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早苗の想い

 二月十三日、金曜日。明日は楽しい半ドンだ。いや、それじゃない。加納慎也の父親の運命が関わっている。

 本来の世界において、加納の父親は、翌日の十四日に事故で亡くなるはずだが、杉本の工作で、これが一週間後になるという情報を得た。果たしてこれは確実な情報なのだろうか。

 金子芳樹が、杉本の子分が話していたのを偶然聞いて得た情報であり、杉本の謀略とは考え難いので、間違いないと涼子たちは考えている。

 この情報は加納にも、加藤早苗によって伝えられている。なので、加納も情報が正確だと考えたら、明日はまだ動かないだろう。

 それもそうだが、加納はこのことを杉本には言っていない。杉本は、加納がまだ自分たちの計画の全貌を把握していないと思っている。


 加納は朝、登校する前に自分の学習机の引き出しから、何か小さな箱を取り出した。機械のスイッチボックスのような金属製の箱で、中を側面に蝶番がつけられている。どうやら開くらしい。

 加納は箱の上面を掴んで開いた。中には赤いボタンのようなものがある。これは一体、何の装置だろうか?

 無表情のままであったが、ふいに、一瞬だけ笑みが浮かんだ。そして、また蓋を閉じて机の引き出しに仕舞い込んだ。

 母親の「学校に遅れるわよ」という声に、「わかってる」と答えてランドセルを背負い、学生帽を被って手提げ袋を持つと、足早に自室を出て行った。



 昼休みの時、朝倉は仲間を集めて作戦会議を開いた。

「明日、加納の父親が夜釣りに行って事故に遭うという話だが……みんな、もっと詳しい内容がわからないか?」

 しかしみんな答えない。涼子と悟は詳しく知っているが、あえて知らないふりをした。

「藤崎。お前は最近、加藤早苗と親しくしていたな。何か聞いていないか?」

 いきなり涼子に振られて動揺するが、あくまで知らないふりをする。

「え? い、いや……し、知らないなぁ……さなも特に話してくれないし……」

「そうか。……まあいい。悟。お前はどうだ?」

「僕も——わからないよ」

 悟も誤魔化した。ただ、事故の件は明日ではなく、一週間後だということは言ってもいいのでは、と思った。しかし、言いそびれたこともあり、結局黙っていることにした。

「なあ、でも本当にどうするんだ? 加納のやろうとしていることは正しいのか? それもわからんし、どう動くべきか」

 佐藤信正が言った。それに続いて、岡崎謙一郎が言った。

「でも、僕には加納くんが悪いことをしようとしている印象はないんだよなぁ。むしろ加納くんの仲間がよからぬことを考えていそうで」

 さらに横山佳代が発言する。

「それは言えてるよね。最近存在感を見せてきた中学生の……何てったっけ?」

「杉本健太郎ね」

 矢野美由紀が言った。

「あ、そうそう。杉本ね。あの人とか、何か企んでそう」

「確かに」

 仲間たちは、少ない情報の中でも地道に調べていたのか、割と鋭い。

 ああだこうだ、といろいろ話し合ってはみたものの、結論は出ない。いつの間にか昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「放課後に集まろう。それまでに考えておいてくれ」

 朝倉が言うと、みんな頷いて教室に戻って行った。


 五時間目が終わり、六時間目までの休憩時間。涼子は迷っていた。

 ——どうするべきか。とりあえず、実は一週間後だというのはいい。

 加納を助ける——朝倉と富岡絵美子の将来を改変させてしまう事になる。

 逆に加納を妨害する。朝倉はいいが、加納の未来は……いや、それだけじゃない。杉本が日本を裏で支配するディストピアが待っている。

 ——やっぱり、朝倉くんには悪いけど……ってことになるのかなぁ。でも、未来が大きく変わってしまうのは……いいことじゃないよね。

 自分以外の人の未来に大きく影響を及ぼすだけに、とてつもなく気が重い。友達が楽しくお喋りしている横で、窓の外を陰気な顔で眺める涼子。

「ねえ涼子。なんか暗いね。どうしたの?」

 そう言って声をかけてきたのは、富岡絵美子だった。

「あ、エミ。別にどうこういうわけじゃないんだけどねぇ」

「わかった、六時間目は図工だもんね。前、彫刻刀で指切ってたからでしょ。涼子ったら不器用なんだからぁ」

 三学期の図工では版画をやっていたが、手先の不器用な涼子は彫刻刀で木板を彫らずに指を切ってしまった。痛かったが、ちょっと血が出た程度で大したことはない。が、その血が出たことが、同級生たちには衝撃だったのか、それ以上に大騒ぎになった。涼子はむしろ、それに驚いていた。

