約束
泉田小の教師が駆けつけ、ジローがことの次第を報告した。堂々とした態度で、目の前に立つ教師に負けていなかった。
少し遅れてやってきた女の先生が、涼子に「大丈夫? 怪我はない?」と心配そうに尋ねた。涼子は元気よく答えた。
「はい、大丈夫です。泉田小の皆さんに助けてもらいました」
「それはよかったわ。……田岡先生、すぐに職員の人に連絡して通報してもらいましょう」
「そうですね……よし、みんな。集会場の方へ行くぞ。由高小の皆さんが待ってくれているんだ」
田岡は、その場にいた二、三十人の生徒たちと涼子を引き連れて集会場へ向かった。
――涼子ちゃん、どこにいるんだ。
悟は施設の奥へ向かって走る。途中、便所の前まで来たが、そこに誰もいないのは明らかだった。さらに奥へ向かうが、ふと前方から数人……いや、二十人くらいはいるんじゃないかと思われる集団がこっちに向かって歩いてくる。大人がふたりと、他は小学生くらい……いや、あの格好は間違いなく飯田小の生徒に違いない、と確信した。
そして、その先頭を歩いている熊のような大柄な生徒は見覚えがあった。
——あれは、まさか……ジ、ジローくん?
なんでここに片山ジローがいるのか、悟は不思議に思った。
「お、そこにいるのは——悟、悟か! オレだ、ジローだ!」
「やっぱりジローくんなのか!」
悟は懐かしさと嬉しさで思わず駆け寄った。そして、そのそばに涼子がいるのにも気がついた。
「ねえ悟くん、どうしたの?」
「どうしたもないよ。全然帰ってこないから、みんな心配してたんだ」
「そうだった。そういえば、あれからもう結構経ってたよね」
「それはそうとして、涼子ちゃんはどうしてジローくんと?」
「実はね、こういうことがあって——」
涼子は、悟にことの次第を話した。悟は深刻そうな顔をして黙って聞いている。
「なるほど、そうだったのか。まさかそんなことになっているなんてね。とにかく無事でよかった。それにしても、僕たちと一緒に山の学校に来るのは飯田小だと先生言ってたけど……」
「多分、斎藤先生間違えたんじゃないのかな。似てるし」
「そんなとこだろうね。先生もそそっかしいなあ」
涼子と悟は笑いあった。
「ジローくん。涼子ちゃんを助けてくれてありがとう」
「藤崎涼子は親友だ。当然のことをしたまでだぜ。住んでるところは遠くでもよ、ピンチとあっちゃあかけつける。片山組の鉄則だ」
「あはは、ジローくんらしいや」
そんなことを歩きながら話した。そうしていたら、今度は金子芳樹と加藤早苗がやってきた。
芳樹は涼子と悟以外の集団を、怪訝な顔で睨んだ。
「おいおい、なんだぁ? 誰だこいつら」
芳樹は悟に尋ねた。
「僕たちと一緒に山の学校で学ぶ、泉田小学校のみんなだよ」
「泉田ぁ? そうかこいつらか。……ヨォ、そこのクマ野郎。何デケェツラしてんだぁ?」
芳樹は早速、ジローに目をつけて因縁を付けた。しかし、そばにいたイガグリ頭の男子が、目を吊り上げて吠えた。
「テメェ! ジローくんになんて口利きやがんだ!」
「ぁあ? オメェ見てえな小坊主にゃ用はねえんだよ」
「このやろう!」
顔を真っ赤にして怒りまくるイガグリ頭。しかし、すぐに田岡が割って入る。
「お前たち、何をやってるんだ! ……君も由高小の生徒か。元気がいいのはともかく、いきなり喧嘩腰はいかんぞ!」
さすがに教師の前で喧嘩というわけにはいかず、両者渋々引き下がる。
「さあ、みんな待っているぞ。早く行こう」
田岡は涼子たちの先頭に立って、集会場へ向かって早足で駆けて行った。
先ほどから無言でいたが、どうやら作戦が失敗したようだと感じた早苗は、苦々しく思いつつ、どうして泉田小がやってきたのか不思議に思っていた。
集会場では早速、由高小学校と泉田小学校の対面式が行われた。その後、先程の事件について田岡の方から、少年自然の家の職員と、関口と斎藤に説明した。
ことの次第を聞いて驚愕する関口と斎藤。それに、まさかそんな不審者が現れるとは思っていないため、少年自然の家の職員は、「これは犯罪だ! けしからん」と憤慨し、別の職員に警察に通報しろと指示していた。
警察が来るかもしれないが、とりあえず予定通りに山の学校は行われることになった。犯人と思われる者たちは、中高生くらいとのことなので、それほど心配はないだろうとのことだが、職員や教師たちの見廻りや監視は厳重にするつもりのようだ。
ことが一旦区切りがついた後、みんな和気藹々としている中で、ひとり険しい表情でいる生徒がいた。
