第三十七話 助けてあげる
暴れる少女を押さえつけ、トン、と額を合わせる。
―――唐突に、ぶわり、と周りの景色が変貌する。
最初に感じたのは、匂い。
苔の匂いと、腐った肉のような匂いが混ざった、吐き気を催す匂い。
う…吐きそう。
「「「…………。」」」
私の目に飛び込んできたのは、いくつも並ぶ鉄の檻。
少し錆びついてはいるが、きちんと檻の役目を果たしているようだ。
そしてその檻の中には、何人もの人が折り重なるようにして積み上げられている。
これは、死体だ。
だいぶ腐敗しているようで、鼻の曲がるような匂いを発している。
おそらく、この腐った肉のような匂いは、彼らから発せられた匂いだろう。
その他の檻の中には5人ほどまとめて人が放り込まれている。
全員どこかしらには怪我を負っていて、包帯が巻かれている。
着ているものもボロボロで、あまり食事をしていないのだろう、頬はこけている。
大体の者が何も言わず座っている中、数人が眠るように苔の蒸した石畳に寝そべっている。
おそらく、病気になったのだろう。この環境で病気になるのはさほどおかしいことではない。
石畳は固そうで、寝心地が悪そうな上に、衛生環境も悪い。
最悪な環境だな。
ここまで確認した私は再び辺りを見渡し、やがて一人の少女を見つける。
「あの子か。」
私はそうポツリと呟き、その少女に近づいていく。
その少女は他の者達と同じく、痩せこけ、足と手に包帯を巻き、手枷を付けられている。
ボサボサで傷んでいる髪は薄汚れてはいるが、おそらく綺麗なオレンジ色だったのだろう。
落ち窪んでいる瞳は新緑を思わせる黄緑色をしているが、その目には光がなく、幽霊のようだ。
……この子が、あの悪魔の核となっている子だ。
「……こんにちは…。」
私は、比較的優しめな声を心がけつつ、少女に話しかける。
だが、声をかけられたことに気がついていないのか、少女の視線はただ虚空を見つめるばかりだった。
もしかして、耳が、聞こえていない?
奴隷として扱われる子どもたちの中には、泣き喚かぬよう、喉を潰したり、耳を聞こえないようにされた子供も多くいるそうだ。
……。よし。
「…こっち、見て。」
すっ、と顔に手を伸ばす。
流石に気づいたのか、びくり、と少女も反応する。
そして、のろのろとこちらを向いた少女は、驚いたように目を見開いた。
「…か、み…さ………ま…?」
かみさま……神様、か。
「……ん。ちょっと、違うけどね。」
今は、セイント・セージャーの中にいるからね。
神・オースティング・ガーバナーでもなく、フォレスト王国第二王女、マーヴィリー・フォレストでもない。
『神の御子』、だ。
神の御子は、私が創り出した器の一つだ。
人の世では神の御子は一人で、常に居ると言われており、神が遣わした聖女だとか言われているが、その実態は神の権能である森羅万象を少し使えるように人間を改良した“門”だ。
門、といっているのは、私が人間界に干渉するためのゲートのような役割を担っているからだ。
まぁ、今回私が人の世に現れるにあたって、ほんとうの意味で私の魂の器になる存在を創ったわけだが…。
今代の神の御子が例外であるだけだ。
「……君を…君たちを、助けに来たんだよ。」
「……!」
ますます驚いたように目を見開く少女。
ただ、その瞳に光を宿すことはない。…ここから逃れるのが無理だと、思っているのだろう。
確かに、ここには彼女のような子供が逃げるには障害が多すぎる。
そう思うのも無理はない。
ただ、私にかかればここから逃げることは容易い。
なにせ、神の御子だから、ね。
「大丈夫。
全員、きちんと。助けてあげるから。」
だから、この手を取って、と。
私は少女の前に手を差し出した。