「あはは、もうエミったら嫌なこと思い出させないでよ。痛かったんだから」

「メンゴメンゴ。大丈夫だって。もう結構できてるじゃん」

 そう言って絵美子は涼子に抱きついた。

「そりゃそうだけどさぁ、もうエミったら!」

 そんなことを言い合って笑いあう。他愛ない友達とのじゃれ合いも、嫌な気分を吹き飛ばすには足りなかった。



 学校から家に戻ってきて、それから少しして悟が家にやってきた。

「やっぱり先に打ち合わせておこうと思って」

「そうだね。でも、どうする?」

「やっぱり明日じゃないと言うことは言っておこうと思う」

「……そうだよね。そこはいいもんね」

 その事件は翌週だと言うことは言ったほうがいい。それは涼子もそう思った。

「加納くんを助けるか、妨害するかだけど……これは僕はまだ決めかねているんだ」

「それは私もだよ。やっぱこういうの難しいわ」

 ふたりとも、やはり決められないようだった。あくまで、なるべく本来の未来へと進める道を選ぶべきとも思うが、加納の父親の命と、その後の将来がかかっている。加納とその家族が不幸になってもいいのか。

「まあ、とりあえず時間だし、みんなのところへ行こうか。まだ一週間あるんだ。じっくり考えよう」

「うん」

 ふたりは朝倉たちが集まる場所へ行くために、自転車に跨って発進した。が、そこにひとりの少女が現れた。加藤早苗だった。

「さな!」

 涼子は驚き、慌てて急ブレーキをかけた。止まると目の前の早苗に声をかける。最近疎遠だったこともあり、少し躊躇もあったが、思い切って話すことにした。

「ねえさな、どうしたのよ。最近全然連絡もしてくれないじゃない」

「……涼子。ごめん。私、加納さまへ話してしまったわ」

「やっぱり——でも、まあいいじゃない。それで今はどうなってるのよ」

 これは特には驚かなかった。涼子も悟も、多分そうだろうと予想していたからだ。そして早苗は、少し嬉しそうな顔をして話し始めた。

「私はふたたび仲間に加えてもらえたわ。そして明日、本当にお父様が大丈夫なのか他の仲間と一緒に監視するの」

「え? 監視って、夜中だけどいいの?」

 涼子はそこに驚いた。小学生が夜中に家を出て、許されるわけはない。しかし、何かうまく抜けられる方法があるらしい。

「今までもよくやっていたけど、親にはバレずに抜け出すことは難しくないわ。そして実際にことが起こらなかった場合、杉本に何らかの陰謀を企てていることが明るみになるはずよ」

 涼子はなるほどと思いつつ、しかしそう簡単にいくだろうか、とも思った。予想外のことが起きた、とかとぼけるだけじゃなかろうかと思った。

「だから、邪魔をしないで。これで奴らを潰し、今度こそ本当にみんなが幸せになれる未来へ進めるはずよ。言いたいのはこれだけ。それじゃ——」

 早苗はクルリと背中を向けると、涼子たちの前から立ち去ろうとした。

 それを悟が止めるように、声をかけた。

「加藤さん。本当にそれでいいのかい?」

「何が?」

 振り向いた早苗の表情には、困惑……いや、どこか悲しい面持ちが見えた。

「言わなくてもわかっているはずだよ。君は……」

 悟が最後まで言い終わる前に、早苗はそれを遮るように言った。

「私はただ、加納さまの未来を——幸せのみがすべて。それ以上でもそれ以下でもない!」

 そう吐き捨てるように言うと、そのままその場を立ち去ってしまった。

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