男女対立
更衣室の前では、男子と女子がお互いに睨みあって火花を散らしていた。その間に挟まって困った顔をしている担任の斎藤。
「先生! 男子が女子の更衣室をのぞいてました!」
女子たちは烈火の如く怒り、斎藤に言いつけた。
「え、それは本当? ——誰が覗いていたか見たの?」
「こんなすき間からだったから、だれかは見えなかったけど……でも絶対にのぞいてた。人がいるのはわかったもん!」
「そうそう、ひとりじゃなかったよね。三人くらいいたよ」
「男子ってやらしい! 最低!」
女子たちは口々に男子を非難する。しかし男子も言われ放題ではない。
「そもそも、そんなとこにだれかいたっけ?」
男子のひとりが言った。さらに別の男子が、「おれたちは、こっちにいたし、女子更衣室の前にはだれもいなかったけど」と言った。
「そんなわけないじゃないの! わたし絶対見たんだから!」
第一発見者の女子は、自分は絶対に見たとあくまで主張を譲らない。
「おまえ、ユーレイでも見たんじゃねえの! ぎゃははっ!」
口の悪い男子、宇野毅が、女子をからかうように言った。それが癇に障った涼子は、その男子に怒鳴った。
「こんな昼間に幽霊なんか出るわけないじゃん! ……もしかしてあんたじゃないの? 私も人影を見たし」
「涼子も見たの? だよね! 絶対いたよね!」
女子の間で俄然盛り上がってきた。そして男子に対して不信感が高まってくる。
「なんだと! デタラメ言ってんじゃねえ、藤崎!」
宇野は涼子の手首を掴んで、そのままつき倒した。
「こらっ! なんてことするの!」
斎藤はそれを見て怒鳴った。
「涼子だいじょうぶ? ちょっとひどいじゃない!」
周囲の女子が涼子を助け起こし、口々に宇野の乱暴を非難する。
「そ、そんなん知るか! うるせぇ!」
焦った宇野が逆上して、近くの女子を突き飛ばそうとしたが、突然首の後ろを捕まれ、前に出れなかった。驚いて振り向くと、鋭い表情の金子芳樹がいた。
「おまえ、ごちゃごちゃウルセェぞ。黙っとけや、タケシ!」
凄みのある顔で睨みつける芳樹。宇野は青ざめ、あっという間に小さくなっていった。喧嘩をすれば、六年生でも泣かしてしまうくらい強い金子芳樹なだけに、宇野は完全に縮み上がっていた。
「とりあえず後にしようぜ。腹へった。まずは給食だ」
芳樹はそれだけ言って、宇野を解放した。
「みんな、とりあえず教室に戻るわよ。五時間目の道徳の時間にこのことは話しましょう」
斎藤も、もう四時間目が終わって給食の時間に入っているのもあって、一旦はこの場を収めた。
給食と掃除が終わって、昼休みとなった。この期間、女子の男子に対する態度は常に冷たかった。あの時に男子更衣室の中にいた男子たちには関係ない話で、迷惑そうな顔をして容疑者たちを睨んでいる者もいた。
五時間目の授業が道徳の授業だったこともあり、本来の予定を変更して、プールでの覗き問題についての話になった。
「――本当に誰かが覗いていたのか、それを確認しないといけません」
「先生! 絶対のぞいていました」
「落ち着いて。決めつけはよくないわ。それらしき人を見たという人は手をあげてください」
五、六人の女子が手を挙げた。涼子も挙げている。
「どういう風に覗いていたのか、説明はできる?」
「はい。私は見たんです。ちょうど着替え終わったくらいに、出入り口の方を見たら少し開いてたんです」
「どのくらい?」
「このくらいかなぁ……」
指で二センチくらいの幅をつくって見せた。斎藤はなるほど、と小さく頷いた。
「それでその時なんです。そのすき間に、なんかこう……丸い感じのがふたつくらいあって、それが動いていたんです。それで「覗いてる!」って叫びました。そうしたら、すぐいなくなったんです」
「そうよ、わたしも見たのよ。それでヨッコが叫んだらいなくなったもん! にげたんだわ!」
斎藤は、女子の言っていることは嘘ではなさそうだと感じた。証言が細かく、適当なことを言っている印象がないからだ。
「男子の方は……晋くんや卓ちゃんなんかが外にいたのよね。何からしきものを見た?」
