Tale3 影喰い
中央広場は盛況だった。
陽もかたむき、長い影を持つ冒険者たちであふれかえっていた。
その群れのなかに、ひときわ豪華な装備の女がいた。赤い竜騎兵の衣装。つばの広い帽子に白い羽飾りが映えていた。一目で特注だとわかるアバターだった。凛とした目鼻立ち。腰まであるブロンドの髪。最近流行りの乱雑なサイドヘアーが、夕風にゆれていた。
アリスだった。
テールは彼女のまえに立ち、堂々とこう告げた。
「イルマさんから伝言だよ。酒場にいて、すこし遅くなるってさ」
アリスは主人公然とした調子で、
「きみは何者だ?」
とたずねた。
テールは、
「酒場でイルマさんに会ったんだ」
と、とぼけた答えをかえした。
「何者だ、とたずねているのだが?」
「フェアリー・テール」
アリスは、ととのった眉をもちあげた。
「おとぎ話……か。変わった名前だ」
「きみたちも変わってるね。エンテレケイアは、完全な現実を意味するギリシャ語だ」
テールのかえしに、アリスはオヤっという顔をみせた。
「ずいぶんと学があるな」
「なぜそのチーム名に?」
「社会で成功する秘訣は、現実を直視することだろう」
テールは笑わなかった。
むしろしたたかだな、とさえ思った。
「この街の住人か?」
「今回のクエスト参加者さ」
「フェアリー・テールという名前は、聞いたことがない」
「それは無名の冒険者に対する、トッププレイヤーのあてつけかい?」
アリスはこの返答に怒らなかった。
上位者の余裕なのだろうか、彼女は仲間の男へ顔をむけた。
「ウォーガン、イルマはまた酒場らしいぞ」
ウォーガンと呼ばれた男は、精悍な武闘派キャラだった。右目に眼帯をして、銀色の髪を短く刈っていた。顔立ちはやや老けていたものの、かえって歴戦の勇者をおもわせた。左のほほに傷があった。アバターの作り物なのか、それとも実戦のダメージを記念に残したものなのかまでは、判然としなかった。
テールはこの男を知っていた。アリスのチームメイトで、肉弾戦の担当だった。彼は巨大なハンマーの手入れをしながら、
「あいつの酒ぐせは、サーバのリニューアルで治せないのか」
と返した。
アリスは腰に手をあてて笑った。
「電脳治療というやつか……おい、フェアリー……いや、テールのほうがいいか? どちらがファミリーネームのつもりだ?」
「どちらでも。ただ、テールと呼ぶひとのほうが多いかな」
「テール、きみのチームはどこだ? ひとりということはあるまい?」
テールはおおげさに肩をすくめてみせた。
「オシリスっていうチームに悪さをされて、全滅しちゃった」
テールはアリスの人脈に賭けた。
この賭けは成功した。
「そうか、あいつらは手グセが悪かったからな……ちょうどいい。イルマが帰ってくるまで、野営の手伝いをしてくれ。多少のこづかいは出す」
日が沈むにつれて、冒険者たちは続々と、街に流れこんできた。
住人のいない建物を、好きなように占拠していく。
彼らはみな中央広場に立ち寄って、アリスにあいさつをした。
「アリス、今回もよろしく頼むぜ」
「アリス、すこしは俺たちにも見せ場をくれよな」
「アリス、このクエストが終わったら、俺は引退することにしたよ」
すべては彼女を中心にまわっていた。なんの相談もなく、リーダーは彼女だった。チームの配置を決め、アイテムを分配し、ときにはケンカも仲裁した。街が夕焼けに染まるころ、彼女の衣服はその赤にとけて、白い肌をかがやかせていた。
テールは雑用にこき使われた。そのすべてを忠実にこなす。最後のおつかいから帰ってきたとき、市壁のむこうの残照も、いよいよ消えかかってきた。テールは中央広場にのこり、夕餉の時間をすごす。
トップグループのチームは市庁舎に、それ以外のチームは民家に入った。ごく少数の冒険者たちは、野営をわりあてられた。アリスの人選はみごとだった。野営には、ランキングの低いチームか、社交が好きでない志願者が選ばれた。
テールも野営組にまわされた。信用されていないな、と思った。
アラビア風の衣装をまとった男が、よつんばいになって、ふぅふぅと種火を吹いていた。
「チェッ、せっかくの記念クエストが、屋外で炊事とはな」
男は舌打ちをしながら、もういちど種火を吹いた。
夕食は簡素だった。だれかが持ってきた携帯用のパッケージをわけあって、それを食した。焚き火を数人で囲む。それが広場に点々とひろがっていた。
