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ふたりの子供

 二日後、信男の元に寺田がやってきた。寺田の顔は明るい。これは悪い話ではない。寺田は信男の顔を見ると、一瞬ニヤリとして口を開いた。

「もう安心しろ。じきに犯人を捕まえられる」

「おお、それは本当ですか!」

 片山信男の表情が急に明るくなる。

「まあ、これに懲りて、もう馬鹿な真似はやめるんじゃな」

「は、はあ……」

 信男は言葉を濁した。どうもまだ愛人に未練がある様子だ。寺田は、その様子に呆れていた。

 ——まったく、困った小僧じゃ。教育がなっとらん。もっと厳しく教育せんと神輿は務まらんな。メッキが剥がれる前にどうにかせんと。

 信男は、ふと寺田の目が笑っていないことに気がついて、卒倒しそうになった。

「も、もう——別れます! 絶対に別れます!」

 信男は慌てて宣言した。

「おう、そうじゃ、そうじゃ。そうするがいい。のう、先生」

 寺田の顔にようやく笑みが戻ると、信男の体は糸が切れた人形のようにソファにへたり込んでしまった。



「……やべえな。ありゃあ、寺田広治の手下だ」

 脅迫犯の男は、不安そうな顔でもうひとりの脅迫犯に言った。その言葉に驚く。

 最近、外を歩いている際に、男は不審人物が自分の後を追跡していることに気がついた。嫌な予感がして様々なつてから、どうやら寺田と関係のある人物だと特定した。背中に嫌な汗が滲んだ。

「寺田って――本当かよ」

「ああ、寺田はまずい。あの爺さんは石丸組と繋がってるからな」

 石丸組は、岡山県を本拠地とする指定暴力団だ。日本最大の勢力を誇る、神戸の川田組の傘下である。豊富な資金力を駆使して、川田組本体にも影響力を持っているとも噂されている。

 調べてみると、寺田は片山信男の後援会長をやっていた。これは迂闊だった。まさかそんなことに気がつかなかったとは……。

「どうするんだよ。バレたらヤバいなんてもんじゃないぜ」

「……どうにもならん。仕事を降りるしかねえ」

 悔しい限りだが、命あっての物種だ。いや、命を取られるとは限らないが、とてつもなく厄介なことになりかねない。

 そんな中、唐突に依頼主から電話があった。


『――依頼内容を変更する』

「えっ、変更ですか? 一体どういう……」

『片山信男の家に家政婦がいるだろう。小島孝子という女だ。この女を片山家から引き離せ』

「小島孝子ですか。わかりました」

 この依頼主からの変更は唐突だった。数日前からあった不審人物が寺田の手下だとわかった途端、とてつもなく嫌な予感がしていた。。もう自分たちの正体がばれたかもしれない、そう心配していたのだから、これは願ってもないことだった。家政婦を辞めさせるくらいのことだったら、片山信男もそんなに困ることもないだろう。

「どういうことなんだろうな?」

「わからんが……やり方がまずかったのか、予想の展開とは違ったのか、そんなところじゃないのか」

「ううむ、まあいい。家政婦を引き離すか。――よし、すぐに行動に移るぞ」



「おはよう、涼子ちゃん」

 悟は元気よく涼子に挨拶した。

「おはよう、悟くん」

 涼子も挨拶して、一緒に教室に入っていこうとしたとき、ふと振り返ると、ジローが登園してきたところだった。いつも通り、偉そうに胸を張って歩いていくジローと、それを見送る家政婦の小島孝子。

 ――ジローくん。それから、家政婦の人。あの家政婦の人、何か表情が暗いな。

 涼子は、明るい印象はないもの、穏やかな印象のあった小島孝子が暗い顔をしていることに気がついた。

 ジローが建物の中に入っていくと、孝子は踵を返して帰ろうとするが、やはり表情が暗い。

「りょうこちゃん、おはよう!」

 可南子が涼子を見つけて挨拶した。しかし、孝子に目を取られて気がついていない。

「りょうこちゃん、どうしたの?」

 加奈子は涼子の目の前にやって来た。

「あ、ああ――かなちゃん、おはよう」

「どうしたの?」

「ううん。なんでもない」



「こ、こじま! どうしてなんだよっ!」

 ジローは、信じられないという表情で、小島孝子に向かって言い放った。幼稚園の退園時間で、多くの保護者が来ている中でジローが叫んだものだから、周囲から一斉に注目を浴びた。

