第十七話:秘書の忠告と本気の証明
カエサル公爵とアメリア妃が北方の城塞に戻って数週間後、カエサル公爵の行動は明らかに変化していた。昇降機テロは激減し、代わりに彼は、アメリアの作業に邪魔にならないよう静かに書庫に入り、彼女の修復作業を「美の維持の試み」として観察するようになった。
ユリウス・ローラン男爵は、王都と城塞を往復する中で、この異常な「静寂の愛」がヴェルサイユ公爵にもたらした影響を分析していた。そして、ユリウスは、この変化が公爵にとって、単なる**「飽きないゲーム」から「予測不能な真剣さ」**へと移行しつつあることを感じ取っていた。
ある日の夜、公爵専用の執務室。カエサルは、書斎の暖炉の前で、いつもより数段簡素な衣装で酒を飲んでいた。
ユリウスは、その日の公務報告を終えた後、書面を整然と机に置き、深く息を吸った。
「カエサル様。公務報告は以上でございます。つきましては、秘書として、そして幼馴染として、一つお尋ねしたいことがございます」
「なんだ、ユリウス。私が、私自身の美しさに耽溺している夜に、貴様はまた俗世の雑音を持ち込むのか」カエサルは、グラスを揺らしながらも、ユリウスに目を向けた。その瞳には、かつての冷たい傲慢さだけでなく、どこか内省的な翳りが見えた。
「雑音ではございません。公爵家の将来に関わる、極めて重大な懸念でございます」ユリウスは、声を一段と低くした。
「最近、公爵様の行動パターンが変化しております。アメリア様への『愛のテロ』が、『静寂の尊重』へと移行しました。昇降機を使わず、扉からノックをして入られること。アメリア様の作業を邪魔しないよう、静かに隣に座られること。これらの行為は、公爵様のこれまでの美学と支配欲に反しております」
ユリウスは、あえて核心を突いた。
「そして、最も不可解なのは、公爵が、アメリア様から**『貴方の美しさは知性の材料』**といった、賛美とも皮肉ともつかない言葉を浴びせられても、激怒するどころか、満足されている点でございます」
カエサルは、グラスをテーブルに置き、初めてユリウスを正面から見据えた。
「貴様は、私がアメリアに飽きたとでも言いたいのか?」
「いいえ。全く逆でございます」ユリウスは断言した。「カエサル様は、アメリア様によって、ご自身が予測できなかった感情を抱かれ、困惑しておられる。そして、その感情を**『私の美の哲学の新たな探求』**として、正当化しようとしておられる」
ユリウスは一歩踏み出し、深く頭を下げた。
「カエサル様。貴方は、本当にアメリア様を愛してしまわれたのではありませんか?」
カエサルの顔が一瞬、硬直した。彼のナルシシズムという完璧な鎧に、ユリウスの言葉が、小さな亀裂を入れた。
「馬鹿なことを言うな、ユリウス。私が愛しているのは、私自身だ。アメリアは、私が私を愛することを、最高に刺激してくれる道具に過ぎない」
「道具であれば、彼女を支配し、彼女の静寂を破り続けるはずです。しかし、貴方は今、彼女の心を、彼女の夢を、尊重し始めておられます。それは、道具に対する行動ではありません」
ユリウスは、静かに、しかし情熱を込めて忠告した。「アメリア様は、貴方の孤独の哲学を理解しました。そして、貴方もまた、彼女の引きこもりという逃避の裏にある純粋な情熱を、美しさとして見始めておられる。これは、愛です。公爵様、貴方は、自分自身と同じくらい、彼女の存在を大切に思い始めている」
カエサルは、言葉を失った。彼は、ユリウスの言葉が、自分の胸の奥で響く強い鼓動と、完全に一致していることを自覚していた。アメリアが他の男に心を許したら、自分の美学が否定されるという恐怖は、もはや彼女を失う恐怖に変わっていた。
カエサルは、ユリウスから顔を背け、鏡に向き直った。
「ユリウス。私がアメリアを愛したとして、それがどうした。私の愛は、他の凡庸な男たちの愛とは違う。それは、私の美学であり、私の支配だ。私は、彼女の知性と孤独を、私の一部として永遠にコレクションするのだ」
カエサルはそう強がったが、ユリウスはもう騙されない。
「コレクションであれば、彼女の幸せを気にする必要はありません。公爵様、貴方は彼女に、静寂という名の幸せを与えようとしている。それが、貴方の本気の証明でございます」
ユリウスは、カエサルからの返答を待たず、静かに頭を下げた。
「私の危惧は、公爵様がアメリア様に飽きることではございません。公爵様が、アメリア様という予測不能な女性に、心身ともに支配されることでございます。どうか、その愛の実験に、公爵家の資産を全て注ぎ込まぬよう、ご自愛ください」
ユリウスはそう言い残し、静かに執務室を後にした。
カエサルは、鏡の中で、かつて見たことのないほど複雑な表情を浮かべる自分自身を見つめていた。彼の美のコレクションに、予測不能な愛という名の、最も危険で最も魅力的な、新たな要素が加わったことを、彼は初めて自覚したのだった。