市庁舎の窓からもれる明かりは、そこに別世界があることを物語っていた。さかずきを酌みかわす人影が、ちらほらとみえた。市庁舎の大時計が、じっと広場をみおろしていた。
テールの焚き火には、ウォーガンも同席していた。パーティーは好きじゃない──それが彼の言い分だった。しかしその場のメンバーは、彼を監視役とみなしていた。
炊事係だったアラビア風の男が、ふいにウォーガンの肩をつかんだ。すこし酔っているようだった。ウォーガンは眉ひとつ動かさなかった。
「ウォーガンのだんな、一杯やりませんか?」
「遠慮しておこう」
「へへ、あんたの腕まえなら、多少酔ってても問題ないですよ」
男は銀杯に酒をそそいだ。どちらも民家から盗んできたものだった。
男はさかずきを手渡そうとした。ウォーガンは受けとらなかった。
「だんな、そうケチケチせずに。ガキのパーティーじゃないんですぜ」
「VRMMOをプレイしている時点で、俺たちはガキみたいなもんだ」
男はおもしろくなさそうな顔をした。酒はじぶんで飲み干した。
となりに座っていた女の魔法使いが笑った。
それがまたおもしろくなかったのか、男はふてくされて二杯目をついだ。
そんな光景をしりめに、ウォーガンはテールに話しかけてきた。
「さっきは名前を聞きのがしてしまった。俺はウォーガンだ。きみは?」
「フェアリー・テール」
ウォーガンは、
「おとぎ話か……それもいい」
とつぶやいた。
炎がゆれる。ウォーガンの黒い眼帯さえも、うっすらと赤みをおびた。
彼は、ゆっくりと語り始めた。
「ひとつ、俺の好きなおとぎ話をしてやろう。むかしむかし、カンブリアという名のテストサーバがあった。あらゆるVRMMOの元祖だ。そのサーバには、おとぎの国という小さな記憶領域があった。そこにひとりのプログラマーがいた。テスターだった彼……あるいは彼女は、転送事故で人格が固着し、二度と現実世界へもどれなくなってしまった。いまでは肉体をもたないゴーストとなって、暗殺者ごっこをしているそうだ。そいつの名は……」
ウォーガンはその場の視線を一身にあつめたまま、しばし間をおいた。
「黒頭巾という」
炎がゆれる。すこしずつかたちを変えて。
神妙になった女の魔法使いは、キセルをふかした。
妖艶なポーズで、じぶんの語りを始めた。
「あたいが聞いた話は、ちょいとばかりちがうね。黒頭巾はAIなんだよ。だれが開発したのかはわからない。けど、自我を持っちまったのさ。もともと保管されていたサーバを抜け出して、あちこちのVRMMOをさまよってるってうわさだよ」
対面の若い狩人が口をはさむ。
「どっちも非現実的だな。俺が聞いた話によれば、黒頭巾は大国の電脳スパイで、VRMMOの諜報活動をしてるんだ。いかにもありそうだろ。今の電脳世界は、やりたい放題だからな。政府に都合の悪い連中を、黒頭巾はこっそりと始末しているのさ」
ふと背後で、小枝の折れる音がした。
冒険者たちは身をすくめ、そちらをふりかえった。
一匹の黒猫が、さっと闇夜に消えた。
ウォーガンが身じろぎもしなかったことに、テールは気づいていた。
そしてウォーガンもまた、テールの観察に気づいているようだった。
手強いな、とテールは思った。ウォーガンには隙がなかった。
酔っぱらったアラビア風の男は、急に立ちあがった。闇に石を投げる。
「チェッ、おどかすな」
魔法使いが注意する。
「ビビりすぎよ」
「ビビってなんかねぇよ……だけどな、影喰いがどういうモンスターか、俺たちは知らされてないんだ。猫のかたちをしてたらヤバいだろうが」
魔法使いは、もういちどキセルをふかした。
男は気がおさまらないらしく、酒瓶をラッパ飲みした。
口もとをぬぐう。なにやら言いかけたかと思うと、急に瓶を落とした。
魔法使いの顔に、液体がふりかかった。
「ちょっと、なにやって……」
テールとウォーガンが動いたのは、ほぼ同時だった。
男は首から血を吹き、地面にたおれた。
魔法使いは、液体の正体が血しぶきだと気づき、悲鳴をあげた。
しかし彼女を気づかう者など、この場にはいなかった。
焚き火の炎が、異形の怪物を照らしていた。おとなの背丈ほどもある、植物型のモンスターだった。黒い薔薇の頭部。その花弁の奥には、獲物を丸呑みにするための穴がみえた。紫水晶を核にして、からみあったいばらがボディをかたちづくっていた。そこから伸びた四本の太い枝が、手足の代わりになっていた。どの枝にもナイフのようなトゲがあり、その一本には血がついていた。
