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純世

 翌日の午後、祖父母宅を出発し、今度は藤田の祖父母宅――智之の実家に向かう。それぞれで一泊づつする予定にしている。

 叔父の哲也たち一家も来ているはずで、涼子は仲のいい、いとこの藤崎知世と会うのが楽しみだ。それともうひとり会いたい人がいる。


「かわいい!」

 涼子は、スヤスヤと眠る知世の妹を眺めて言った。

 藤崎哲也、弘美夫妻に去年生まれた女の子。藤崎純世と名付けられた。「すみよ」と読む。

 その愛くるしい姿は、完全に親戚たちのアイドルだった。

「すみちゃんか。ともちゃんは妹ができて嬉しかろう」

「うん! すみちゃんね、わたしのいもうとだもんね!」

 知世は嬉しそうに主張する。知世は、純世が生まれる前から、とても楽しみにしていたようで、弟か妹が生まれたら、こうやって教えてあげるんだ、とか一緒にこれをやるんだ、とか両親に頻繁に話していた。

「……ははは、それにしても哲也。お前に似なくてよかったな」

「おいおい、そりゃないよ。って、まあ一理あるけどなあ……」

 哲也はそう言って苦笑した。

 父親似で瘦せぎすな敏行と違い、哲也は角ばった体格で背も低く、ぽっちゃりな母親似である。割とゴツめに見える哲也に似るのは女の子としては厳しいかもしれない。もっとも、後年知世もそうだが、ぱっちりした目元は父親に似てくるが。体型はスレンダーな母親似だったりする。


「ともちゃんはいいなあ。妹かあ」

 涼子は知世が羨ましかった。翔太はどうもわがままだ。妹なら大人しく可愛らしいに違いないと考えていた。実際はそんなことはないが、隣の芝は青かった。

「翔くんがいるじゃない。涼子ちゃんはおとうとだねぇ」

「弟はダメなんだよね。うるさいし、わがまま」

 ため息交じりに、「ヤレヤレ」とでも言わんばかりに弟への愚痴こぼした。

「うぅん、それはおとうととかじゃなくて……」

「そんなことないって。翔太のわがままっぷりは困ったもんよ」

「そうなの?」

 知世は不思議そうな顔をして、涼子の顔を見た。

「うん」

 涼子は翔太のダメな部分を少々盛って話した。しかし知世はやっぱり、それは弟がではなく、翔太の性格の問題だろうと考えた。そして、涼子がわざと大げさに言っていることも、大方気がついていた。

「でもきっと翔くんも、涼子ちゃんのこと大すきだとおもうよ。だってきょうだいだもの」

「でもねえ……」

 涼子はまだ同意できないようだ。確かに可愛い弟でもある。それは認める。しかし涼子は、前の世界の未来では翔太と仲がよくなかった。自分や母親の苦労など無視して好きなように生きていたのだ。

 翔太がこのまま成長して、どうなるかはわからない。しかし、性格ってそんなに変わるものなのか? 両親が健在のこの世界でも変わらないんじゃなかろうか、そう思っている。

「ともちゃん、涼子ちゃん。お餅が焼けたわよ。いらっしゃい」

 知世の母、叔母の弘美がふたりを呼んだ。

「はぁい、おかあさぁん――さとうじょうゆよぉ。わたし、さとうじょうゆがいいの――」

 知世は、母の声のする方へ行ってしまった。餅は砂糖醤油が好きならしい。涼子も焼き餅なら砂糖醤油がいい。

「私も砂糖醤油がいい――」

 涼子も知世の後を追った。


「ほら、涼子ちゃん。よう噛んで食べられぇ。まだたくさんあるからねえ、いっぱい食べんとね」

 祖母がニコニコしながら餅を勧める。涼子は三つ目をもらって食べる。

「アチチッ!」

 思いのほか熱かったため、思わず口に入れた餅を吐き出してしまった。挙句にそれが座っていた腰の辺りに落ちて、着ていたトレーナーとズボンを砂糖醤油で汚してしまった。

「ほら、慌てて食べるから……」

 真知子はすぐに涼子の落とした餅を拾い上げて、余りの皿に置いて避けた。そして、祖母が持ってきた布巾で、服の汚れたところを拭いている。

「涼子ちゃん、大丈夫? 口の中痛くない?」

 叔母の弘美は、少し心配そうに涼子の顔を覗き込んだ。

「大丈夫! お母さん、まだお餅食べる」

「ちょっと待ちなさい。もう少しで焼けるから」

「ほら、涼子。おじいちゃんのを食べるか。わしゃあ、一個食べたら腹が膨れてのう」

 祖父が最初に分けられたふたつのうちの、箸をつけていない方を涼子の皿に置いてやった。

「おじいちゃん、ありがとう!」

 涼子はもらった餅に砂糖醤油をつけて頬張る。これは焼いて少し経つので冷めてはいないが、全然熱くなかった。

「美味しい!」

 涼子が嬉しそうな顔をしていると、翔太も欲しくなったらしく、

「ぼくもほしい!」

 と焼いている途中のを取ろうとした。

「翔太、危ないから取ってもらえ」

 敏行が翔太を阻む。

「翔くんにはおばあちゃんのをあげるわね」

 祖母が、夫と同じように自分の皿にあった食べていない方を、翔太の皿に置いてやった。

「わぁい! オモチ!」

「義母さん、すいません。翔太ったら意地汚いんだから」

「そんなことないわぁ。翔くんは男の子だもんねえ。いっぱい食べて大きゅうなるんよ」


 少し離れたところで純世を見ていた哲也が純世を抱えたままやってきた。

「いい匂いだねえ。俺もそろそろ食わせて欲しいな」

「純世は私が見るわ。ほら」

 弘美は夫から娘を渡されて、少し離れたところに連れていった。

「いやあ、美味そう。――知世、その箸ちょうだい」


 餅を食べた後は、みんなまた純世の周りに集まってきた。

 涼子は純世を見て、不思議に思っていた。自分の知らないいとこだ。この子がどんな大人になるのだろう、それは想像もつかない……はずだった。

 ふと涼子の頭に、ひとりの女の子の姿が思い浮かぶ。


「わぁ、涼子お姉ちゃん、すごい! 本当に東大生なの?」

 小学生の女の子は、高校生と思われる涼子に驚きと感嘆の声をあげた。

「そうよ、春から東大ね」

「東大ってすごく頭がよくないとダメなんでしょ。百点ばっかりで」

「うふふ、そこまでじゃないわ。それに私も小学校の頃は百点ばっかりじゃないのよ」

「えぇ! ウソぉ、でもお姉ちゃんすごく頭いいのに! ホントにホントォ?」

「あはは……そうよ」

「こらこら、純世。涼子ちゃんを困らせないの」

 高校生くらいと思われる女の子が……この子は、知世?


 ――! 純世……純世? 私はやっぱり純世を知っている? これも本来の自分の記憶なの? じゃあやっぱり、すみちゃんは元からいたはずだった――。

 涼子は最近、本当に元々は知らないはずの記憶を思い出すことが増えた。

「涼子ちゃん、どうしたの?」

 知世が不思議そうな顔をして涼子の顔を覗き込む。先ほどの、高校生の知世の顔と今の知世がだぶる。

「あ、ああ――いや、何でもないよ」

「ふぅん」

 今年、自分はどうなっていくんだろう? 涼子は楽しそうに純世を見ている裏で、分かっているはずの未来に不安を拭えずにいた。

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