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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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第八章:3 こみ上げる想い

「だから主上(しゅじょう)が彼女を(まも)った事実を隠されると言うのですか」

「私は正義ではない。だが、何も知らない朱里(あかり)には自分を護る者がそんなふうに映ってしまう。これ以上朱里を迷わせるような態度を取ることはできない」


「ですが、朱里の気持ちを知っているのなら」

「朱里は、――朱桜(すおう)は私を愛していない。彼女の想いは黄帝に捧げられた。誰よりも黄帝を愛している。今は全てを失っているから、傍に在る私に対してそんな錯覚をしてしまうだけだ。だから、朱里がお前達に語った想いは真実ではない」


 淡々と打ち明けられる(はるか)の想いは深い。けれど、導き出されたのは、耳を疑いたくなるような完璧な否定だった。朱里は愕然としてしまう。


(私が、先生を好きじゃない?)


 朱里の胸の内に、強く反駁(はんばく)する何かがあった。


(違う、私は――、誰よりも)


 夢の中で繰り返していた心の叫びが蘇る。


(誰よりも闇呪(あんじゅ)(きみ)を愛していた。――今も、こんなに先生のことを想ってる)


 こんなにも。ごまかしようがなく。

 とめどなく込み上げてくる想いが錯覚である筈がない。刻み込まれた気持ちは、朱里の中で鮮やかに蘇っているのだ。間違えるはずがない。

 昔も今も、これが自分の真実の想いなのだ。


(私は黄帝なんて知らない。だって、夢の中でも全然好きじゃなかった)


「とにかく、朱里の想いは錯覚だ。これ以上有り得ない幻想を膨らませるわけには行かない。それでいずれ余計な呵責(かしゃく)を背負うことになるのは、彼女自身だ。私は彼女にそんな負担をかけたくない」

「ですが、朱里が……、姫君が黄帝を愛していると言った訳ではありません。朱桜の君が誰を愛していたのか。我々が彼女の真実を知らないだけかもしれません」


「彼女の想いは、言葉よりもずっとはっきりと示されていた。あの輝きが真実だ。彼女は相称(そうしょう)(つばさ)となった。天落(てんらく)(ほう)に身を任せる間際、おまえの目にも映っていた筈だ」


「それでも」

「麟華」


 まるで麟華を宥めようとしているかのように、遥の声は穏やかだった。朱里はいつのまにか(てのひら)を固く握り締めていた。飛び出していって叫びたい衝動を堪えることで精一杯になっていた。


 相称の翼。


 朱里は体が震えるのを自覚する。突然明かされた事実に戦慄を覚えるのは、それが遥を滅ぼす唯一の力であると知っていたからなのか。

 それとも、この胸に蘇る想いを完全に否定された衝撃なのか。


(違う、違う、違う――、私はずっと先生のことしか考えていなかった)


 強く刻まれた想い。渦巻いて心を責めたてるのは、痛いほど激しい気持ち。この想いが遥以外の誰かに向かっていくなんて考えられない。けれど、違うという想いが募るばかりで、どう違うのかを説明する(すべ)がない。遥が朱桜の――自分の想いを否定する理由が判らない。経緯(いきさつ)を知らない。中途半端な自分の立ち位置が、込み上げる気持ちの道筋を遮ってしまう。

 朱里は爪が食い込むほど、握り締める掌に力を込めた。知らずに唇を噛み締めてしまう。


(私の気持ちは錯覚なんかじゃない、絶対に)


 もどかしくてたまらないのに、伝えることを躊躇(ためら)ってしまう。遥を想う気持ちは真実なのに、断片的な光景(ゆめ)が自分の中で繋がらないのだ。

 朱桜(すおう)闇呪(あんじゅ)。姫宮。華艶(かえん)。黄帝。守護。相称の翼。

 散らばる断片。因果関係を辿ることが出来ない。


 全てが心許ない。何も知らない自分の無知さを呪いたくなった。はっきりとした輪郭を持たない障害が、朱里の行く手を阻む。想いを伝えられない悔しさに占められて、じわりと目頭が熱くなった。


(相称の翼なんて、関係ない。私は先生が好きで、……それだけが本当のこと)


 難しいことは何も判らない。成り行きなど知らない。

 ただ遥に信じてもらえないことが哀しいのだ。どんなに想っても、彼にとっては錯覚にしかならない。

 届かない。


「それでも、姫君が、……朱里が主上を好きになったのは事実です」


 まるで自分の想いを代弁してくれるかのように、麟華は怯まず言い募ってくれる。朱里は閉じられた扉に背を添わせて、響いてくる姉の声を聞いていた。


「私には、どうしても錯覚だとは思えません。何か、何か理由があったのではないかと……」


 姉の声が力なく掻き消えた。きっと麟華にも根拠がある発言ではないのだろう。朱里はもどかしさを振り払うように顔をあげる。


(私にとって、本当のことは一つしかない。判っていることも、一つだけ)


 どうしてそんなふうに感じたのだろう。けれど、朱里はここで伝えなければ後悔する気がしたのだ。

 遥と出会ってから、胸に芽生えた――あるいは蘇った想い。


 伝えなければいけない。

 反面、そんなふうに突き進む気持ちを阻むように、警告のように赤く点滅している危機感がある。


 伝えたい、伝えなければならない。

 訴える心を封じるように、明滅する警告。想いに突き動かされそうになる自分を止める声。

 伝えられない、伝えてはいけない。

 相容れない心が、朱里の中で渦巻いている。形にならないまま、確かに何かが在った。


(だけど、今は……)


 事情など知らない。今の自分には関係がない。まるで言い訳するように、朱里は自分にそう言いきかせた。動悸のする胸に手を当てて、深呼吸を一つ。

 今はただ、素直に蘇った気持ちに従いたかった。


 点滅する警告から目を背けて、朱里は覚悟を決めた。決意が挫けないうちに室内へ踏み込もうとすると、ふっと視界の端に人影がよぎる。

 足音もなく麒一(きいち)が廊下を歩いて、こちらへやって来る処だった。思わず「麒一ちゃん」と呼びかけそうになると、現れた麒一はすぐに人差し指を唇に当てた。


 麒一は静かに歩み寄ってくると、まるで励ますように大きな手で朱里の頭を撫でる。戸惑う朱里を置き去りにしたまま、迷わず目の前の扉を開けた。


 朱里は突然の成り行きに慌てる。覚悟を決めてみたものの、まさか麒一が乱入するとは考えていなかったのだ。出直そうとしても、今更身を隠すこともできない。麒一の背後に立ち尽くしたまま、朱里は室内の遥と対面を果たしていた。

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