怪物は死体のそばで、ゆらゆらとゆれていた。
「影喰いだ!」
だれかがさけんだ。若い狩人は弓をひく。
影喰いの右腕がしなって、弦を切断した。返す刀で狩人ののどを掻っ切った。
数人の魔法使いがかけつけ、一斉に炎をはなった。
いばらと花弁が燃えあがる。
植物型モンスターに対する、経験者たちのとっさの行動だった。
影喰いは薔薇の花弁をひらき、おぞましい大口をあけた。
周囲の闇が、奇妙にゆがんだ。
「や、闇を喰ってるぞ!」
そうさけんだ男の魔法使いは、首をはねられた。
影喰いのからだから炎が消えていく。あたりはパニックになった。
やみくもに矢と魔法がとびかい、そのいくつかは影喰いに命中した。
しかし効果はなかった。はずれた攻撃で、相打ちになる冒険者もいた。
市庁舎からアリスが飛び出してきた。
広場にむかって号令をかける。
「ひとまず散開しろ!」
冒険者たちは散り散りになった。
影喰いはそのなかから、不幸な犠牲者をえらんでいく。
悲鳴、罵声、喧騒。
テールとウォーガンは、ひと足早く広場を離脱していた。路地を駆けぬける。
左右の家屋から、明かりがもれていた。それが足もとを照らしてくれた。
ウォーガンは屈強な走りをみせながら、うしろを確認した。
「闇を吸収してエネルギーにするタイプだな」
テールもおなじ意見だった。
「回復液のなかで戦うようなものだね。アリスには勝算があるの?」
テールの質問に、ウォーガンは反応しなかった。
ひたすらに路地を突き進む。
テールは、
「この道はどこに続いてる?」
とたずねた。
「教会だ。そこにも広場がある」
「それがボクに対する罠ってわけかい?」
ウォーガンは足をとめた。
テールもぴたりととまる。
ふたりのあいだには、わずか数歩の間合いができた。
「……なんの話だ?」
「この路地の住人たちは、そろいもそろって消灯を忘れたようだね」
窓の明かりは、まるで誘導灯のように、街路の奥へと伸びていた。
ウォーガンは、背中の大槌に手をかけた。
「あからさますぎたか……おまえがアリスの命をねらう殺し屋だな」
「それはだれから聞いたの?」
「答える義務はない」
「ぬれぎぬだって答えたら、信じるかい?」
ウォーガンは大槌をかまえた。
静寂──ものかげから黒猫がとびだした。
それが合図となり、ふたりは交差した。
ウォーガンがふりかざした大槌は、テールの立っていた場所を正確にぶちぬいた。
石だたみがはじけとび、窓ガラスが衝撃でわれた。
「……?」
ハンマーの跡だけがのこっていた。テールは消えていた。
死体どころか、血痕すらなかった。
「ここだよ」
頭上から声が聞こえた。ウォーガンは夜空をみあげた。
月光を背に、テールは彼をみおろしていた。三階建ての屋根のうえだった。
「このサーバの設定で、そこまでは跳べないはず……補助魔法型なのか?」
テールは無言で飛び降りた。
着地点の石だたみが、やわらかに波打った。
トランポリンで跳ねるように、テールは空中曲芸を披露する。
「ア、アーキテクチャ干渉能力……まさか!」
ウォーガンは唖然として、身をふるわせた。
テールは固い地面に着地し、かるくタメ息をついた。
「おじけづいてくれた……ってわけじゃないようだね。武者ぶるいかな」
ウォーガンは苦笑した。
「感動してる……三〇〇勝目のあいてが、黒頭巾とはな。ようやく本気で戦える」
「イカサマは戦績にカウントするものなのかい?」
ウォーガンは口を閉じた。
テールは闇をみつめながら、
「本気のゲームを始めよう」
とつぶやいた。
ウォーガンは大槌の柄で、地面をたたいた。
ちらばっていた瓦礫が、宙にうかぶ。不自然なうかびかただった。
テールは地面に手をふれ、粘着床に変えた。からだを固定する。
その刹那、瓦礫は猛スピードで、ウォーガンのほうに飛んだ。
一個のガラス片が、テールの頭巾を切り裂いた。
「そのハンマー、重力金属だね」
「俺をただの物理系だと思ったなら、おおまちがいだ」
テールは粘着床を解除した。銃をとりだす。
ウォーガンは大槌を持ちあげて、ポンポンとじぶんの肩をたたいた。
「なるほど、飛び道具もあるのか。だが……」
テールは引き金をひいた。
銃声。それにつづいて、金属のぶつかりあう音がした。
弾丸はハンマーに引きつけられ、磁石のようにくっついていた。