加納慎也だ。作戦は失敗した。涼子は予定よりかなり早く戻ってきた。なので、本来ならもう起こっているはずの出来事が、まだ起こらない。それはそうだ。彼がやろうとしていたことが失敗に終わっているからだ。やはり涼子が戻ってくるのが早すぎたようだ。
――片山次郎。どうして奴がここにいるんだ……。
加納にはわからなかった。計画通りなら、由高小と一緒に山の学校を行うのは飯田小だった。担任の斎藤も飯田小と言っていた。だから、間違いないと油断していた。
本来の世界でも、飯田小学校が来るはずだった。すべては完璧に因果をこなしていっていたはずだった。どこで間違えたのか。
それにしても、はじめから泉田小が来るのなら、当然ジローがいるのは間違いなく、なんらかの邪魔が入る可能性があるので、対策をしていたはずだ。
しかし、あまりにも上手く行き過ぎて、やはり慢心、驕りが出てしまったということなのか。しかし、完璧主義である彼の頭には、それを認めたくない、他に原因を求めたい思いが芽生えていた。
とはいえ、こうなってしまうと、また別の方法を考えなくてはならない。それを考えると、頭の中は怒りで煮え沸りそうだった。
良好の対面が終わり、とりあえず生徒たちが宿泊する部屋に行った。決めてあった部屋割りに生徒たちは入り、荷物を置いた。男子を中心に、興奮気味にはしゃいでいる。タヌキを追って勝手な行動をとった男子は、あの後連れ戻され、関口に激怒とともに殴られて涙目だったが、もう部屋の中で大はしゃぎである。
中央の広場を挟んで西と東に宿泊棟があり、そこに生徒たちの宿泊部屋がある。由高小は西側棟で、泉田小が東側棟だった。
一日目はフィールドワークだが、まず昼なので、各自持ってきた弁当をそれぞれの部屋で食べた。それから一時間くらい休み時間があり、午後からフィールドワークである。
この時警察がやってきていて、涼子は呼ばれて警察に状況を話した。もしかしたら、午後のフィールドワークは一旦待った方がいいかもしれないと、警察が言っていた。少年自然の家の職員も、その方がいいかもしれないと言い始め、涼子は楽しみにしていたものが、あんな奴らに邪魔されることになるかもしれない、ということに憤りを憶えた。実際、フィールドワークがスタートしたのは、予定より一時間も後だった。
それまでは両校の生徒たちが中央の広場に集まって、懇親会といったようなことをやった。どちらの生徒も、楽しみだったフィールドワークにいきなり待ったがかかる事態に、多くの生徒から不満が噴出した。
が、それもすぐに解決することになる。
犯人が捕まったのだ。まさにその黒づくめたちで、彼らはこの岡山少年自然の家の近隣に住む中学生だった。かなり山の中だが山の向こうには集落があり、そこに住んでいる少年のようである。警察は涼子たち複数からの情報をもとに、一部の警官には、すぐに容疑者が浮かんできたようであった。札つきのワルで有名な少年たちであった。学校はしょっちゅうサボる、万引きカツアゲなども多く、地域住民の間では問題児連中で有名だった。
しかし、その中でも中心人物である番長はおらず、四人ともその腰巾着のような者ばかりだった。彼らは、「ある秘密結社に金をもらって依頼された」と主張しており、警察を呆れさせた。ならその秘密結社なるものは何だ、と聞いてもチグハグで具体的に説明できるものがいない。形に残る証拠はなく、警察もまったく信じていない。どうせ金欲しさに、こっそり施設に忍び込んで小学生相手にカツアゲでもしようとしたんだ、と思い込んでいた。
ロクでもない、迷惑なクソガキどもの考えることなどそんな程度だ、と完全に偏見で見ている。まあ、それほど間違っていはいないのだが。
涼子は、ジローに「どうして襲われているのがわかったのか?」を尋ねてみた。
「これだ」
そう言って、ジローはポケットから、読売ジャイアンツのバッジを取り出した。涼子は気づいていなかったが、集会場へ向かう際に、ふと落としていたものだ。
「あ! これ……」
「そうだ。こいつが落ちてたんだが、これ見た時にな、「お前が助けを呼んでいる」と直感したぜ。助けて欲しいときは、こいつを掲げて助けを呼べって言ったろ? オレは約束したことは忘れない。絶対にな」
「ジローくん……」
ニヤリとしたジローの頼もしい顔に、人はやっぱり成長するもんだ、と嬉しくなった。幼稚園の時のガキ大将ぶりなどもうとっくに脱皮して、こんな頼もしい人になったんだ。




