり、ボタンはそれに繋がっている。しかし……。
「おい、これはなんだ?」
「どうしたんだ?」
杉本が箱を覗く。
「こいつには電源がねえな。これで何をどうするってんだ?」
その通りだった。中にはプリント基板とそれにつながる表のボタンだけで、それを機能させる電源――例えば乾電池など――がない。
「おいおい、これじゃあボタンを押してもどうもならんだろ。阿呆らしい」
「ははは……なんだ、そう言うことか。まったく加納の野郎、騙しやがって!」
杉本は少し安心したのか、憤慨したのか、微妙な顔をして言った。
「押しても問題ないぜ、これは」
山田はボタンに指を伸ばした。それを見て驚いた杉本は、慌てて制止する。
「お、おい! 何をするつもりだ」
「何って、この意味なしボタン押して、ただのハッタリだと証明してやるんだろうが」
「ま、まあ待て。押すのはよしておこうや」
「はぁ? お前まだこんなモン信じてんのか?」
山田は「信じられない」という顔をしている。
「いや、そういうわけじゃ……」
「バカ言ってんじゃねえ。こんなん押したところでどうもなるか!」
山田がそう言った次の瞬間、突然背中から衝撃があり、前のめりになって倒れた。
「いてて……誰だ、クソッタレ! ——あっ!」
体を起こして叫んだが、自分の手にリセットボタンがないことに気がついた。
「これはもらっていくよ」
そう言ったのは悟だった。その手には、あの半分分解したリセットボタンが握られていた。
「あっ! このガキ!」
杉本が追いかけようとして転倒した。岡崎がこっそり近づいて体当たりをやったようだ。さらに、山田も誰かに腰回りを掴まれて起き上がれない。誰かと思えば、佐藤だった。先ほど山田に背後から体当たりしたのも、どうやらこの佐藤だったようだ。
「やらせるか、このやろう!」
「クソッタレ!」
杉本と山田がもたついている間に、悟は素早い身のこなしで杉本の仲間たちの手を逃れて持ち去っていった。
「ちくしょう! 追え! 追って取り返せ!」
杉本は唖然としていた仲間に向かって吠えた。
悟はとりあえず、ローラー滑り台やプールのある一角にやってきた。ここに加納たちがいたからだ。彼らはこの辺りで、涼子たちの争いを眺めていたようである。
「おや、及川くんが手に入れたんですねえ」
「そうだよ。でも聞きたいことがある。これは一体どう言うことだい?」
悟は中を開けたままのリセットボタンを、加納たちに見せた。
「これを押したところで、これが装置として作動するとは思えないんだけど」
「ふふふ、そうですね。それ自体では機能しませんから」
「どういうことかな?」
「選ばれた者だけに、そのボタンを押して機能させることができるのです」
加納の物言いは、まるで揶揄っているかのようだ。悟は馬鹿にされているような不快感を感じつつも、勤めて冷静に対応した。
「……それは誰なのかな?」
「探してみてください。何なら、あなた方で順番に押していくというのもいいかもしれませんね」
不敵な笑みを浮かべる加納。それが悟の苛立ちを誘う。しかしそれを見せまいとする。冷静さを失えば弄ばれて終わりだ。
「……加納くん、君は一体何を考えている」
「及川くん、のんびりしている暇はないですよ。ほら、杉本さんたちがこっちに向かって来ています」
「もう来たか」
悟は後ろを振り向くと、その視線の向こうに、こちらに向かって走ってくる数人が見える。杉本たちで間違いない。朝倉たち自分の仲間たちがいないが、どうなっただろうか。少し心配になった。
「とりあえず、ここを去った方が得策のようだね」
プールの脇から校外に出られる場所がある。悟は学校の外へ出ようとした。が、それを阻む声がする。
「おい、こっちは無理だぜ」
聞き覚えのある声である。その声の主は金子芳樹だった。そして、その背後には、杉本の仲間数人……大島もいる。
「金子くん――邪魔をするつもりかい」
「ああ、そうだ」
「いつから君は、そっちに手を貸すようになったんだ」
「俺は好きなようにさせてもらう。いつもそう言ってきた……だろっ!」
言い終わると同時に、すぐ後ろでニヤニヤしていた大島の腹に、強烈な一撃を食らわした。
「ウグゥ!」
よろめき膝をつく大島。
「おい、悟! いいから逃げろ! それから、そのボタンは藤崎に渡せ!」
「涼子ちゃんに?」
「いいから行け!」