「どうやら俺とは、相性が悪いようだな」
その瞬間、弾丸が爆発した。
あたりに炎と煙が舞う。
テールはその場で待機した。イヤな予感がしたからだ。
そしてその予感はあたった。炎と煙は収縮し、ハンマーに吸い込まれていく。
視界が晴れた。ウォーガンは衣服のそでで、鼻と口をおおっていた。
彼はしばらく息をとめ、それから大きく呼吸した。
「ふぅ……魔弾か。毒でも効かせてあったんだろう。三段構えってわけだ」
「……」
「もう一段あるか? ……ないなら、俺の番だ!」
ウォーガンは大槌を一回転させ、テールに襲いかかった。
重力でテールのからだが浮く。
ウォーガンの突進とハンマーの重力。加速度的に距離が縮まる。
「英雄は俺だ!」
突然、近くの家屋がくずれた。
壁を突き破り、巨大な触手がウォーガンのまえに伸びた。
ウォーガンは間一髪のところでそれをよけ、大槌でつぶした。体液がとびちり、重力に吸収された。ちぎれた触手は、地面で気味の悪い音をたてた。それは薔薇の枝に似ていた。
くずれた壁のむこうから、黒い花弁がのぞいた。
「か、影喰い!」
ウォーガンはうしろに跳躍し、距離をとった。
広場でみたときよりも、ふたまわり大きくなっていた。成長しているのだ。
影喰いは花弁をひらき、闇を吸い始める。
ウォーガンがつぶした触手は、すぐに再生した。
三つどもえ──テールは態勢を立てなおし、フードのほこりをはらった。
「さっきの煙幕は、魔獣寄せのフェロモンだよ」
ウォーガンはこの説明を無視した。
視線を交互に走らせる。
その仕草をみて、テールは銃をかまえなおした。
「そのようすだと、影喰いの弱点を知っているのはアリスだけかな……っと」
回復した触手が、テールへ水平に斬りかかった。
テールはそれを回避し、壁に貼りつく。
スルスルと屋上へよじのぼった。粘着床の応用だった。
テールは夜風に吹かれた。足もとでウォーガンがにらんでいた。
うらめしそうなまなざしではなかった。どうやってこの場を切りぬけるのか、それを真剣に考えているようだった。
いっぽう、テールも難題をかかえていた。
(依頼内容は、エンテレケイアのグランドスラム達成……ボクが影喰いを倒すわけには、いかないんだよね……かといって、ウォーガンをアリスと合流させるのもマズい……)
テールの懸念は的中した。
ウォーガンは影喰いと格闘しつつ、路地の奥へと移動し始めた。
テールもあとを追う。屋根をスプリング床に変えて、建物から建物へと飛び移った。
そのときウォーガンにむけて、何発か試し撃ちをしてみた。
弾は重力に引きこまれ、すべて不発に終わった。
ウォーガンは大槌を駆使して、影喰いの触手をつぶす。そのたびに闇を吸い込み、影喰いは大きく育っていった。攻撃範囲もひろがり、テールにも触手がとんだ。
テールはウォーガンの作戦に気づいた。
(影喰いを巨大化させて、この場を混乱させる気か)
怪獣映画のようなワンシーン。触手がうごめくごとに、家屋がくずれていった。
薔薇の頭部から、うなり声も聞こえてきた。
いよいよ十分とみたのか、ウォーガンの行動が変わった。
影喰いをうまく利用して、テールの視界から消えたのだ。
テールは、となりの建物に飛び移ろうとした。
影喰いの触手がそれをさまたげた。
(このままだと見失うな……逆用させてもらおう)
テールはフードのなかに手を入れ、右耳のイヤリングをはずした。
親指で垂直にはじく。イヤリングはブーメランに変形した。
テールはそれを左手でキャッチし、銃口を影喰いの触手にむけた。炸裂弾を撃ち込み、炎上させる。触手全体に火が回ったところで、テールはブーメランを投げた。それは弧をえがいて飛行し、燃えあがった触手の根元を斬った。
かわいた音をたてて、触手が自重で折れた。
テールは照準をおろす。影喰いの足もとから、ウォーガンが飛び出してきた。
銃声。
テールはもどってきたブーメランを、左手でキャッチした。
屋根から飛び降りる。火の粉が舞う幻想的な夜道を、テールは疾走した。
ちいさな花屋のそばで、ウォーガンはあおむけに倒れていた。
テールに顔をむけ、左目をひらいた。
「ど……どうして、当たるタイミングが……?」
「落下物をさけるには、重力をオフにするしかないからさ」
ウォーガンは引きつった笑いをみせた。
「い、イカサマなしの戦績が〇勝一敗……とは……な……」
ウォーガンは血をはき、そのまま絶息した。




