祭りの後
迷子になった信彦は、あまりにもあっさり見つかった。信彦の母、伯母の千恵子がすぐに見つけて戻ってきた。イカ焼きの夜店の前で、物欲しそうにじっと眺めていたという。美味しそうな匂いにつられていったようだ。
なんであれ、すぐに見つかってよかった。そして、伯母は子供達にイカ焼きを買ってくれた。涼子もイカ焼きの香ばしい匂いにお腹が空いてきていたので、心の中で「信くん、ナイス!」と信彦に感謝した。
あの後は悟を見かけることはなく、帰路に着くことになった。
結局、加納慎也は何をやっていたのか。加藤早苗の言ったことは何だったのか。わからないことを多く残したまま、祖父母宅で過ごす楽しい二日間は終わってしまった。
備前の祖父母の家から戻って、今度は藤田の祖父母の家へ行き、それから三日ほど経った日。涼子は及川悟と矢野美由紀の三人で会うことになった。県外へ行っていた美由紀が戻ってきたので、早速会って作戦を練ることにしたのだ。
「一週間くらい会ってないけど、久しぶりって感じがするね」
日焼けして前に会った時より黒くなっている美由紀は、少し嬉しそうに言った。久しぶりに会って嬉しくなったようだ。
「だよね。ねえミーユ、今年も行ったんでしょ――」
「うん、それでねえ――」
涼子と美由紀は土産話に花を咲かせた。そんなふたりを困った顔して見ている悟。女の子同士の話には、男の子にはなかなか入っていけない。まあいいか……とちょっと諦めている様子。
ひとしきりお喋りを楽しんだ後、ようやく作戦会議を開始した。まずは美由紀が口を開いた。
「及川くん、お祭りの件はどうだったの?」
「矢野さんの言う通りだった。加納くんがいたよ」
「やっぱり! ということは、何か因果があった可能性があったのよね?」
「おそらくそうだと思う。……実は加藤さんが来ていたんだ」
「さなが?」
美由紀は驚いた。小学生には、そう簡単には学区外へ出て行くことはできない。まして夜中である。涼子は祖父母の家が近くにあって、たまたま居合わせたのはある程度「わかる話」だが、何もないはずの早苗では、偶然ではありえないだろう。
「それでなのよ。さながね、ヒントをくれたの」
涼子はすかさず話に割って入った。
「ヒント?」
「うん。迷子を探せって言い残したんだ」
「迷子……それが因果なの?」
美由紀は怪訝な顔をする。
「わからない。やっぱりそれだけじゃ……」
言葉に詰まる悟に、今度は涼子が言った。
「そういえば、迷子の子って見つかったの? 結局あれから会えなかったから、どうなったんだろうって、ずっと気になってたの」
悟はどうも苦い顔のままだ。結果はいい話ではないのだろう。
「まあ、なんていうか……加納くんは迷子の子を見つけたようだね」
「やっぱり。それで、結局どうなったの?」
「残念だけど、それを聞いたのは祭りから帰った後なんだ。幼稚園くらいの子が、僕くらいの男の子に親の元に届けてもらって、町内会長からお礼言われたとか、おじいちゃんや伯父さんなんかが話してた」
「やっぱりさ、それ因果で加納くんは……」
「うん。その可能性は高いよ。ただそれが何なのか、まったくわからないんだ」
三人は黙り込んでしまった。結局何もわからなかった、そういうことなのだ。
結局いくら考えても情報がなさすぎて、どうにもならなかった。こんなことしても埒があかないということで、お開きとなった。一緒に遊んでいこうとも言ったが、美由紀はこの後スイミングスクールがあるのでダメだった。悟も何かあるらしく、結局涼子はひとりで家に帰ってくることになった。
夏の日差しは相変わらずで、今日も大空に雄大な入道雲を描いている。初めの頃は耳障りだった蝉の鳴き声も、連日の酷暑の中では大して気にならなくなっていった。
額の汗を手で拭いながら、家の近所まで帰ってきたとき、向こうから知った顔が自転車でやってきた。近所に住む大学院生、小島昭三だ。
「あ、小島さん!」
涼子は手を振って声をかけた。それに反応した小島は、涼子の側にやってきて止まった。
「おや、涼子ちゃんかい。どこか遊びに行くの?」
「ううん。さっきまで友達といたんだけど、みんな用事があるから、お開きになったの」
涼子は、小島の家に遊びに行きたいと思っていた。ちょっとそういう空気を出した。
「そうなの? ――それじゃうちに遊びにくるかい?」
「うん、そうする」
涼子は嬉しそうに返事した。このまま家に帰ったら冷蔵庫の麦茶だが、小島の家に遊びに行ったら冷たいジュースが出てくるかもしれない、と思っていた。
小島のアパートは相変わらずボロい。そして、彼の部屋の中も同じようにひどい有様だ。様々なモノが散乱しているが、もしかしたら、ここに引っ越してから一度も片付けたことがないのでは、と思ってしまう。アニメグッズや漫画があちこちに見えるが、物理だとか素粒子だのといった文字がある、堅苦しく難しそうな本もある。こういうのを見ると、やっぱり大学院生であり、将来科学者になっていくのもわかる気がする。小島はあまりそういう風体をしていないが、これは将来もあまり変わっていない。若い頃からそうだったのだ。
当然だがエアコン……どころか冷房専用のクーラーすらないので、窓を開けて扇風機で涼むことになるが、今日みたいな真夏日はやっぱり暑い。
「ちょっと待ってね、この間コーラをたくさん買い込んでたから持ってくるよ。おっと、心配はいらないよ。流石にコーラは冷蔵庫でちゃんと冷やしてるからね」
「さっすがぁ、小島さんってステキ!」
狙い通りの展開で、涼子は大喜びで小島のことを褒めた。
小島はすぐに缶コーラを持ってきた。涼子は片方を受け取って、プルタブを開けて取り外した。
この頃のプルタブ(プルトップ)はタブ(開け口の金具)を完全に切り離すタイプのもので、現在のような開けてもそのまま缶に残るタイプものはまだなかった。
このプルタブのポイ捨てが社会問題になって、これを集めて「車椅子と交換して寄付する」という運動があった。涼子も学校や地域でそいういう活動などをやったりしている。
が、平成の初期の頃に缶に残るタイプが登場し、切り離されるタイプは次第に姿を消していった。
「冷たくて美味しいね!」
涼子はあっという間に半分ほど飲むと、嬉しそうに言った。
「暑い日はこれに限るよね」
小島も一気に飲んで至福の表情である。
ふたりとも飲み終えると、小島は部屋の隅で何かを探し始めた。そして、涼子も部屋を漁り始める。
この部屋の中は雑然としているが、とにかくいろんなものがあるのだ。涼子の興味をそそるものがあちこちにある。前に来た時、宇宙についての本を見つけて、そこに掲載されているたくさんの宇宙の写真を楽しく見ていた。これを今回もそれを見ようと思った。
本が山積みになっている中に、何か白い布が見えているので引っ張ってみると、ランニングシャツが出てきた。なんか変な模様がある。よく見たら、それはカビだった。涼子は悲鳴を上げてそれを放り投げた。
「うん? 涼子ちゃん、どうしたの?」
「小島さん、汚い! ちゃんと洗濯してよ」
「え……、ああ、そういやランニングが一着足らないようだったけど、こんなところにあったのか……でもこれはもう着れないなあ」
「当然でしょ! そんな汚いの捨てて!」
涼子は目の色を変えて叫んだ。なんという不精者だろうか。これだから男の人って……と心の中で大きくため息をついた。




