浴衣
プールの覗き騒動は、結局犯人が見つからないまま夏休みに入った。涼子はもしかしたら、世界再生会議の学校外のメンバーが、何か因果に関することがあって、覗きという行動を起こしたのではないかと考えていた。
今は因果がどうとかまったくわからない状態だ。涼子に関するもの、加納たちがやろうとしているもの、どれも何がどうなのか、さっぱりわからない。だから、あそこに加納たちのやろうとする因果があったとしても、不思議ではない。
どちらにせよ、もう犯人は見つかることはないだろう。学校でも次第に忘れられつつある。
とにかく夏休みだ。今は夏休みを楽しもう、と涼子は思った。
「ほら、涼子。早くしなさい」
「ちょっと待ってぇ――ええと、これとこれ……」
「涼子!」
「は、はぁい!」
母の怒鳴り声が聞こえたので、大慌てで子供部屋を飛び出してきた。
「何をやってたの? お父さんも翔太も待ってるのよ」
「だって浴衣着るんだもん。この花飾りをつけたいの」
涼子はバッグの中から、造花の髪飾りを出した。赤い花が三つ飾られた華やかなものだ。
「この前買ってあげたやつね。わかったから早くしなさい」
「はぁい」
八月十二日、涼子と家族は母方の祖父母の家に行く。毎年恒例の、祖父母宅に泊まりに行くのだ。
涼子は先週から楽しみで楽しみでしょうがなかった。それは、一緒に泊まる伯父の家族も来るのだが、その時に浴衣を貰えることになっていた。
祖父母の家の近くで夏祭りがあるのだが、涼子はそれに浴衣をきて連れて行ってもらうのだ。
浴衣は従姉妹の内村友里恵のものだったが、友里恵も中学生であり、小学生の頃に着ていた浴衣は少し小さくもう着ないので、よかったら涼子ちゃんにどうか、ということだった。
あまり着ていないこともあって結構綺麗だし、サイズ的に涼子くらいならピッタリだろうということで、ありがたく頂くことになったのだ。
涼子は今は浴衣を持っておらず、幼稚園くらいの小さい時にはあった。しかし、以降は買って貰えることもなく、去年など地元の夏祭りに行った時に、友達のほとんどが浴衣を着ていたこともあって、浴衣が欲しくてしょうがなかった。
車の前で父の敏行が、煙草をふかしながら待っていた。妻と娘がやってくると、呆れた様子で言った。
「おい、何をやってたんだ。ずいぶん遅かったな」
「お待たせ。さあ行こうよ」
涼子は嬉しそうに言って、すぐに後部座席に乗り込んだ。車の中には翔太がいた。
「おねえちゃん、おそいよ」
「ごめん、ごめん。さあ行こう、しゅっぱぁつ!」
ご機嫌な様子の涼子を見て、敏行が言った。
「なんだ、涼子は随分嬉しそうじゃないか」
「浴衣よ。ほら前に言ったあれ。友里ちゃんのお下がりをくれるって言ってたじゃない」
「ああ、それか。――涼子、よかったじゃないか」
「うん! 小さい時以来だからね。楽しみなんだ」
それから涼子は祖父母の家に到着するまでの間、延々と浴衣や祭りのことなどを嬉しそうに喋っていた。
「涼子ちゃん、翔くん、よう来たね。ふたりとも大きくなったなあ」
祖父はやってきた孫の顔を見て、とても嬉しそうに言った。今年はなかなか会いに行く機会がなく、正月以来となる。祖母もかわいい孫の姿にニコニコしている。
「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは!」
涼子と翔太は元気よく挨拶した。そして靴を脱いで家に上がる。無造作に脱いですぐに奥に行ってしまった翔太と違い、涼子はちゃんと脱いだ靴を揃えた。
「やっぱり涼子ちゃんはお姉さんねえ。お行儀がいいわ」
祖母は涼子を褒めた。涼子はエヘヘと照れ笑いした。
居間に入ると、伯父の一家がいた。外に伯父の自動車があったので、自分たちより先に来ていることは知っていた。
伯母の千恵子が声をかけてきた。
「涼子ちゃん、こんにちは。外は暑かったでしょ」
「伯母さん、こんにちは! あ、この部屋涼しいね。クーラーつけてるんだ」
居間は子供達の一家がやってくるということで、普段はまったく使わないクーラーで部屋を冷やしていた。このクーラーは祖父母たち自身では全然使わないのだが、こうして来客の際にだけ使っている。この頃はまだ令和の時代に比べて暑さも大したことはなかったように思う。窓を開けて扇風機だけでも十分だった。
「涼子ちゃん、浴衣持ってきてるからね。後で着てみましょ」
「うん! 伯母さん、ありがとう!」
伯母の言葉に元気よく答える涼子。後ではなく、今から着てみたいものだ。
「涼子ちゃんならきっと似合うと思うなあ。あんまり着てないから、まだ新品みたいなものよ」
従姉妹の友里恵が言った。涼子もそれを聞いて、ますます期待が膨らむ。
「そうなの? ふぅん、楽しみだなあ……伯母さん、どんなのか見てみたい」
「涼子、後にしなさい」
真知子が横槍を入れた。
「まあまあ。ええとね、これよ」
千恵子はバッグから綺麗に畳んだ浴衣を取り出した。そしてそれを広げて涼子に見せる。
出された浴衣は、思っていた以上に綺麗でいい感じだった。柄も涼しげで可愛らしいもので、かなり気に入った。
「わぁ、かわいい! ねえお母さん、着てみたい」
「今から着るの? お祭りに行くのは夕方からよ」
「いいじゃない。なんならまた着替え直して、改めて着替えてもいいし。涼子ちゃんも早くきてみたいのよね」
「うん。ねえ、お母さん」
「しょうがないわねえ。でもとりあえず、お昼を食べた後にしなさい」
「はぁい……」
昼食は寿司だった。これはいつものことで、涼子たち子供にとっては、とても楽しみなことだ。寿司なんて滅多に食べられるものではない。
その後、涼子は母と伯母に連れられて別の部屋に行った。それから少ししてふたたび居間に戻ってきた。
涼子の浴衣姿はとても可愛らしかった。頭には事前に買ってもらっていた花の髪飾りをつけており、可憐さに拍車をかけていた。
ちょっと照れた様子で、みんなの視線が自分に集まっていることに顔を赤くしていた。
「お、我らがかわいいお姫様の登場だ」
伯父の政志は、ニコニコしながら浴衣姿の涼子を褒めた。
「すごく似合ってるよ、涼子ちゃんかわいいから絶対似合うと思ってたのよ」
従姉妹の友里恵も嬉しそうだ。友里恵の弟、秀彦は、涼子の浴衣姿に密かに顔を赤くしていた。
涼子はみんなの注目を浴びて、流石にちょっと恥ずかしくなったのか、真知子の後ろに隠れた。
「えへへ、なんか照れるなぁ」