斎藤は、あの時に更衣室の外にいた男子数名に話を聞くことにした。彼らは女子たちから容疑者とされているが、斎藤が見た時には、更衣室から少し離れた、シャワーのある辺りでおしゃべりしていたので、この子たちは違うような気もしていた。
「ぼくは卓ちゃんと話してたから――うぅん」
「ぼくもだし……晋ちゃんや博くんも更衣室の方は見てないし……」
「そう……他に見た人はいる?」
斎藤がふたたび問いかけたとき、宇野毅が手を挙げた。
「先生ぇ、井上くんがのぞいてましたぁ」
一斉に井上健太郎に教室全体の視線が集まる。同級生たちの注目に、ニヤニヤと意地の悪そうな笑み浮かべている。
「井上くんが? 井上くん、そうなの?」
「えっと……それは……」
井上健太郎は、どうも歯切れが悪い。井上健太郎は、小柄でおとなしい性格だった。運動も苦手で、宇野や波多野のような悪ガキに虐められているように感じる場面が時々見られた。涼子も時々注意したりしていた。それだけに宇野たちとは仲が悪い。
涼子は、井上健太郎が宇野に無理矢理犯人にさせられていると直感した。井上は、覗きをするような大胆な行動は無理だろう。しかし宇野たちなら、井上を犯人だということくらい平気でやるだろうと思った。
涼子は咄嗟に手を挙げた。
「先生! 私は井上くんじゃないと思います」
「どうして?」
「そういうことをするとは思えません。そもそも宇野くんは、掃除の時によく井上くんを箒で叩いたり、ボールで遊んでる時、わざと井上くんを狙ったりしてます!」
「なっ、藤崎涼子、てめえっ! うそだ! でたらめ言うな!」
宇野は慌てて叫んだ。井上に対する虐めをばらされた形になったからだ。そしてすぐに反撃した。
「そもそも、藤崎は見たのかよ! おい、見たのかっての!」
「そ、それは……」
涼子にしても、誰かが覗いていたであろうことは確かだと思ったが、それが誰かはわからない。言葉に詰まってしまった。
「それみろ、いいかげんなことを言うなよ、ブス」
宇野は得意げに言った。しかし、斎藤は宇野の余計な言葉を嗜めた。気まずい顔をして黙り込む宇野。
しかし、そこにもうひとりの証言者が現れた。
「——先生。そもそもですが、宇野くんは更衣室の中で武藤くんと喋っていました。それで、仮に井上くんが覗きをしたとしても、外にいるはずの井上くんが何をしていたかなんて、わかるとは思えませんが。どうして井上くんだと断言したのでしょうか?」
加納慎也だった。ずっと目立たないように学校生活を送っていたように思ったが、ここで突然表に出てきた。
「それは本当なの? 宇野くん、どうして井上くんだと思ったあの?」
「そ、それは……ええと」
口籠る宇野。みんなの宇野を見る目が、不信感を抱いた目に変わっていった。同時に、鋭い指摘を毅然とした態度で発言した加納に対する印象はとてもよかった。しかし、では涼子たち数人の女子が見た影はなんだったのか。結局はそれがわからないままだった。
静まり返った教室。加納はニヤリとすると、何かを発言しようとした——が、突然別の大きな声に阻まれた。それは金子芳樹だった。
「なんかヨォ、変なオッサンがいたぜ」
今度は芳樹に教室中の視線が一斉に集まった。
「それは本当なの?」
斎藤は驚愕の表情である。もし本当なら、部外者がプールに入り込んできた事になる。とてつもなく危険な状況であったことになる。
「ああ、チビなおっさんだったな。俺に見られたのに気がついたのか、すぐに逃げたぜ」
「ど、どっちへ逃げたの? これは大変なことよ」
斎藤の顔は青ざめている。しかし、涼子は思った。――うぅむ、そんな人だったっけ? 小学生くらいにしか見えなかったけど……。
「知らねえっすわ。もうどこ行ったかなんてわかんねえ」
金子は他人事のように言った。しかし実際に、今更探しても見つけられるわけがなかった。
結局、男子の中に犯人はいない、部外者が侵入していたのではないか、という線が有力として、後は学校側で対処するという話になったようだ。
とりあえず生徒たちの騒乱は収まった。しかしその裏で、加納の表情は険しかった。どこか悔しそうな顔をして、金子芳樹を睨んでいた。




