プールにて
七月に入り、梅雨も開けた七月中旬。来週から夏休みであり、子供たちには楽しみな時期である。
一ヶ月ほど前にプール開きしており、涼子はプールの授業が楽しみだ。涼子は足が速いが、泳ぎも得意で、クロールは学級でも五本指に入る速さだ。平泳ぎや背泳ぎも速い。
今日の体育の授業は水泳だ。朝食を食べると、母の真知子が洗濯しておいた水着は着ていくので、替えの下着や帽子をプールバッグに入れていく。タオルも忘れずに入れて、命札も……ない。
ちなみに命札というのは、名前などをかいた札で、プールに入る前にこれを置き場に置いておき、出る際に持って帰る。要するにこれが残っている限り、プールから出ていない――溺れている可能性がある――ということの証であった。これを忘れるとプールには入れず、見学となってしまう。
「あれ? お母さん、私の命札は?」
「そこのテーブルに置いてるでしょ」
真知子は、涼子用と翔太用にそれぞれ置いて用意したと言った。
「ないよ――うん? 翔太のが落ちてる」
涼子はテーブルの下に翔太の命札が落ちているのを見つけた。それに、ふとタオルを見ると、いつもの自分のではない。これは翔太のタオルだ。
涼子は子供部屋に急行した。
「翔太、私のタオルを返しな」
「えぇ、ぼくのタオルだもん。お姉ちゃんのじゃない」
「嘘言わないでよ。私のタオルの方が新しいから、いいと思ったんでしょ。ちょっと見せなよ」
涼子は翔太のプールバッグを奪い取ると、中を漁ってタオルを出した。それはいつも涼子が使っているタオルだった。
「ほら見なさい。これ私のでしょ。勝手に持ってかないでよ」
「ち、ちがうもん! それだったもん!」
必死に否定する翔太を尻目に、涼子はタオルを広げた。水色の縞模様の片方の端にひまわりの柄が大きく描かれている、涼子のお気に入りだ。
「これは私のでしょ。それともさぁ、翔太は男のくせに花柄模様のタオルを使うのぉ? 男のくせにぃ」
涼子はニヤニヤしながら弟を責め立てた。折り畳んでいたので花柄だと知らなかった翔太は、迂闊だったことを後悔しつつ弁解した。
「ちがうもん! お母さんがまちがえたんだもん!」
「お母さんのせいにしてる! 自分が勝手に取り替えたくせに」
「ちがうもん! お姉ちゃんのバカァ!」
顔を真っ赤にして怒る翔太。そんなことなど気にも止めずに、涼子は翔太のバッグの中を漁った。そして、四角い紐付きの板……命札を取り出した。予想通りそこには涼子の名前が書かれていた。
要するに、翔太は涼子が使っている新しいタオルの方を使いたくて、こっそりそれを自分のバッグに入れたが、その際に涼子の命札も一緒に入れてしまっていたのだ。その際のゴタゴタで、自分のはテーブルの下に落としてしまったことには気付かなかった。
「何をやってるの! 早く学校に行きなさい。遅刻するわよ!」
真知子がやってきて子供たちを叱った。涼子と翔太は慌てて登校していった。
プールの授業は四時間目で、昼前の暑い時間帯だけにプールに入るのが楽しみでならない。三時間目の授業が終わったら、早速仲のいい子たちと荷物を持ってプールに向かった。
途中、悟たちの仲間であり公安チームのメンバーである、横山佳代が、数人の同級生と楽しそうに話しているのを見かけた。こちらには気が付いていないようで、涼子もあえて声をかけなかった。
佳代とは仲のいい友達のひとりだったはずだが、加納の正体が発覚した後以降は疎遠になってしまった。学級が違うのもあるだろうが、それでも、ここまで疎遠になるのもちょっと悲しかった。佳代が涼子をどう思っているのかはわからない。しかし、同じ仲間の矢野美由紀なども同じように疎遠ならしく、因果のことからは距離を置きたいのかもしれなかった。
「涼子、どうしたの? 早く行こうよ」
同級生の女子が、涼子が呆然としているのを見て言った。
「うん、ごめん。すぐ行く!」
涼子はとりあえず佳代のことは置いておくことにした。
涼子は更衣室に入ると、荷物を棚に置いてすぐに制服を脱ぐ。下に着ていたので、すぐに水着になった。制服は畳んで棚に置いた。涼子と同じように着たまま登校している子も多く、みんなさっさと着替えを済ませて更衣室から出てくる。
出てくると、とりあえず男女で整列する。これはどうしてかというと、プールに入るには事前にやらなければならならないことがあった。
今はないプールがほとんどだそうだが、腰洗い槽とシャワーである。これがなかなかに冷たく、結構辛い。しかしこの修行を終えないとプールには入れない。まあ辛いとはいえ、キャアキャア言いながら楽しそうに通過していくわけだが。
通過すると、プールサイドの片隅に命札を並べて集合である。担任の斉藤から、注意事項や今日の授業内容などの話を聞いてようやくプールに入れる。
今日は二十五メートルのクロール競走をやった。涼子は水泳は得意だが、同級生には同じく水泳を得意とする子もおり、一番にはなれなかった。特に、スイミングスクールに通う矢野美由紀は速い。元々運動が得意なのもあるが、余裕の一位だった。
授業が終わると、これも廃止されているそうだが——目を洗って、命札を忘れずに持っていく。そしてシャワーを浴びたら着替えである。なんだかスッキリして気分がいい。
更衣室の中はてんやわんやである。みんなワイワイお喋りしながら着替えていく、涼子も体を拭いて、持ってきていた下着を穿いて制服に着替えた。水着は搾ってタオルと一緒にプールバッグに放り込んだ。
そこに近くで着替えていた富岡絵美子が話しかけてきた。
「ねえ涼子、競争おしかったね」
「あはは、さすがスイミングスクール。やっぱり速いわ」
「わたしもさぁ、ミーユみたいにスイミングスクールに行こうかなあ」
絵美子が言った。そんな絵美子の後ろから矢野美由紀がニヤニヤしながら顔を出した。
「いいよ。一緒にやろうよ。楽しいよぉ」
「えぇ、ほんとぉ」
そんなとき、女子の誰かが入り口の引き戸が少し開いているの気が付いた。そして、その隙間に人影を見つけた。
「あぁっ! 男子がのぞいてる!」
大声で叫ぶと、更衣室内の女子たちは騒然となった。
涼子も言われるまで気がつかなかったが、確かに隙間から影が見えた。
すでに着替えた涼子の友達、太田裕美がすぐさま更衣室から飛び出したが、そこには数人の男子が楽しそうに雑談していた。
「ちょっと、さっきのぞいたでしょ!」
裕美はその男子に怒りをぶつける。しかし、その男子たちは「はぁ?」という、何言ってんだ? とでも言いたげな反応だった。
「知らないよ。ぼくらずっとこっちにいたのに」
その男子は、自分たちは更衣室の方にはいなかった、と言った。正直なところ、その男子たちは覗きをするようなヤンチャなタイプの子ではない。
「ウソばっかり! 白状しなさいよ、やらしい!」
「そ、そんな……知らないって! せ、先生ぇ、太田さんが!」




