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藤崎工業の今

「加納が協力しろと誘ってきただと?」

 朝倉は、佐藤から昨日の顛末を聞いて、驚いた様子で言った。朝倉だけでなく、涼子や悟たち他の仲間も驚きを隠せなかった。

「ああ。随分と大胆不敵だと思うが、これをどう見る?」

 佐藤は加納の思惑を考えている。そしてそれを仲間たちにも問うた。

「もちろん利用するつもりだろう。しかしそれを見抜けないわけがない、とも思っているだろう。こうして君が仲間にすべて話して、それを逆に利用しようとする、我々の思惑も見越している」

「そう考えた上で、何らかの行動に出てくる可能性がある」

 佐藤が言った。加納ほどの狡猾な策士が、そこまで考えていないはずがない、とみんな考えている。裏の裏、そしてそのまた裏をかこうととする。まさに頭脳戦である。

「そうだな。だとしたら、何をするつもりか……」

 朝倉はそうつぶやいて、しばらく黙り込んだ。何か思索しているのだろう。

 静まり返った空気の中、悟が口を開いた。

「後日連絡すると言うのなら、まずそれを待った方がいいよ。先走らない方がいい」

「そうね、私もそう思う。まず加納くんたちが何をするつもりなのか、はっきりさせないといけないわ」

 美由紀は悟に同意した。

「よし、とりあえず佐藤。君は加納からの連絡が来たら知らせてくれ。それから対応策を練る」

「わかった。それにしても大胆だ。手堅い策をとるタイプかと思っていたが、こういう手段に出るとは思わなかった」

 佐藤は唸るようにつぶやいた。

「僕なんかもそう思ってたよ。その辺も含めて、加納くんは相当な人物ではあるね」

 悟も佐藤の意見に同意のようだ。

 とりあえず、加納からの連絡待ちとなった。今日の作戦会議はこれでお開きになる。が、ふいに涼子は難しい顔をしながら言った。

「しかし……なんていうか、前から思ってたけどさ。朝倉くんって疑り深いよね。佐藤くんが協力するふりをして、さらにそれを利用してくるだろって考えて――ってそこまで考える?」

「当たり前だ。そのくらいは当然だ。まさか藤崎はそれが考えられなかったというのか?」

「え? ……わ、私はそんなに捻くれてませんから!」

 涼子はムッとして、そっぽ向いた。軽く笑い声が出る。少し和やかな空気の中、それぞれ自宅に帰って行った。



 自宅の付近まで戻ってきた涼子は、ふいに父の工場が静かなのに気がついた。まだ午後四時前で、仕事はしている時間だ。気になって覗いてみると、誰もいない。どうしたんだろうかと思ったら、トラックもないので、出来上がった製品を納品しに行っているのかもしれない、と考えた。

 工場の正面扉は空いているのに、中はもぬけの殻で不用心である。事務所に誰かいるのかと思ったが、事務所にもいないし、鍵もかかっていない。不用心である。だが、こんなところに空き巣が入るなんてこともないだろうし、田舎の町工場などこんなものなんだろう。

 扉の前で中を覗いていると、後ろから車の音が聞こえてきた。振り向くと父の会社、藤崎工業のトラックが敷地に入ってくる。運転席には社員の市川照久、助手席には父の敏行だ。

 トラックが定位置に止まると、涼子はトラックの元へ行った。

「おう、涼子。どうしたんだ。宿題は済んだのか?」

 敏行がドアを開けて出てくるなり言った。

「これからだけど、すぐ終わるよ。誰もいないから、どうしたのかと思った」

「ああ、今日は現場だったからな。明日からはまたこっちで仕事だが」

 敏行の会社「藤崎工業」は、元は金属加工による部品製作など、自社工場での仕事ばかりをやっていたが、ここ一年くらい前から、客先の工場に入ってその工場内で設備の補修などの仕事をすることが増えた。これは、これまで主であった製作の仕事が激減していることが原因である。

 昨年、昭和六十年のプラザ合意以降、円高による輸出産業の不振が中小企業にまで影響を及ぼしていた。倒産も増え、不況に喘ぐ都市部の町工場。田舎の小さな町工場である藤崎工業も、次第に影響が出始めていた。

 藤崎工業が仕事を請けている元請会社が、主に取引している化学薬品の製造企業も、輸出が主であり苦しい状態にあった。

 そのため藤崎工業も、配管や設備部品の修繕など、工場内設備の修理などの仕事で食い繋いでいる状態だった。それもあってか、かつては下請けでいつも来ていた職人たちも、最近はさっぱり見なくなってしまった。

 とはいえ、そういう仕事であれば遊ばないくらいには仕事はあるため、まだ経営が苦しいほどにはない。もっとも、それも来年の今頃には好転し忙しくなってくる。

「社長、これはいらなかったっけ? こっちの配管は修理でしたよね」

「そうだ。それは溶接場へ置いておいてくれ。明日の仕事だ」

「はい」

 市川照久は返事すると、修理するという配管を肩に担いで工場の中に入っていった。四メートルくらいある配管をひとりで軽々と担いでいる姿に、涼子は逞しくなったなあと思った。来た頃はこういう仕事とは縁がなさそうなモヤシ青年だったが、見違えるものである。

 しかし今、藤崎工業は、社長の敏行と社員の照久のふたりだけである。熟練職人で、創業当初から活躍してきた大河原源三も最近足腰が辛く、仕事も忙しい時だけ手伝いにくるような状態だった。すでに六十代後半で、昨年くらいから腰痛に悩まされていた。

 なかなか三人目の社員を雇う余裕もなく、今のところ、ふたりだけでやっていくしかないのだ。敏行も照久も暑い中仕事をしてきたのか、全身汗だくである。大丈夫なのかな、と少し心配になった。

「……お父さん、お仕事無理しないでね」

「何言ってんだ。そんなこと、お前は心配することじゃない。しっかり勉強して、将来やりたい仕事ができるよう頑張れよ」

 そう言って、敏行は娘の頭を撫でた。そして照久の後を追って工場の中に入っていった。

 テレビでは、不景気だ何だと言っている。この先どうなっていくのか不安に感じる人も大勢いるだろう。涼子は未来の記憶がある。父の工場も、倒産するようなことはないのはわかっているが、それでも少し心配になっていた。

 ちなみに藤崎工業は令和の時代まで経営を続けていたが、後継者がおらず(翔太も継がなかった)、新型コロナウイルスの影響などもあって仕事も減ってしまい、その後、敏行が七十代の頃に病気もあって廃業した。以後は細々と隠居生活である。

 涼子は工場を一瞥し、邪魔しないようにそっと自宅へ帰った。



 三日後、佐藤に加納の側近から連絡があったため、緊急作戦会議が開かれた。

「奴らは十月にある『山の学校』で行動に出る。その概要をこれから話す」

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