芳樹に数人が群がり始める。芳樹はめっぽう強いが、流石に中学生三、四人も相手では無理がある。
「わかった!」
悟は芳樹のことを少し気にかけながらも、別の方へ走り出した。
悟は一旦、学校の外に出た。近隣の民家の陰から、杉本の仲間が周辺を探しているのをみて、見つかるのは時間の問題と考えて、知らない家の物置の裏に隠れた。狭いがここなら見つからないだろう。
悟は芳樹のいった言葉を思い出す。
――そのボタンは藤崎に渡せ。
涼子に渡せというのは、このボタンを機能させることができるのは、涼子だということになる。芳樹がなぜそれを知っているかは、彼も密かに諜報活動していて、それで得たことなのだろうか。加納に協力すると言って、そこで知ったのだろうか。
しかし、どうして涼子だと作動させることができるのか、それを推測することはなかなか難しかった。
しかし、この――今回の過去への遡行は、涼子の記憶に基づいて行われている。いわば、涼子がベースなのだ。ここにどうして涼子なのかというヒントが隠されているような気がした。
涼子を探さないといけない。このリセットボタンを押すか押さないか、それはまだ判断できないが、とりあえず涼子に会って考える必要がある。
悟は物置の裏から慎重に外の様子を覗いた。近隣住民と思われる中年女性ふたりが、世間話をしながら道を歩いていく。中学生と思われる連中はいない。悟は表に出てきた。
周囲を警戒しながら、学校の方へ戻っていく。絶対とは言えないが、涼子たちは校内の方へいる可能性が高い。というか、杉本たちに人質として捕まっている可能性すらある。
とりあえず学校の裏手の、人目に付きづらい方から校内の様子を探ろうとした。気がつけば、そろそろ日が落ちてきて夕焼け空に変わりつつある。時計がないので正確にはわからないが、午後五時は過ぎているだろう。
薄暗くなりつつあるそんな中、ふいに声をかけられた。
「及川くん!」
悟が声の方を見ると、仲間である矢野美由紀がいた。ひとりだけのようだ。
「矢野さん、みんなは?」
「涼子と朝倉くんが捕まってる。さっき佐藤くんと岡崎くんに会って、佐藤くんは向こうから奇襲をかけるって言ってたわ。私と佳代は悟くんを探しにきてたのよ」
「そうか――。涼子ちゃんたちは校内かい?」
「うん。運動場の体育館の近くに集まってる。加納くんたちも一緒よ」
「わかった」
「そのリセットボタンはどうするの?」
「これは……どうやら涼子ちゃんが押さないと機能しないらしい。どうしてかはわからない。ともかく涼子ちゃんに会いたいんだ」
「わかったわ。でも……奴らから救出しないと」
「うん、とにかく行こう」
悟と美由紀は校内に入った。杉本や囚われの涼子たちがいる体育館とは遠い方なので、遠目に杉本たちを確認する。
「結構、厄介そうだね」
「うん。佐藤くんたちもどうやって奇襲するのか……」
「こういう時、本当に連絡手段がないと不便だね。時代が時代だからしょうがないけど」
悟は苦笑した。その時、体育館の裏手からこっそりと近づくふたつの影を見つけた。佐藤と岡崎だ。しかし、十人くらいいる中に、たったふたりだけで奇襲なんて成功するのか疑問だ――と思った時、佐藤と岡崎は勢いよく飛び出した。そして……あっけなく捕まってしまった。
「佐藤くん……」
やはりか……という無念の気持ちが出たが、これではもう無理だ。
「及川くん、どうしよう」
「もう無理だね。こうなったら出ていくしかないよ。涼子ちゃんと隆之がどんな目にあうか……」
悟は意を決して、杉本たちが集まっているところへ歩いていく。
「よう、遅かったじゃねえか」
杉本は、自信に満ちた顔で言った。もう勝った気でいるようだ。美由紀が言った通り、加納たちも一緒にいた。
「仲間たちを離してくれ」
「いいぜ。その手に持っている、リセットボタンを渡してくれさえすればな」
「これは君たちが持っていても意味がないよ」
「そんなことはわかってんだ。でもよ、このカワイ子ちゃんなら機能するんだろ?」
杉本は涼子のスカート摘んで、捲るような仕草をした。
「何すんのよ、このヘンタイ!」
「うるせえ! 黙ってろクソガキ!」
涼子と杉本が言い争っているとき、加納が出てきた。
「そろそろお開きの時間ですねえ。日も落ちてきたことですし、いい加減終わらせましょうか」
「終わらせるだぁ? 何だそれは!」
「ええ、今から説明しましょうか。今日は一日、楽しませてまらいましたしね」




