救世主
その声は、まさに救世主のようであった。涼子を捕まえようとした中学生くらいの不良少年を、ゴリラのようなゴツい体でタックルを食らわして突き飛ばした。
驚くくらい軽々と吹っ飛ばされ、少年の仲間は唖然としている。そして、その重戦車の如き大柄な少年に注目した。
尻餅をついたまま、その大柄な姿を見上げる涼子。
逆光に阻まれ、そのシルエットだけが見える。しかし——この懐かしい声。長い間聞いていなかったけれど……けれど、この声の主が誰なのかすぐに閃いた。
「じ、ジローくん?」
「よう、ひさしぶりだな。わが友、藤崎涼子」
腰を屈め、涼子に向けて手を差し出す。その時、その顔が見えた。ゴリラのようなゴツい顔。丸太のような太い腕。涼子と同い年とは思えないくらい大柄な少年——ジローこと、片山次郎だった。
突き飛ばされた少年は、怒りの余り目をつり上がらせて起き上がると、「てめえ! 何モンだ!」と叫び、飛びかかってきた。
が、ジローはまったく動じる様子がない。どころか、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
そんなことはお構いなしにジローに殴りかかろうとした少年は、突如横っ腹に衝撃を受けて倒れ込んだ。うずくまる少年を見下しているのは、ジローとは違う少年だ。彼が横っ腹を蹴飛ばしたようだ。
「おう、秋ヤン。おせぇぞ」
「ごめん、でももうみんな来たぜ」
そう言った直後、彼の背後から、トレーニングウェアを着た小学生男子たちが一斉に突入してきた。おそらくジローの同級生たち——泉田小の生徒たちだ。
「このやろう!」
ものすごい勢いで突進していく少年。黒づくめの少年に体当たりして吠える。いかにも悪ガキといった風体で、低く唸るような大声で叫ぶ。
「おどりゃ、どこのモンじゃあ! おれはのぉ、片山組のトッコータイ亀山正宏じゃ!」
どう考えても学級の迷惑者としか思えない風貌の少年だが、今の涼子にとっては頼もしい存在だった。
「オレは石頭のケンだぁ! オラァ!」
ケンと名乗った少年は、頭を突き出して突撃する。涼子を襲った少年のひとりが、頭突きをくらって突き飛ばされた。三回転くらい転がって、落ち葉と土だらけになる。すぐに起き上がったが、またケンが自分に向かって突っ込んでこようとしているのに気がついて、慌てて逃げ出した。
「た、助けてくれぇ!」
「待てや、弱虫ヤロウ! にげんな!」
追いかけ回すケン。それを同級生たちが歓声を上げて場を煽った。
「さっすがケンちゃん! やっぱケンちゃんの頭突きは最強じゃあ!」
「でも、ジローくんには勝てんけどな!」
「オメェら! 全員つかまえろ!」
ジローが命令すると、その場にいた男子たち全員が、涼子を襲った少年たちに襲いかかった。
涼子は目の前の光景に唖然としていた。泉田小学校の男子十数人が、ジローの采配のもと、狂ったように暴漢たちに突撃していく。金子芳樹とその一派とよく似ている。どこの学校にもこういう輩っているもんだ、と涼子は思った。
しかし黒づくめの少年たちは、逃走ルートを予め設定していたのか、あっという間に逃げていく。それもみんな同じ方向だ。施設の奥の方へ入っていき、姿を消してしまった。
「ごめん……ジローくん、逃しちまったよ」
「マジか。まあいいや。……おい、藤崎涼子。大丈夫か?」
ジローはへたり込んでいた涼子の側にやってくると、丸太のような太い腕を差し出した。涼子はその手に捕まって起き上がった。
「本当にジローくんなの? 私、びっくりしちゃった。でも、本当にありがとう」
「お前はオレの親友なんだ。当然だ。怪我はないか?」
「うん。大丈夫」
そう言ってから、ふと周囲を見回すと、顔に憶えのない男子ばかりが十……いや二十人以上はいる。
みんな飯田小の……と思った時、ふと思い出した。涼子は引っ越ししなかった場合、通っていた泉田幼稚園の隣にある泉田小学校に入学するはずだった。当然、ジローも泉田小学校に入学しているはず……とまで思って、「ジローくんって飯田小?」と聞いた。
「あぁ? 何言ってんだ、泉田小だぞ。お前って由高小だろ? 確か悟が転校したのも由高小だったと思うが……あいつに会うのも楽しみにしてるんだ」
「そうそう。そうだよ。悟くんいるよ。でもあれ? 先生、飯田小って言ってたような……」
「聞き違えたんじゃねえのか? とにかくオレらは泉田小だ」
「そうなんだ。——でもよかった! こんなところでまさか再会できるとは思わなかった」
涼子は嬉しそうに言った。
その時、男子たちの後ろから、ひとりの女子が前に出てきた。
「涼子ちゃん? 本当に涼子ちゃんなの? 私、可南子よ。宮地可南子。おぼえてる?」
「可南子……かなちゃん! 憶えてる、憶えてるよ!」
涼子は思わぬ再会に、嬉しさの余り涙が出そうになった。ジローと再会したのだから、当然同じ学校に通っているはずの宮地可南子も、同じようにこの山の学校に来ているはずなのだ。
ふたりは手を取って再会を喜びあった。
集会場で出た三人、悟と芳樹と早苗。お互いに牽制しあって便所の方へ歩いていく。お互いの視線から、見えない火花が散っているようだ。
ふと芳樹が言った。
「よう、悟。藤崎を探しにいくのか?」
「うん。まだ帰ってこないというのはおかしい。金子くんも探してくれるかい?」
「いいぜ、なんか面白えことがありそうだしな——なあ、加藤早苗」
「ふん。どうかしらね。それにしても金子芳樹。お前は誰の味方?」
「誰の味方でもねえよ。俺はただ、加納の小賢しい顔が悔しさに歪むところが見てえンだ」
芳樹はニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、早苗を見た。早苗は、その小馬鹿にしたような態度を見ないようにして無視した。そのニヤけた顔を、思い切りぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、それこそ芳樹の挑発に乗せられたような気がして、必死に堪えた。
その様を呆れた顔をして見ていた悟が言った。
「君はあくまでそういうスタンスなんだね……うん? あれは奥田さんだ」
悟は向こうから歩いてくる奥田美香を見つけた。当然、涼子はいない。美香の方も、悟たちに気がついたようだ。
「奥田さん、具合はいいの?」
「うん。もう大丈夫」
顔色も悪くなく、実際に大丈夫そうだった。
「涼子ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「あれ? 先に戻ってるはずだけど……」
「え?」
「どうしたの?」
「いや、まだ戻ってきていないんだ。僕はちょっと探してくるから、奥田さんは先生に連絡してくれないか」
「う、うん」
美香は慌てて走って、集会場へ向かっていった。そして悟は芳樹と早苗を置き去りにして、一目散に施設の奥の方へ行ってしまった。
うっかり取り残されたふたり。
「おい、加藤。さてはお前らが一枚噛んでやがるな?」
芳樹はニヤニヤしながら言った。
「ふん。何か証拠でも?」
「こいつは何かあるんだろ? 言えよ、何考えてんだ?」
「馬鹿じゃないの。あろうがなかろうが、あんたに喋るわけないでしょ」
「クックック、なかなか面白そうじゃねえか……おれも藤崎を探しに行くぜ、じゃあな」
そう言うと、すぐに駆け出して行った。
「待ちなさい! 邪魔しようたって、そうは行かないわ!」
その後を追いかけるように駆けて行った。