「坊ちゃん、色々と事情がありますから……」

 周囲を見ながら、興奮気味のジローに弁明しようとする孝子。

「ジジョーってなんだ! そんなのしるかっ!」

「坊ちゃん……」

 ジローはどうしても納得がいかないという風である。


「あれ?」

 帰宅途中に涼子は、ジローと小島孝子が何か話しているのを見かけた。話し合っているというより、ジローが一方的にまくしたてているように見える。

「あら、片山さんところの次郎くんと、お手伝いさんじゃないの」

 真知子もふたりに気がついた。

「お母さん、ちょっと行ってくる」

「え? ちょっと涼子、どうしたの」

 真知子は、ジローたちのところに歩いていく娘に、慌ててついていく。


「どうしたの?」

 涼子は、ふたりの前にやってくると声をかけた。

「なんだ? ブス、どっか行け」

「何よ!」

「なんだと!」

 涼子とジローが睨みあう。慌てて孝子と真知子が止めに入る。

「ちょっと、やめなさい! 仲良くしなさい!」

 真知子に言われて、黙るふたり。そこへ小島孝子が近づいてきた。

「藤崎さん、いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません。……さあ、坊ちゃん。家に帰りましょう」

 孝子は深々とお辞儀をしてジローを連れて帰宅しようとした。

「あの、すいません。ちょっと小耳に挟んだんですが……辞められるとか……」

 真知子は最近聞いた話を、ズバリ本人に聞いてみることにした。思い切った行動ではあるが、そんなおかしなことを尋ねている訳ではないはずだ、と考えた。

「――ええ、私、お暇をいただくことになりました」

 小島孝子は少し気まずそうな表情で、真知子と涼子に言った。

「何かあったんですか?」

 驚いた真知子は、その理由を尋ねた。

「いえ、特に何か問題があったわけではないんです。最近、母の体調も悪くて、実家に戻らないといけないことになりまして」

「まあ、それは大変だわ……」

 気遣うような真知子の言葉を遮るように、ジローは叫んだ。

「ウソだ! そんなの、ゼッタイウソだ!」

「だから、違うのよ。坊ちゃんが言うようなことは……」

 孝子は慌てて否定した。しかし、ジローはそんなことなど無視してさらに言った。

「パパだろ! パパがこじまをクビにしたんだ!」

「坊ちゃん、お父様を悪く言ってはなりません」

「ちくしょう!」

 ジローは駆け出した。

「次郎くん!」

 孝子はそんあとを追っていった。その姿を見送った涼子と真知子は、ただその場でしばらく佇んでいた。

「ジローくん……」

 涼子はつぶやいた。


 小島孝子は、片山家の家政婦を退職となった。いつも高圧的な片山信男が、申し訳なさそうに辞めてほしい旨を言ってきた。理由はよくわからなかった。要領を得ない内容で、普通なら到底容認できないことだ。しかし、何か大きな事情がありそうで、それも人に言えない種のものだと想像した。それから、岡山県東部の和気町に住む母親の体調があまりよくないのは本当だった。近所に親戚もいるので、困ることはないのだが、なるべくなら自分で世話したいと思っていた。

 そう言ったことが重なって、結局辞めていくことになった。



『よくやった』

「はい、今度は完璧です」

『報酬は前に言った通りだ。二、三日以内に受け取り場所を指定する』

「へへ、ありがたい」

 脅迫犯のふたりは電話の後、報酬を受け取ったら何に使おうか、そればかりで頭がいっぱいになっていた。そんなふたりにはもう、近づきつつある彼らの敵を察知することなどできなかった。



 ある田舎の廃屋の中。ふたりの子供が何かを話し合っている。片方は小学校低学年くらいの年齢だろうか。しかし、背が高く痩せぎすな容姿である。黒縁眼鏡をかけている。もう片方は、幼稚園くらいであり、いかにも生意気そうな顔立ちと、顎に切り傷の痕が見える。

「――これで問題ない」

「でも、本当にいいのかよ。最初はだめだったじゃねえか。信用できるのか? その『巫女』の言う『神託』なんてよう」

「すべてのものに言えることだが、完璧などというものはない。『神託』もすべてが正確無比とは限らない」

「オレにはどうも信用できねえけどな。まあ、アンタがそう言うなら、まあいいさ」

「『神託』に多少間違いがあったにせよ、僕の勘違いがあったにせよ、その都度修正すればいいだけのことだ。今はまだ、奴らも好き勝手できないだろう」

「そりゃ、そうだろうけどよ」

 顎傷の男の子はそう言って、そばにあった古びた椅子に座り込んだ。もう話は打ち切りたいようだった。

 眼鏡の男の子は、かけている黒縁眼鏡を無意識のうちに触った。

「――そうはさせないよ、朝倉博士。我々も『跳躍』できることを忘れないでほしい。フフフ」

 眼鏡の男の子は不敵に笑った。

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